『おくりびと』


9時45分より『おくりびと』鑑賞。

プロのチェロ奏者を目指していた小林大悟。しかし、ある日突然所属していた楽団が解散、大悟程度の奏者は掃いて捨てるほどいるため、夢を諦め、1800万円出して購入したチェロを売り払い、妻とともに田舎の山形県酒田市へ帰ることにする。

就職先を探していた大悟は「旅のお手伝い」という文句と給料等の条件に惹かれ、旅行代理店か何かだろうと考えながら、その会社・NKエージェントの面接へ。即日採用決定となった大悟だが、その会社の業務内容とは納棺だった。妻にどんな会社か詳しい事を言えないまま、納棺師への道を歩む大悟。。。。というのはコピペなんで、なんも偉くないんだが、やはり各方面で言われてるように映画は素晴らしかった。

冒頭、一体納棺というのがどういう仕事なのかを美しい作法の中、映画的な誇張など一切せずに淡々と描き、その中にもオフビートな笑いを入れ、観る物に緊張と緩和を与える。

その後の展開はまさに、コピペした通りで、『おくりびと』はおもしろい事に、これと言ったプロットが存在しない。淡々と主人公は遺体と直面し、彼らを送り届ける。2週間放置された老婆、バイク事故で死んだギャル、性同一性障害に悩み自殺した男、生前もしかしたら家族とうまくいってなかったかもしれない人にも必ず死は訪れ、それぞれに後悔したり、それぞれに苦しんだりする。納棺師はただ、遺体と直面するだけ、その付近にある関係や人柄などは知る由もない。

私はお坊さんなんて信用してないし、葬式も基本嫌いで、葬式で集まるくらいなら、生きてる間に集まって、んで死んだら勝手に個人で祈ってて欲しいなぁとか思うんだが、オレが死んだら、それこそ遺灰をコーヒー缶に入れて、海に撒いてくれて構わない。だから『おくりびと』には消極的だったのだが、非常に共感出来るシーンが多々あった。私がよくブログで書いてる事がかなり出て来て、“人間は必ず死ぬ”という事と“人間は他の命を奪って生きている”という事、さらに“失ってからその大切さに気づく”という事や“人間は死んだら基本的には何も残さない”という事が、細かく丁寧に出てくる。

大悟は仕事で打ちのめされて、食欲を無くし、妻の体を求める。そして、ぐっすり寝る。仕事でうまくいくと食い物を喰らう。それはホントに字の如くむさぼり喰らうという感じだ。ふぐの白子を喰らい、フライドチキンを喰らい、パンにマヨネーズを付けて喰らい、おにぎりを喰らう。それらのシーンから、大悟は生きるという事の3大欲を死と向かい合う事で本能的に感じ取ってるように思える。

ここからは個人的な感想になってしまうのだが『おくりびと』から「命を大事にしよう」というような押しつけは受けなかった。「死に無頓着な若者たちが多いから」とかいうような事を言い出すかと思えばそんな事もなかった。まったく説教臭くもなく、久しぶりに役者の演技だけで見れる映画だったが、その中でも広末涼子のエロさには完全ノックアウト。ズボン脱がされて、胸わしづかまれて、「大ちゃん、、、こんなところで、恥ずかしいよぉ、、」で、やられますた。

2時間以上あるが、笑いと泣きの比重が小気味良く、これぞ日本映画!という感じで万人におすすめです。

んで、昼頃から『ブーリン家の姉妹』鑑賞。新潟では2週間限定というふざけた公開だが、世界では6800万ドル稼ぎだしたヒット作だ。ヘンリー8世の妻であり、エリザベス女王の母であるアン・ブーリンと、妹メアリー・ブーリンの野心と恋を描いた作品。衣装やCGの使い方、さらに最小限のエスタブリッシュメントショットで、室内劇なのにスケール感を出していて、下手すりゃ舞台でも出来そうだが、妃になれるかもしれないという、普通の生活じゃあり得ない野望を女の力でもぎ取って行くアンはみていて痛快だ。いやぁ、男ってバカですよねぇ、やっぱり。

描き方はどうであれ、良くも悪くもイングランドに多大な影響を与えた人物である事は間違いない。その波乱な人生と野心の強さに、後のエリザベスを感じたりもしたが、これさ、、、、

ナタリー・ポートマンスカーレット・ヨハンソンの役、逆じゃね?

私はこの2人が大好きで、むしろ、この2人の絡みに興味あって見たくらいだから、大スクリーンで観れれば大満足なところもあるけど、ナタリーよりも、ヨハンソンの方が、なんか野心ありそうっていうか、色仕掛けで王様くらいコロッといちころみたいな?(おや?死語なのか?)なんと言っても圧巻はナタリー・ポートマンの演技だ。すごすぎる。喜怒哀楽をここまで完璧に操れる女優が居たとは…

昼ドラが好きな人たちにおすすめしたい。

おまけスカーレット・ヨハンソンの巨乳っぷり。あういぇ。