夢の中も現実も恋愛はうまくいかねぇ!


恋愛睡眠のすすめ』を観に行く。

父親が死に、生まれ故郷であるフランスに戻って来た青年が、退屈な仕事に就き、平凡な恋をし、平凡な人生を送る。ところが彼は夢の中では仕事も恋愛も上手く行き、夢の中での生活に溺れるようになる。現実と夢の区別がつかなくなった彼の行く末は…

従来のラブストーリーをひねりにひねった『エターナル・サンシャイン』は設定から何からすべておもしろく、それはチャーリー・カウフマンの脚本によるものだと思っていた。不条理で映画ならではの奇抜な設定が多いカウフマンの脚本作品だが、人間の悩みや恋愛、生き方など、そこから現実をこちらに提示していく物が多い。ところが、ミシェル・ゴンドリー自身がそういう作風の持ち主であった事は『恋愛睡眠のすすめ』を観るまで分からなかった。

恋愛睡眠のすすめ』はまるでカウフマンの脚本作品のようにぶっとんだ設定であり、それこそ『エターナル・サンシャイン』を彷彿とさせるが、『エターナル・サンシャイン』とはまったく違うテイストの作品に仕上がっている。大きい事を言わせてもらえるならば、ウォン・カーウァイテリー・ギリアムを足して2で割ったような映画になっていて、とてもリアルな恋愛模様とレトロで遊び心たっぷりのセットを使ったアナログ撮影が決まりまくり、見事な相乗効果を生んでいる。さらに舞台がフランスである事や、主演もガエル・ガルシア・ベルナルといういわゆるベタなハリウッドスターじゃないところがこの作品に重要な雰囲気を与えているのは間違いない。

コマ撮りのアニメやダンボールだけで出来た部屋など、テリー・ギリアム作品を彷彿とさせるセットや小道具は見ていて嫉妬してしまうほどかわいらしく、それを使う事で夢と現実を一瞬にして分からせるのはさすがのアイデア。カメラの存在を感じさせないような生々しいカメラワークは映画から離れよう離れようとしているが、夢のシーンがぶっ飛びすぎているので、かえって、映画の中での現実を表現するのにはもっとも適した手法になっている。ぎこちない会話のシーンや空気感などもとてもリアルで、ホントに誰かの恋愛模様をドキュメントでみているような小気味良さが全編にあった。

ただ、逆にその現実のシーンが、あまりにリアル過ぎて、退屈に感じてしまう事もしばしば。日常とは平凡の積み重ねであるはずなんだけど、ホントに力を入れてリアル感を出すと、娯楽にはならない。これが好きな人もいるはずだが、それらのシーンが何カ所かあったため、長く感じた事は否めない。

だが、マイナスはそれくらいで、傑作とは呼べないがとても愛すべき作品に仕上がっている事は間違いない。『恋愛睡眠のすすめ』が素晴しいのは、夢でも現実でもハッピーエンドというのはありえないんだよというメッセージである。現実とは嫌な事もいい事も両方ある。それを乗り越えて人は生きなければならない。恋愛もそうで、不可解な事やこちらの思うようにはいかない。監督にそのような意図があったかどうかは分からないが、私はこの現実の重さを映画の中に描ききったミシェル・ゴンドリーの手腕を高く評価したいと思う。