『ハンコック』と『ダークナイト』

12時から『ハンコック』鑑賞。

1800円は高いけど、1000円くらいで観るなら最高な作品。

ダークナイト』に無かった要素が全部ここに入ってる。

アメコミものという括りの中でヘビィでダークで後味の悪い犯罪劇にした『ダークナイト』『バットマン』らしいものを求めた人は不満だったのではないだろうか?もちろん映画は70年代の『タクシードライバー』であるとか『時計じかけのオレンジ』に匹敵するくらいの作品で、久しぶりにこちら側に突きつけ、善と悪について考えさせ、しかも娯楽であるという映画として優れた作品だったが、じゃあ、これがアメコミらしいかと言われると疑問が残る。時代劇を観に行ったら、SFだったみたいな感じと言えばいいのかな?(いや、違う気がするぞ)

今ハリウッドは(というか、日本もそうなのだが)アメコミ原作かリメイクしか製作していない。言い過ぎた。その手の作品が非常に多い。まぁ、そういう映画にしかお客さんが入らないし、だから『ダークナイト』はアメコミ原作だからと言っておいて中身は好き勝手作ったノーランの作家映画でもある。

9.11テロ以降、アメコミヒーロー物は多く公開され、今でも公開待機中作品があるが、『ハンコック』はアメコミヒーローもののパロディとして作られたはずなのに、本家のアメコミものよりもアメコミらしく仕上がったユニークな作品である。

今までのアメコミもので描かれなかった、実はヒーローというのは世間的に迷惑なんじゃないか?という部分にスポットを当て、さらに『スパイダーマン』のように人間的にも未成熟で、『ファンタスティック・フォー』のような特殊能力を持ち、スーパーヒーローになりたい男が主人公である。

ファンタスティック・フォー』の特に2を観れば分かるが、悪を退治するものの、徹底的に街を破壊して、その後、どうやって再建してるのだろうという疑問があったが、それを茶化す感じで映画はスタートする。

『ハンコック』は『バットマン』と同じく犯罪に立ち向かうヒーロー。別に未知なる宇宙生物が攻めて来るわけでもなく、マッドサイエンティストに立ち向かうわけでもない。ところが、その対処法に問題があり、世間から嫌われている。そんな彼を助けたサラリーマンが、彼の人間性を感じ取り、世間に好かれるスーパーヒーローに仕立て上げようとする。

監督は『キングダム/見えざる敵』のピーターバーグ。徹底的にドキュメンタリータッチで描いた前作とは違い、『スパイダーマン』を研究しつくしたような画角とカメラでダイナミックに演出。『ベリー・バット・ウエディング』なんかを観れば分かるが、一筋ならではいかない映画を得意とするだけに、脚本にもひと捻りしてあって、自分が予想してた方向とは違うところに行ってて楽しめた。

『ハンコック』に1番近いテイストの映画は『Mr.インクレディブル』や『アンブレイカブル』だと思う。さらにパロディとして作られた物が本家が持ってるものよりもその真意を捉えているという意味で、『ハンコック』はアメコミだらけのハリウッドを完全に皮肉っており、

スーパーヒーローと思って人助けしているのに、実は大迷惑な行為で、
世間から嫌われているというのはむしろアメリカそのものの姿で、

そういうメッセージを“アメコミ”ばっかりのハリウッドの中で、もっとも“アメコミ”らしいオリジナルの企画にぶちこんだのは皮肉以外のなんでもない!さすがピーター・バーグ!偉いぞ!ピーター・バーグ

しかしこの『ハンコック』が『ダークナイト』の後に公開されたのがおもしろいというか、なんでこの2本が運命に導かれるように公開されたのかが不思議ではある。

ダークナイト』のジョーカーは純粋悪と呼べる存在だ。キリスト教の人が教会に行くのは人間は生まれながらにして悪だという概念があるからで、「じゃあ、人間が本当の自由を得るためには神に反発し、徹底的に悪を突きつめる事じゃないのか?」という、考え方も少なからずあるらしく、そういう映画が公開されるのはアメリカ人にとって意味がある。というのは、町山智浩さんからの受け売りなんだが。

このジョーカーというキャラは敵が居ないと国として成立してないアメリカに対する挑戦状でもある。「テロリストを匿ってるから」「共産主義国だから」「大量破壊兵器があるから」何かしら「敵」を見つけ、それが「悪」である理由をつけて戦争をし、軍事産業で成り立ってる国に、なんの理由もなく、自分の存在は「悪」しかないというジョーカーが人間を試しにやってくる。「自分が生き残るために相手を殺せるか?」など、人間が持ってる善悪に対する挑戦を次々にジョーカーは仕掛けて来る。今までにアメリカが「敵」と呼んでた不明確なものが、それこそ「悪」となって迫って来るのだ。

「敵」が本当に「悪」なのか?

共産主義は敵(少なからずアメリカにとっては)かもしれないが、それは悪ではない。

「悪」というのは「正義」と表裏一体でそれは人間誰しもが持ってるものなのじゃないのか?

「正義」が無ければ「悪」は存在しないが、その「悪」は果たして「正義」の「敵」と成り得るのか?

「正義」の塊のような男はやがてトゥーフェイスとなり「悪」の側面を見せつけ始める。

ダークナイト』はこちらにそれを突きつけ、バットマンは闇の騎士という、「悪を背負ったヒーロー」になる。悪を背負っていても、ヒーローにはなれるのだ。何故ならば「悪」は「敵」ではないからだ。

本当に悪の塊を突きつけられた時、今まで正義面してきたアメリカがして来た事など、正義と呼べなくなってしまうし、それこそ、ある意味で悪とも言えるし、世間から忌み嫌われるものにもなる。

『ハンコック』には、そんなアメリカの姿がとても分かりやすいメタファーとして出て来る。正義の味方なのに嫌われ者。『ダークナイト』が突きつけて来た、

“敵と悪は違う概念で、無意味に敵を作って攻撃したところでそれは正義ではない”

という部分を非常に分かりやすくしたのが『ハンコック』だ。だからジョン・ハンコックは嫌われ者なのである。そして、その『ダークナイト』の中にある、後味の悪さや、こちらに突きつけたものを吹き飛ばす明るさがある。

そんな無意味な戦争を繰り返す嫌われ者のアメリカがついにある意味で答えを出す。それが『アイアンマン』だ。戦争をこの世から無くす結論が『アイアンマン』にはあるらしいので、非常に楽しみにしているのだが。

まぁ、この『ダークナイト』と『ハンコック』はワンセットで観た方が良いという事なのである。