『ビッグ・リボウスキ』の中にあるチャンドラー魂


20時頃『ビッグ・リボウスキ』鑑賞。すごく久しぶりに観たが、話の内容やら映像を事細かに覚えていたのでよほどインパクトが強かったんだろう。私はコーエン兄弟がすごく好きで、『バーバー』までは熱狂的に観てる。『ファーゴ』や『バートンフィンク』『ブラッドシンプル』が特に好きでそれぞれ何回も見ているが、『ビッグ・リボウスキ』も同じく大好きな作品の1つだ。最高傑作は『ファーゴ』と言われているが(私もそう思う)、cutの『世界の映画オタク10万人が選んだ史上最強の映画ベスト100!』の中で、『ビッグ・リボウスキ』は30位にランクされてた(ちなみに『ファーゴ』は60位)。だから『ビッグ・リボウスキ』を熱狂的に愛する人も多いし、分かる人には分かるような映画になってたんだと思う。

個人的に『ビッグ・リボウスキ』は90年代の中でも、ジャッキー・ブラウン』と並んで最も過小評価されてる映画だと思っている。『ビッグ・リボウスキ』はめちゃくちゃ計算され、よく出来た映画なのにあえてそれを感じさせない様に出来ているという、他の映画監督が成し遂げられなかった境地にまで達してる作品だと言える。

コーエン兄弟の作品は人生のベストとまではいかないが抜群の安定感が作品にはあり、あえてガチガチに力の入った映画は作らない(『ブラッドシンプル』はデビュー作だから仕方ないにしても)。『バートンフィンク』が唯一、1番映画的というかキレイなビジュアルの総合体なのだろうが、それ以降は全部ゆるゆるの映画ばかりだ。私はそこが非常に好きである。

さて、多面体な魅力があるコーエン兄弟の作品の中で『ビッグ・リボウスキ』ほど様々な要素が入り組んだ作品はない。

ビッグ・リボウスキ』はハードボイルドの要素を多く含んでいる。日本だと一般的にハードボイルドはビシッとした格好をして、葉巻やバーボンを嗜む探偵のイメージなのかもしれない。だから『ビッグ・リボウスキ』がハードボイルドという言葉を聞くと『え?』と言う人もいるかもしれないが、ハードボイルドというのは1つの事件に対して推理でなく行動で事件を解いていくというものである。さらに主人公の一人称で話が進み、事件の全容が次第に明らかになっていくというのもそうだ。様々な階級の人間が絡み合い、感情をあまり描かず、細かなアイテムでその人となりを表すのもハードボイルドの特徴。あと、街が魅力的に描かれているというのもハードボイルドにかかせないものである。

だからハンフリー・ボガード=ハードボイルドというのは本当のハードボイルドの意味にはならない。TVの『探偵物語』がハードボイルドなのは、上記の要素がすべて揃ってるからなのだ(特に最終回なんてめちゃハードだし)。

もう一度書くビッグ・リボウスキ』はハードボイルドに必要な要素がすべて揃っている。

ビッグ・リボウスキ』の主人公デュード(本名はジェフ・リボウスキ)は映画の中でも語られてるようにボンクラ野郎で、ボーリングを得意とするその日暮らしの無職である。それが同姓同名の大富豪に間違えられた事からある誘拐事件に巻き込まれていくというものだが、大凡キレものには見えない。明らかに格好もダサイし、女の匂いを感じないし、酒バッカリ飲んでるダメ人間である(しかもその酒もホワイトロシアン)。

だが、そんな彼が複雑に入り組んだ事件を追うというのが非常におもしろく、金をネコババしようとする仲間とは裏腹にデュードは最後まで仕事を全うするという自分の信念を曲げない。映画の後半でデュードは私立探偵に間違えられるが、これは明らかにハードボイルドですよという監督のメッセージだろう。

ハードボイルドと言えばチャンドラーだが、『ビッグ・リボウスキ』は監督自身も言ってるようにチャンドラーの影響が濃い。だが、それは小説ではなく、映画版の方に強く感じられる。その映画とはアルトマン監督の『ロング・グッドバイ』だ。

実際、プレミアの評論で「これは小説よりもアルトマンの『ロング・グッドバイ』の影響が見られる」と書いてあったが、これはドンピシャな意見だと思う。

デュードが住んでるアパートは『ロング・グッドバイ』のマーロウの家に外観がそっくりだし、スーパーマーケットにいるデュードをカメラは下から舐めるように映す。これは『ロング・グッドバイ』のファースト・カットとまるっきり一緒だ。

ロング・グッドバイ』のマーロウの部屋の中にはボーリングのピンが置いてあるが、『ビッグ・リボウスキ』のもう1つの主役はボーリングと言っていいくらいボーリングのシーンが多い。

ロング・グッドバイ』はその名の通り、チャンドラーの『長いお別れ』の映画版だが、映画界の異端児であるアルトマンはこの原作を思いっきりパロディ化した。エリオット・グールド演じるマーロウはヨレヨレのシャツにひげ面で酒を嗜むわけでもなく、常にタバコを吸っている。実際『長いお別れ』と『ロング・グッドバイ』を比べると、かなりクールなイメージがある原作に対して、映画版はかなりユルユルでアメリカのヒーロー像とはかけ離れたマーロウがそこにいる。アルトマンは『70年に40年代のタイムカプセルを空けたような映画』だと語っていたが、禁煙ブームが始まりつつあった70年代のマーロウはあえてタバコをスパスパ吸い、飼ってるネコのキャットフードを買いに行くようなかっこ悪い男。この男をアルトマンはかっこよく演出している。

ビッグ・リボウスキ』のデュードはまさにこのマーロウ像をなぞった様な男である。90年代に出てくるヒーロー達とはかけ離れた姿形。ギムレットでなくホワイトロシアンを飲み、ベトナム帰りのキレた男とボーリングばかりしている究極のダサい男である(アメリカにおいてボーリングというのはちょっと下級の人間がする娯楽らしい)。さらに、女の匂いはまったくせず(セックスはするものの)、部屋にある絨毯に妙なこだわりを持っている変なヤツだ。

だが、このダサイ男が映画では妙にカッコ良く感じる。実際彼は足を引っ張る仲間を尻目に事件をあっさりと解決する。『ビッグ・リボウスキ』にマーロウっぽいところを感じるのは、映画自体がハードボイルドではなく『ロング・グッドバイ』のマーロウが主人公と重なるからだ。

ロング・グッドバイ』は主人公がハードボイルドの定型から逸脱しており、ジャンルもハードボイルドとは違うのだが、映画自体は恐ろしくチャンドラー魂が宿った作品で、実際、『ロング・グッドバイ』はカルト的な人気を誇り、公開当時はデタラメだと評されたが、今では映画化されたマーロウの中でも最高傑作という風に言われている。

ロング・グッドバイ』は『第三の男』と構造が一緒で、hackerさんはリメイクであると解釈しているが、その『第三の男』に『長いお別れ』をはめ込んだアルトマンは本当にすごすぎるわけだ。

ビッグ・リボウスキ』も『ロング・グッドバイ』と同じく、ハードボイルドの構造を持ちながらも、主人公自体はハードボイルドの定型からは逸脱している。70年代には時代遅れに感じたマーロウだがデュードも97年という時代には合わないヒーローだ。

ただ、『ビッグ・リボウスキ』は『ロング・グッドバイ』の影響を感じさせながらも、コーエン兄弟の味が強い。まず、主人公デュードは1人で事件を解決しようとしない。仲間にすぐ助けを求める。結局それが事件を複雑にしてしまうのだが、その仲間との掛け合いがとてもおもしろい。コーエン兄弟はセリフ回しが抜群に上手いが、会話のおもしろさは『ビッグ・リボウスキ』がダントツだ。

さらに『ビッグ・リボウスキ』は事件と無関係の変な人間がたくさん出てくる。映画にも無関係なのに、そのキャラクター達の描き方にとても神経を使っている。

実は『ビッグ・リボウスキ』と『ジャッキー・ブラウン』はキャラクタースタディが抜群に上手い映画でもある。この2作は1つの事件がどう転がって行くのか?というのがメインプロットであり、それに絡む人物の過去など、一切出て来ず、人物描写は無いに等しい。だが、この2作はキャラクターがどんな性格で、何が好きで、どういう人間なのかというのが、見終わる頃にはすべて分かっているという、とても上手い演出をしているのだ。こういうのが上手い映画というのは、なかなか評価されないのだが。

実際、私は『ジャッキー・ブラウン』に影響されてスクリュードライバーを飲む様になったし、友人は『ビッグ・リボウスキ』の影響でホワイトロシアンを飲む様になった(この間もこんな話になったなぁ)。

ビッグ・リボウスキ』は評論家受けも良く、実際プレミアでもかなりの高評価で、その月の目玉であった『プライベート・ライアン』よりも点数が高かった(映画に点数とかないんだけどね)。だが、『ビッグ・リボウスキ』がすごく好きなんだよねぇという人にあまり会わない。『映画を語ろう』でも評価は高いが、実際この映画の本質や魅力を言い当ててるレビューもないのだ。

私が何故『ビッグ・リボウスキ』を愛しているかというには訳がある。それは『ロング・グッドバイ』という映画が私にとって人生のベスト5に君臨する作品であり、その『ロング・グッドバイ』を90年代に復活させようとした、コーエン兄弟の心意気を強く買うからだ。『探偵物語』よりも『ビッグ・リボウスキ』は『ロング・グッドバイ』ぽいから、たまらなく好きなのだ。

さて、世の中には熱狂的な『ロング・グッドバイ』ファンが居る。とりあえず私はその人達に聞きたい。『ビッグ・リボウスキ』を見たのか?そしてどのように評価するのか?を。

そしてチャンドラー作品を全部読んでる人は『ビッグ・リボウスキ』にチャンドラー魂を感じたのだろうか………