ミュンヘン


スピルバーグの中で一番の問題作と言われた作品として、賛否両論を巻きおこした作品。映画としては完成されてないものの、全編みなぎる緊張感に溢れた力作だ。

スピルバーグヤヌス・カミンスキーに出会ってから、映像は飛躍的に進化した。『シンドラーのリスト』と『プライベート・ライアン』という歴史的な事件に関わった大作だけでなく、『宇宙戦争』や『マイノリティ・リポート』のようなSF作品でも、その手腕は発揮される。だが『ミュンヘン』でのカミンスキーの仕事っぷりはどうだ?ハッキリ言って今までの映画史の中で最もリアルな映像になった。

ミュンヘン』はミュンヘンオリンピック開催中に起きたテロ事件をテーマにしている。黒い九月と検索すれば、この手の記事が山ほど出てくるくらい有名。ミュンヘンオリンピックに出場したイスラエルの選手が、黒い九月(ブラックセプテンバー)と名乗るテログループに人質に取られ、長時間の銃撃戦の末、死んでしまった事件である。

その黒い九月事件の実際の映像と映画の中の映像が違和感無く混ざり合っている。当時のニュースフィルムも使っているのだが、相方のカメラワークと撮影技術が映画である事を感じさせない。編集も見事だ。

黒い九月事件はその後、首相直々の指示で報復作戦が遂行される。『ミュンヘン』はその報復作戦を映像化したものだ。モサドという政府の機関から人が派遣され、黒い九月の幹部、またはテロにかかわったと思われる人を暗殺した。

スピルバーグはこの報復作戦に関わったアヴナー(仮名)という人の本を読み、映画化に踏み切ったようだ。

ミュンヘン』が『宇宙戦争』と同じ年に製作され、公開されたのは非常に意味がある。ハッキリ言って、両方とも9.11に対する映画だったからだ。スピルバーグは『宇宙戦争』で9.11の映像を映画で越えようとした。現実が映画を越えてしまったからである。そして、その後、『ミュンヘン』で報復に意味はないという明確なメッセージを提示してきた。実際、キャラがそういうセリフを口にするほどだ。スピルバーグはこの事件の本を読み、深い感銘を受けたのではないだろうか。実際、イスラエルへの爆撃と“神の怒り作戦”と銘打たれた暗殺はイラクへの報復と似ている部分が多い。暗殺という部分は決定的に違うが、爆弾を落としたり、テロと関係ない人を殺したり、非常に近い物がある。

事実と違うとモサドから批判されているらしいが(“事実を元にした映画”だと冒頭で言っているし)スピルバーグイスラエルを非難しているわけではない。報復行為に意味はないと言っているだけだ。だから『ミュンヘン』は『宇宙戦争』とセットで観るべき。『宇宙戦争』ではテロに巻き込まれた人を一人称で描き、そこで起こる恐怖と人々のパニックを淡々と描ききった。そして『ミュンヘン』では報復する事の虚しさ、暗殺作戦に巻き込まれた人の闇をスリリングに描いている。戦争じゃなくて、テロ事件で人がバカスカ死んでいくのを淡々と魅せられるという意味では、『プライベート・ライアン』よりも恐怖感がある、やはりここ近年のスピルバーグ作品は良質揃いだ。

さて、映画の内容について細かく書くと、ものすごくリアルな作品。映像だけでなく演出もリアル。まず暗殺集団がプロではなく、素人に毛が生えたようなやつらで、役者の顔も含めていたって普通の人なのだ。有名な役者は出てないが、そこにリアリティがあるし、見ているこちらをハラハラさせる要因にもなっている。

そして、『ミュンヘン』に映画的な興奮は1つもない。冒頭のイントロダクションでも語っている通り、

テロ事件で選手が死んだ事。

首相が報復作戦を決断した事。

そして、テロ事件に関わった人が死んだ事。

この3つは明確な事実で、いくらモサドが『ミュンヘン』を否定したところで、この事実を題材に映画は作れる。スピルバーグ司馬遼太郎浅田次郎のように事実から、いろんな事を想像して『ミュンヘン』を作った。だが、その想像が実に生々しくて、もしかしたら、この映画のスタッフに報復作戦に参加したヤツがいたんじゃないか?と思わせるくらいリアル。『007』シリーズや『ミッション・インポッシブル』の様なスパイアクションとは真逆のガタガタな作品である。まぁ『宇宙戦争』もSF映画と銘打っといて、中身は強烈な虐殺映画だったので、そういう爽快な映画だと思って観ると肩すかしをくらうかもしれない。

さらに残酷描写がスピルバーグの中でもトップクラス。スケールは小さいが、どす黒い血や、撃たれた後に呼吸すると、その呼吸にあわせて血が吹き出すところもリアル。爆弾で吹っ飛ばすシーンも、ハリウッドによく見られるような「魅せる爆破」ではなく、人を殺すための爆破だった。ビクビクしながら人を殺したり、女装をしながら殺したり(なんでだよ!) するのもヘタすれば笑えるシーンになるけど、リアルに撮ってあるから、それを感じさせない。

ミュンヘン』は残酷な映画でドラマ部分は少なく、まったく映画として成り立ってないという意見もあるようだが、ハッキリ言わせてもらうなら、ストーリーを転がすという意味では従来のハリウッド映画となんら変わりはない。

事件があって→イスラエルに爆弾を落として→さらに政府から暗殺計画がでて→人が集められ→暗殺を実行する。

映画はこのような流れをしっかり作っている。だから、いろんなエピソードが絡んでも型くずれしない。そこに家族愛、友情、成長、アクション、サスペンス、銃撃戦、恐怖、があり、報復に意味はないというメッセージで締めくくる。2時間40分の長尺だが、それをまったく感じさせない作りになっているのはさすがヒットメーカーだ。

私が『ミュンヘン』を支持する決定的な理由はラストにある。テロ行為に対する国からの報復に意味は無い。この事件当時にも現実にあった事だが、『ミュンヘン』は事実を元にした映画なのだ。という事は当然ながらハッピーエンドにはなりえない。どこで物語を切るかという事になるが、その終わらせ方が絶妙で、観客も主人公同様、絶望のふちに立たされる事になる。映画に夢があってもいいが、それと同じく現実を見せなければ意味がないと私は思っている。結ばれる恋愛はないし、どうしようもなく最悪なヤツもいるし、ヒーローなんてこの世には居ない。この『ミュンヘン』はそういうどうしようもない現実の一部を見せつけられる。しかも映画自体が非常に中途半端に終わるので気持ちも宙ぶらりんになる。この後味の悪さこそが最大の魅力で、『ミュンヘン』のすべてと言ってもいいんじゃないだろうか。

意味が分からないシーンも多々あるし、すべてを明確にしないし、強引な箇所も多々あるが、スピルバーグが『ミュンヘン』で言っている事はかなり正しい。私はそこを支持したいと思う。傑作。