新世紀エヴァンゲリオン 劇場版 THE END OF EVANGELION Air/まごころを、君に

3時まで『エヴァ』を観続ける。最後のシ者からラスト2話まで。渚カヲルのヲがなんでオじゃないのかなぁと思ってたら、

使者終わり→シ者オワリ→オワリを一字ずつずらして→シ者カヲル→渚カヲル

という言葉遊びだった事が判明*1なるほど。っていうか昔観た時はもっとカヲルがたくさん出てた気はしたが、完全な勘違いだったようだ。それにしても、カヲルを握りつぶすシーンの長回し、そして唐突の首チョンパゴダールっぽいな。だから、昔観た時はこのシーンがすごく印象的だったのか。

9時に起きて、最後から2話を鑑賞。この後の回はホントに賛否両論になったわけだが、あの畳みかけるカットとナレーションは嫌いじゃない。大写しにしたテロップと短いカット割りの組み合わせはホントに素晴しい。しかもテロップが出て来ると音楽も音も消え去るのが好きだ。そういう個々の演出は好きだが、1回だけにしてほしかったなぁ。2回はいかんでしょうよ。実際意味わかんねぇし。それにしても、後半の流れはあきらかに子供用という感じではないな。小学生だったら絶対に理解しなかった気がする。個人的にTVシリーズのアニメはそんなに観ないが、これだけのもんはもう作れないだろう。あんなに血しぶきがあって、おっぱいも出るようなアニメは厳しいはずだ。それでも『エヴァ』とか『ビバップ』のようなアニメはこれからも作って欲しい。

んで、昼に『新世紀エヴァンゲリオン 劇場版 THE END OF EVANGELION Air/まごころを、君に』鑑賞。実は私はこの劇場版を観ておらず、実際どう終わるのかというのがよく分からなかった。んで、今回ちゃんと観たわけなんだけども、なるほど、こういう風に終わるのか。つーか、これ、人はバカスカ死ぬし、おっぱい出るし、血しぶき出るし、最終的に人間は誰もいなくなるし、ちょーすげぇアニメじゃん!最高!

あれだけ他者を受け入れる事を拒否していて、どいつもこいつも死んで欲しい、さらに自分をも殺して欲しいと思っていたシンジが、最終的に他者を受け入れるという展開がおもしろかった。エヴァンゲリオンに母が宿っていて、その子供が乗り込むから安定していたという設定はビックリしたし、何よりもその親子がシンクロする事で超人な力を生むというのは、結局家族と言えども分かり合えないという現代の家族像に対するちょっとした希望なのかもしれない。

おもしろいのは、これは押井守が『イノセンス』で宮崎駿が『ハウルの動く城』で扱っていたのと一緒であるという事。前者は機械化して不老不死になったら他者との付き合いは変わる。孤独が満たせて、命を感じるのならば、犬でも人形でも家族になり得るというテーマで、後者は血の繋がりや人種は無視して、ワイワイ楽しく過ごしてしまおうというのがテーマだ。エヴァは否定的な意見もあったけどなんらかの影響を与えたという事になる。

2つの人類補完計画。目指す方向性は一緒だけど、その方法論が違う事で戦争になるというのも恐かったし、使徒を倒す事が人類の通過儀礼だったというのも『2001年宇宙の旅』を彷彿とさせるし、(実際、肉体はイレモノで魂こそが個人だというシーンもあり、これは『攻殻機動隊』にも出て来る、ちなみに『2001年宇宙の旅』は人間の脳味噌を機械化し、電波のようなモノに変え、肉体を捨て生き続けるという映画)他者を受け入れたシンジが最終的に選んだのはミサトでもなく、レイでもなく、アスカだったというのも驚いた。全員とエッチする事想像してたくせに(笑)つーか、そのわりになんで絞め殺そうとしてるんだよ!

最後の「気持ち悪い」っつって終わるのも好きですよ、ホントに唖然とさせて終わるでしょう。あれは冒頭でアスカのおっぱいを観てオナニーするシンジに対する事らしいんですな*2たしかにアスカはシンジに選ばれた他者だったけど、結局私をオカズにシコっとるがなって意味だろうし(笑)

次は総集編の劇場版を観ようと思う。あういぇ。

*1:ウィキペディアに書いてあった

*2:ウィキペディアに書いてあった、またかよ!