裏切ることへの善し悪し『恋は雨上がりのように』

恋は雨上がりのように』の実写版をレンタルDVDで鑑賞。
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先立ってアニメ版を観ており、その違いを確認しようと原作を一巻だけ読んだが、ほぼほぼ完璧に映像化してるんだなと判断して続きを読むのを止めた。『いぬやしき』や『ピンポン』もそうだが、原作を活かした完璧な映像化をするという意味では“ノイタミナ枠”がもしかしたら日本では最強なのかもしれない。

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アニメ版の感想はこちら↑

さて、この実写版。まず冴えない店長役に大泉洋、彼に恋する女子高生役に小松菜奈がキャスティングされたのだが、これ以上適役がいるかという感じで、特に小松菜奈に関していえば、栗山千明市川実日子を足したようなお顔立ちなので、『渇き。』くらい浮世離れした役じゃないと厳しいかなと思ったが、表情やアクションも含め、原作から抜け出してきたかのようで、その独特なキャラクターが活かせたという意味でもベストアクトだろう。ハッキリいうと彼女のシーンだけでも映画は成立するくらいだ。何気に2度観たのだが、2度目は小松菜奈以外のシーンを1.5倍速で観たくらいである。とはいえ脇に回る濱田マリや戸次重幸、吉田羊、清野菜名となかなか豪華なメンツで固めてあり、彼らのやりとりを観るだけでも楽しかった。もちろん映像的にもファミレスでのバイトの様子は長回しを使ってスリリングだし(飲食店で働いた人であれば頷くところも多いのではないかと思われる)、居酒屋のシーンなんかも人の配置の仕方や音響が妙にリアリティがあってよかった。

が、この作品。全体的に支配するのは圧倒的な「コレジャナイ」感であった。

妹と一緒に観ていたのだが、原作を一巻しか読んでない妹でさえも「何がしたいのかよくわからない」と言っていたくらいで、予告でもやっていたようにこの作品のキモは冴えない中年と夢を諦めた女子高生の恋愛スレスレの甘酢なやりとりであり、それを純文学風に描いていたから真新しいと評価されていたわけで、名シーンもかなり多かったその部分はダイジェスト以下くらいにしか描かれず、ストーリーのメインになるのは逆にアニメ版でも失速気味だった「夢を挫折した小松菜奈がまた夢に向かって走り出していく」という部分で、要約すると「挫折したアスリートのOnce Again物語」である。

……なんじゃいな!それは!

原作…というかアニメ版は甘酢パートを過ぎると冴えない中年と夢を挫折した女子高生ふたりの「ささやかな一歩」を描きはじめる。夢なんて所詮叶うものではない。しかし、ささやかな夢への、ほんの一歩だけを抽出すればドラマになるというのが主題であり、ラストに登場するアレがタイトルである『恋は雨上がりのように』とかかっているために感動を生むのだ。これはある意味で甘酢を期待していた観客に対して良い裏切りである。映画版は原作でよかった部分を切り取り、そこまで盛り上がりがなかった部分を抽出し、充分に尺が与えられて良いはずの店長パートも変に切られたあげくわけわからない着地をするので、観客を悪い意味で裏切っていることになる。小松菜奈の映画の印象を受けるだろうが、元々は大泉洋のパートの方が比重も同じくらいあったのだ。

さらに音楽がストーリーに合わせてド派手なギターロックナンバーになっていて、オープニングもよくわからない疾走感に溢れていて、まったく食い合わせが悪い。あとから思ったが、この時点で映画は「これは純文学ではなく、女子高生陸上部の青春物語だよ」ということを示唆していたのであった。

といったわけで、すべてが中途半端でよくわからない実写版だが、悪態ついたり、他人をボコったりしない小松菜奈が観れるのでそれ目当てに観ることをおすすめしたい。もっといえばアニメ版がAmazonプライムにあるので、それを観たほうが……

新潟では『カメ止め』以上の盛り上がり?『ミッドナイト・バス』

ミッドナイト・バス』をレンタルDVDにて鑑賞。
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このタイトルを知らない新潟県人はいないと言っていいかもしれないくらい、新潟での知名度バツグンであり、新潟日報社が制作していることもあって新聞広告や記事でもバンバン特集した結果、新潟のシネコンでは連日満員御礼*1だったという文字通りの地域密着型の作品。

この作品の見所はなんといっても「新潟」そのもの。満漢全席かフルコースかというくらいの登場量で、駅や街並、食事処、病院など出てくる風景はもちろん、朝食のシーンではいくらなんでも新潟県人は食卓には置かないだろうと思われる「かんずり」が置かれ、笹だんごに加島屋の贈答品はもちろん、飲む酒として吉乃川が置かれる。終盤、施設に入っているおじいちゃんを旅行に連れて行くはこびとなるのだが、そこも佐渡島でその段階でもお腹いっぱいなのに、ラストに「カーブドッチ*2」まで登場してトドメをさされた。これは新潟愛が強い地元民でも失笑するレヴェルなのではないかというくらいに徹底している。

さらに娘がご当地のアイドルとして活躍しているという設定だが、この軌跡自体がNegiccoのそれとかぶっているのも興味深かった。どの程度参考にしたのかはわからないし、原作がそうなっているのだが、新潟県人が観るとどうもそういうどうでもよい深読みまでしてしまう作品となっている。

もちろん新潟の良い風景だけを映しているので、カットがつながらないような部分も散見されるが、これは大林宣彦でいうところの“尾道三部作”のようなものであり、新潟という中途半端な地方都市を美しく幻想的に切り取っているということでもある。監督のことは失礼ながらなにひとつ存じ上げなかったので調べてみると、大林宣彦の助監督をしてたことがわかり、ちゃんと師匠の教えはどういう形であれ顔を出してくるんだなぁと思った次第だ。

話としては典型的な家族崩壊からの再生を描いていて、小津安二郎の『東京物語』や山田洋次の『家族』をもっと現代寄りにしたような感じでそれ以上でもそれ以下でもない。にも関わらず、なぜか2時間36分もランタイムがあり、どう考えても無駄が多いように思えるが(とはいえ『東京物語』や『パリ、テキサス』は長いけど)、意外とこれが観られるのは監督に腕アリといったところだろうか。ものすごく淡々と話が進むにも関わらず、これがちょうどいい高揚感というか、それこそタイトル通り高速バスに乗って移動してるときの微妙な退屈感や孤独感、時間経過感が音楽の使い方も含めてぴったり合うというか、そういう映画である。役者陣も豪華で、特に主役を演じた原田泰造が思ったことをクチに出さない寡黙な父親を演じていて、これが高倉健の風格が漂っていてよかった。半分ロードムービーのような映像とあってたのかもしれない。

フィルマークスではマークしてる人がかなり少なく、ホントに新潟県のみでのヒットになったんだなと思ったが、言うほど悪くなかった。2018年は仕事が変わって時間がそこそこできたため、ここ数年見逃してた作品をDVDやAmazonプライムでそこそこの本数を観たが、そのなかではかなり上位の出来。というか『バーニング』しかり、ぼくはこういうジャームッシュとかヴェンダースのような、対して何も起こらない純文学のような作品が好きなのだろう。

*1:観ることを断念した知人と数人と母親の情報だが

*2:全国的にも有名なワイナリー

53分カットの短縮版……『バーニング』

『バーニング』鑑賞。
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名匠イ・チャンドン村上春樹の『納屋を焼く』を原作に8年ぶりにメガホンをとった作品……と書き出したものの、これがかなり特殊な状態での鑑賞状況となった。

まず、この『バーニング』は“劇場版”と銘打ち、世界の名立たる映画祭やら賞レースに出品。その流れで、日本でも2019年の2月に公開というはこびになっているのだが、なぜか公開前に53分短縮され日本語吹替がついた“ドラマ版”なるものがNHKで放送された。なので、ここからの感想はこの「NHK放送版」というポジションになる。どうも村上春樹の原作権をNHKがおさえていたようで、その関係でこんなことになってしまったらしい。とはいえ便宜上『バーニング』と表記させていただく、めんどくせえし。

で、その『バーニング』。かなり原作からアレンジを加え、ミステリーとして作り直したとアナウンスされていたが、今回のバージョンを観る限り、セリフから設定からわりと原作に忠実であり*1、マイルスを使った音楽も含め*2、そこまで型破りなことはしていないように思う。そもそもこの原作自体、中盤から伊坂幸太郎の『重力ピエロ』のような展開を見せ始めるので、確かに描き方によってはミステリーになるっちゃなる。逆に今回のバージョンでは舞台を現代に移したため、スマホがその役割を何割か果たし、素人探偵がこれから起こるかもしれない事件を捜査するという部分がけっこうないがしろにされているくらいで、これを細かく描写するとホントに伊坂幸太郎になってしまうため、NHK村上春樹ファンへの忖度を勝手にし、編集でカットした可能性もあるが、それは“劇場版”を観ないとなんともいえない部分である。

今回の映像化でうまいなぁと思ったのが、主人公とある告白をする男の環境をそれぞれハッキリと描いたこと。原作ではどこの誰だかわからずじまいなのだが、今回は主人公が北朝鮮に近い田舎の集落に住んでおり、ある男はグレート・ギャツビーのようなド派手な生活をしているという設定になっている(原作でも名前は登場する)。

細かいことをいうとネタバレになるが、このアレンジをすることによって後半の展開がNTRもふくめ、さながら『ファイト・クラブ』や『アメリカン・サイコ』になり、なるほど、アレンジを加えてミステリーとして描き直したというのはそういうことだったかと膝を打つ感じになっている。もちろん原作に忠実なラストを迎えるため、そのあたりはこちらが深読みするしかないのだけれど、その深読みする余地があるようなもっていきかたとアレンジをしているということでもある。なんならブラッド・イーストン・エリスがデビュー前にこういう短編を書いていたような感じといっていいかもしれない。現実か妄想かわからないみたいなところもあるし。

劇場版は長尺ながら、スケールは小さく、全体的にバジェットはかかってないように思うが、ここはさすが名匠イ・チャンドン。画面のルックは黒澤や全盛期のチャン・イーモウのように端正かつ重厚で、なんで監督によってここまで違いがでるのだろうと思ったくらいである。もちろん美術や照明、撮影監督の働きも大きく関わってきているのだろうが。このあたりも日本映画負けとるのぅと素直に思った。

といったわけで、ここまで書いておきながら、これはそもそも53分「も」短縮された謎のバージョンの感想なので、また“劇場版”が公開されたらその感想を書きたいと思う。とはいえ、2018年で公開された映画のなかではこのバージョンでもベスト1くらい好きな作品になった。まぁ2018年の公開作品7本しか観てねぇんだけど……

*1:それこそ「ドーナツの穴ぼこは穴ではなく、それそのものが存在である」みたいな村上春樹的な言い回しが連発される

*2:村上春樹はジャズが好きだし、そもそも原作にもマイルスではないが、いくつかのジャズレコードを聴くという展開がある

っていうか『愛の渦』と基本は一緒『何者』

『何者』をAmazonプライムにて鑑賞。
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原作は直木賞を受賞した朝井リョウの同名小説。就活生たちが内定を取るまでの悪戦苦闘っぷりを瑞々しく描いた青春小説のような形式で進んでいくが、中盤から「内定が取れないものは人間失格」という概念が主人公たちを焦らせ、そのことによって見えない部分で人間関係がギクシャクしはじめ、最後の最後で主人公の「ある秘密」がバレてしまった結果、仲間だと思っていたあるひとりに心理的にジワジワと追いつめられていくという“就活ノワール”であり、『桐島、部活やめるってよ』同様、学生を主人公にしたミステリーという感じでとても楽しく読んだ。

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これを三浦大輔が監督することになったのだが、おもしろいもんでほとんど原作通りにことがはこばれていくにも関わらず、「ひとつの目的のために一室に集まった他人同士が見えない腹の内を上っ面な会話で探りあう」という基本プロットが三浦監督の代表作である『愛の渦』とほとんど一緒であり、あの映画からセックスを抜いて、登場人物を全員就活生にしたらこういう感じになるのは至極当然で監督の十八番ともいえる。企画・プロデュースに川村元気の名前があったので、もしかしたらその辺のことも鑑みて監督に原作を持っていった可能性もある。

原作では主人公の視点のみで描かれていくが、映画は真逆でむしろ主人公の心情や行動はほとんど描かれない、就活生を第三者の視点で見ているかのようであり、佐藤健は徹頭徹尾抑えた演技でもって、記号的なキャラクターとして存在するに留まり、逆に他の4人がいきいきと演じているのがおもしろい。TwitterをメインとしたSNSの映像表現や各部屋で性格や趣味、心情を表している美術、無機質でありながらもエモーショナルな中田ヤスタカの音楽も含め、表面上と内面はまるで違うんだということをちゃんと映画で表現できるすべてを使って演出しているのは特筆に値する。特にそれが爆発したのがラストであり、主人公が劇団に在籍したという部分と行動や心情がシンクロ。監督も演出家出身ということもあいまって、このシーンだけで原作超えができているのではないかと思った。

そもそも原作自体が、映画化を念頭においたような作品であり、映像不可能な感じでもないので、恐らく誰が撮ったとしてもそこそこなレヴェルに持っていけるのではないかと思う。それくらい話の骨格がよくできているということである。原作読んでる人は別に映画を観たところで、特段「これは映画史に残る大傑作だ!」ということもないだろうし、映画を観た人は原作を読んでも「映画と同じだね」という感想で終わるはず、そういう作品である。もちろんかなりよくできてておすすめだけれども。

何者 DVD 通常版

何者 DVD 通常版

ファインディング・麻理『いぬやしき』

いぬやしき』をレンタルDVDにて鑑賞。
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職場や家族にもその存在自体をないがしろにされている初老の男がガンで余命いくばくもないことを知った。家族にその事実を打ち明けられないまま悶々と日々を過ごしていたが、ある夜、犬の散歩の途中で立ち寄った公園が謎の大爆発を起こし、男はその場で即死。しかし、彼はその記憶が曖昧なまま、まるで夢を見ていたかのように公園で朝を迎える……というのがあらすじ。

原作を5巻まで読んだあと、ノイタミナ枠でアニメ化されたものをAmazonプライムにて全話観た。ぶっちゃけ音楽がやけに仰々しく、そのことによってギャグとして処理されていたシーンがややエモ寄りになってしまい緩急がなくなってしまったが、それが感動的なシーンではいかんなく発揮され、小日向文世の大熱演もあいまってアニメならではの表現として生まれ変わった。高校生役の村上虹郎も「90年代浅野忠信」のような佇まいを声だけで再現し独自の存在感をアピール。原作を完コピするという方向性だったため、映像化するには危険な部分もあったが、ちゃんとノーブレーキで挑んだことは賞賛に値する。CGの進化も含め、このクオリティなら『ザ・ワールド・イズ・マイン』や『童夢』も同じスタッフでアニメ化したらファンも納得するのではないかという出来であり、ハッキリいってこのアニメ版は日本製のエンターテインメント作品において『シン・ゴジラ』に並ぶほどの傑作で、ドラマや映画といった映像表現に関してはまずこれを越えることがしばらくハードルとなるのではないか?といらぬ懸念をしたほどだった。

無論、実写版がアナウンスされた時点でアニメ版を越えることはできないであろうとたかをくくっていたが、意外や意外、これはこれで独立したものとして楽しむことができた。監督は『GANTZ』をへっぽこにしたことで有名な佐藤信介。しかし『アイアムアヒーロー』が絶賛され、その実力がようやく発揮されたところで、同じ原作者の作品の実写化に再び挑むことになったとは何の運命だろうか。本人としてはリベンジのつもりだっただろうが、それは果たせたといっていいだろう。

今作でのポイントはCGの進化によって『アイアンマン』や『スパイダーマン』シリーズにもやや手が届くような和製アメコミヒーロー映画になったこと。『ジョジョの奇妙な冒険』もそうだったが、今までの邦画にあった「うわー、ここCGっぽいなぁ」というノイズが完全になくなったことで作品への没入感がハンパなく、もしかしたら鈍重になりかねなかった二幕目も映像で逃げることができたし、クライマックスに関してはアニメ版よりも見せ方がうまいので原作以上の興奮が得られた。

さらに良い意味で執拗に描いてたいくつかのシーンも省略され、主人公の追い込みを増した脚色がかなりうまくいっており、原作にはなかった“弱点”を加えることで、破壊一辺倒になりかねかったクライマックスにスパイスを効かせることができた。ややスケール感はダウンしたものの、『ヒメアノ〜ル』的な物悲しいラストに関しては原作超え出来たのではないかと思わせる。

主役を演じた木梨憲武はコメディアンであることを忘れてしまうほどの小市民感を見た目で演出され、「まーりー!」と娘の名前を叫びながら新宿の街を探しまわるシーンは完全に『ファインディング・ニモ』のお父さんと演技が一緒であり、もしかしたらあれを観たプロデューサーなり監督がこの役にピッタリだとオファーしたのかもしれない。高校生役の佐藤健に関しても以前から思っていた「もしかしたらこの人、根は悪人じゃね?」という部分が見事に抽出されハマっていたし、役としても幅が広がった。なぜかアニメ版から引き続き同じ役で登場した本郷奏多も弱々しいヲタクな感じがちゃんと出ててよかった。

もちろんいろいろ言いたいことはあるが、画に説得力があったため、かなり満足感があったことも事実。マンガの実写化は不可能といわれてきたが、この昨今においてそれは死語化するかもしれないなと改めて思った。恐らく映画館で観ていたらもっともっと興奮していたに違いない。意外とおすすめ。