ノーカントリー

8時に起きてしまったので、なんとなく『ノーカントリー』か『ミスト』を観ようと思って、朝飯をちゃっと喰らい、チャリンコでTジョイまで行く。いい天気なのは気持ちが良いですねぇ。

にしても!!なんでアカデミー賞を受賞した作品と『グリーンマイル』の監督の最新作が、なんでTジョイでしかやってねんだよ!だいたい市内に4つもシネコンがあって、その内の1つでしかやらないって普通におかしいだろ!

たしかによー両方R-15だけどよー。とりあえず映画をオレたちから奪うんじゃない!そもそもシネコンって1つの映画館でいろんな映画が観れるんだろうが!だったらよう、そういう映画もちゃんとやれ!これ何回も言ってるけど(笑)

てなわけで9時に久しぶりにTジョイに行く。なんと行ったのは『アレックス』以来。なんかチケットを買う時に病院の待合室みたいになっててわろた。どんなシステムだよ。

最初、両方観ようと思ったんだけど『ノーカントリー』を観る事にした。

のっけから言わせてもらうとノーカントリー』はアカデミー賞をとって当然の傑作だと思う。いろんな人が指摘してるように『ファーゴ』との類似点は多いがコーエン兄弟自体は原作通りに撮ってて、原作が似てるのでしょうがないと言ってるようだが、作品自体はコーエン兄弟がたどりついた1つの到達点だと言える。

人間の欲や愛憎を滑稽なものとして見せ、バツグンのストーリーテリングと映像で、スリリングに描いてみせた『ブラッドシンプル』それをさらに発展させ、落ち着いた視点でみせた『ファーゴ』『ノーカントリー』は原作があるが、この流れをしっかり汲んだ作品になっていて、さらにもっとスリリングに、さらにバイオレントに、そして深みと円熟味を持たせる事にも成功している。

『ブラッドシンプル』は人間の思惑の交差と行動の恐ろしさをどこか滑稽に描き、『ファーゴ』では普通こそ、何気ない暮らしこそが、真の幸せなんだという事を描いたが、『ノーカントリー』で描かれるのは人生そのものと「死ぬ」という事についてだ。

『ファーゴ』を思わせるシーンも多々あるが、実は映像や演出はまったく似ておらず、ドン・シーゲルの『突破口!』やペキンパーの『ゲッタウェイ』を思わせるような演出があり、これらの作品をコーエン兄弟は意識してたのだろう。派手さはないものの、得体の知れない者に追われるという恐怖や逃げ続けるというハラハラドキドキの展開は、この2作品と共通している。

トレーラーハウスでの描写、モーテルに泊まった時の光と影の使い方は『突破口!』を思わせ、死体が転がってるシーンやバイオレンス描写などはペキンパーが現代まで生きてたらこう撮ったかもと思わせる。

コーエン兄弟の作品において、人の死は感動的に描かれず、もっと言えば半分ギャグのように撮られる。これは死に対する演出の方法論としては間違ってはいない。何故ならば死というものは必ず人間に訪れる事であり、みんなは生まれた時から死に対して歩んでいるだけの事なのだ。それが早いか遅いかであって、誰の死が偉いとか、そういうのは一切ない。だから中国の地震で大量に人が死んでも数字にしかならないのである。

ノーカントリー』は人が死ぬ演出を執拗にしてない。たしかにバイオレンス描写が強烈なシーンもあるが、人が撃たれて、血が出る人数は数人であり、映像に映らないところで死んでる人数の方が印象的になっている(それが誰なのかはネタバレになるので言わない)

コーエン兄弟の作品でリアルタイムが舞台の映画は少なく、80年代だったり、湾岸戦争の時だったり、40年代だったり、禁酒法の時代だったり、いつも何かがあった時代を舞台にする事が多い。今回はベトナム戦争の後遺症が残る80年代前半。国の間違った戦争によって、職にも就けず奥さんに苦労かけてる男が主人公。この男がたまたまギャングの大金に手を付けてしまった事から、ギャングが仕向けた殺し屋に狙われるという話。

ノーカントリー』は映画に登場するキャラクターの大半が現実に対して希望を失っている。主人公にしても、奥さんにしても、保安官にしても、特に後半の保安官のくだりは私よりももっと上の世代の方がグッとくるだろう。得体の知れない殺し屋にしてもそうだ。彼がどういう過去を持っているのかは描かれないが、きっとベトナムに行って、死を見せつけられ、現実に絶望したんだと思われる。実際、殺し屋は死神のように描かれるが、ちゃんとそうならないようにコーエン兄弟は彼が傷つくところも見せ、傷を治すシーンまでも丁寧に描いているから、人間として存在するキャラなのだ。

ハッキリ言って、今の世界に希望なんてひとかけらもない。むしろなんで生きてるのかを自問自答し続けるときすらある、この現実に希望がないのなら、いっそ、死んでしまった方が楽になるのかもしれない。

私には子供がいないから分からないが、よく子供を持つと、すこしでも子供達のために未来を良くしたいと言う人がいる。『ノーカントリー』で描かれるテーマはそれなのだ。現実に絶望した大人達。戦争に行って職もなく、惨めに暮らす男、なんのために人を殺し続けてるのか分からない殺し屋、そして保安官(保安官の事はネタバレになるから言えない)と主人公の奥さん。生と死は表裏一体であり、弾かれたコインのようにどちらが表に来ようが、本人の意思と関係なく死は訪れる。

希望もなく、死ぬ事も分かっていて、生きる事がそんなに辛いなら、死を選んだ方が楽になるだろう。それでも、例えそうだとしても、人はやはり生きなければならない。生きていかなければならないのだ。辛い事があっても、その先にあるほんの少しの幸せを掴むために。現実(死がゴロゴロ転がってるような)は老いていく人のための国ではない。だが、人はかならず老い、死んでいく。

コーエン兄弟は血まみれバイオレンスの中に死生観を取り入れ、娯楽作として仕上げる事に成功した。『ノーカントリー』は誰がなんと言おうと傑作。ロジャー・エバートは『『ファーゴ』でおこした奇跡を再びおこしてしまった』と評したが、同感である。