『デス・プルーフ』はタランティーノの最高作か?


グラインドハウス』の続き鑑賞。昨日もちょこっと書いたが、フェイク予告編がとにかく素晴しい。特に『イルザ』を観てからだと、ロブ・ゾンビの『ナチ親衛隊の狼女』が無茶苦茶素晴しい!雪が降る中でのワンショットが金がかかってるように見えて感動するし、ちゃんとおっぱいも血もある。シェリムンゾンビに萌え!そしてニコラス・ケイジ!お前はすごすぎだぁ!

エドガー・ライトの『ドント!』も笑えるし、イーライ・ロスの『サンクスギビング』も非常に本編が観たい。この3本はまさに『グラインドハウス』にぴったり!マジで最高!

2本立て後半の『デス・プルーフ』は絶対に単品よりもこっち!単品も死ぬほど好きだが、もっと好きになった。『グラインドハウス in デス・プルーフ』だと、後半のゾーイ・ベルの部分でいきなり映像がクリアになる。フィルムの傷がすごくいい感じで、それが『グラインドハウス』の1つのウリなのに、サークルKで雑誌を買うくだりで、モノクロになって、映像がクリアになるのは意味が分からなかったが、2本立ての『デス・プルーフ』では飯を喰いながら長回しでダラダラと話すシーンもフィルムに傷が付いてる演出をしていて感動した。というか、なんで単品ヴァージョンはあそこで映像をクリアにしたんだろう。

それだけじゃなくて、ラップダンスがリールミッシングになるのもいいし、サークルKのくだりをバッサリ切ったのも絶対に正解である。

デス・プルーフ』は今までのタランティーノ作品の中で1番バランスが良く、もっとも映画的であると言える。

レザボア・ドッグス』と『パルプ・フィクション』は90年代で最も重要な映画だが、どちらも既成の映画とはまるで違うものになっていた。映画的な映画ではないという事だ。サンプリングを映画界に持ち込んでいるが、アートフィルムの匂いも感じさせ、時間軸をずらすという手法は、『現金に体を張れ』で使われていたものの、革新的であった事はその後の映画を観れば明らかだ。タランティーノがパクりと言われないのは独特のダイアローグと音楽の使い方が特出していた事もあり、タランティーノ自身が観てみたい映画を自らの手で作り上げてるような印象も感じられた。だからタランティーノの作品は映画であって、今までの映画とはまるで違う。ダイアローグで魅せたり、音楽の使い方がかっこいいのであって、じゃあ映画としてきっちり前フリがあって、盛り上がりがあって、オトしてるのか?と言われるとちょっと違う。実はタランティーノの映画には映画的に盛り上がるシーンがそこまであるわけではないのだ(でもちょーおもしろいけど)

じゃあ見せ場が40分以上もあった『キル・ビルVol.1』はどうか?

キル・ビル』はタランティーノが好きだった物をいろんな大きさで詰め込んだ。詰め込むだけ詰め込んだから、映画の出来としてはチグハグだ。でも個人的には次から次にいろんな映画の表情が見えるという捉え方だったからおもしろいと思ったし、映画館で2回観たし、DVDで買った初日に3回も観た。さらに何度も何度も繰り返し観てそのたびに感動している。
何よりも感動したのは私が大好きな映画達への愛に溢れていた事だ。香港映画や『子連れ狼』に熱狂していた私を涙させ『修羅雪姫』や『ゴケミドロ』『キング・ボクサー』や『吼えろドラゴン』などを教えてくれたのも『キル・ビル』だった。

デス・プルーフ』は『キル・ビルVol.1』をさらに進化させた映画だ。

デス・プルーフ』は『パルプ・フィクション』のようにオリジナリティがあり、さらに過去の映画へのオマージュがあり、タランティーノの映画の中で1番の盛り上がりと映画的な興奮がある。

デス・プルーフ』にはまずこれだ!という明確なパクりがない。『バニシング・ポイント』などへの愛に溢れているが、じゃあ『デス・プルーフ』が『バニシング・ポイント』に似てるかと言われるとまったく似てない。自動車を使ったスラッシャー映画だと説明してるが、それらのスラッシャー映画にも似てない、まったくのオリジナル作品だ。特にデス・プルーフカーで殺すシーンはどの映画にもない迫力と興奮があり、あの惨殺シーンはDVDをレンタルした時になんども繰り返し観た(しかも妹と爆笑しながらね)

さらに後半のカーチェイスは今までのタランティーノのアクション演出の中で1番盛り上がる。スタントをコーディネートした人がプロだったというのもあるが、タランティーノは「チェイスと一体化しろ!観客をチェイスの中に取り込むんだ!」とつねに口にし、カメラを備え付けた車を猛スピードで走らせ、スタントカーを近づけて撮影した。この手の映画にありがちなヘリからの撮影は一切無く、道路スレスレでカーアクションを撮っている。

この手の見せ場は見せ場だけあってもだめで、ちゃんと前フリがないと意味がない。『デス・プルーフ』はホントにどうでもいいシーンを合間、合間に入れ、映画への盛り上がりを増幅させる。だからこそ、カートラッセルが殺人鬼に変わる瞬間やライトをつける瞬間、女の子達がダッジ・チャレンジャーに乗る瞬間の盛り上がりがハンパじゃない。

どうでもいいシーンで構成していると書いたが、かわいらしい美女達を全身なめ回すように映したり、カートラッセルを時代遅れの親父として映したり、映画に携わる人間を後半の主役にしたり、細かい部分での演出にも抜かりない。

そして映画史上最高のオチで観客を笑いの渦に巻き込む。

タランティーノは今まで特殊なダイアローグと時間軸のずらし、誰も観てないような映画の引用、普通だったらカットされるようなシーンを映画に組み込み、映画的な盛り上がりがないユニークな映画を作り続けた。

デス・プルーフ』は時間軸をずらすという手法を封印し、映画的に盛り上がるシーンを効果的に配置し、さらに必要ないシーンとダイアローグを増幅させ、まったくオリジナルな映画になった。『デス・プルーフ』はタランティーノの映画の中で1番映画的な映画だ。『デス・プルーフ』こそタランティーノの最高傑作だ!と言う人もいるが、こうやって自分でいろいろ考えると、確かにそれも頷ける話だなと思ったのであった。あういぇ。