『天体観測』の歌詞を分析するその1


BUMP OF CHICKENの『天体観測』という曲が好きである。

最高傑作というのは人によって様々だろうが、彼らの代表曲であることに異論はないだろう。BUMP OF CHICKENを世に知らしめるきっかけになった大傑作で、かくいう私もシングルを買い、何度も何度も聴いている。

ただ『天体観測』はBUMP OF CHICKENの代表作であるにも関わらず、かなり異質な曲である。なぜかというと、歌詞の内容についての解釈が手んでバラバラで、“離ればなれになった幼なじみへの曲”という人もいれば、“僕と君のラブソング”だという人もいる。藤原基央本人も歌詞について言及することは少なく、ロッキン・オン・ジャパンでも全レビューの対象になったが、結局なにもわからずじまいだった。

『天体観測』という曲がこれほどまでに人々を魅了するのは、「笑顔を持ってくるラフ・メイカー」「痛みの塔に登る王様気分の男」「夢の先まで連れてってくれるバス」という頭に思い描きにくい世界ではなく、「2人で天体観測をした」という誰でも理解できる状況の歌だからだろう。

ただ、『天体観測』はわかりやすい状況の歌だからこそ、僕と君の関係性がすごく曖昧で、一体なにをいおうとした歌なのかわからない人が多い。BUMP OF CHICKENの歌をけっこう聞いてきたが、最近になって、ようやく『天体観測』がなにをいおうとしたのかわかりかけて来たので、そのことについて今日は書いてみる。映画評論家の町山智浩さん曰く「評論とはまず作者が意図した事は何かを作者本人の言葉や資料を通して確認する事」なので、確認できるものから整理していこう。まずは歌詞だ。


『天体観測』歌詞

これを読みこむことから分析ははじまる。みなさんにも読んでいただきたい。手元に歌詞カードがあるかたはそれを確認しながら読んでいただけるとわかりやすいはずである。


分析その1:悩んだ楽曲
ロック・イン・ジャパンの『Jupiter』全曲解説インタビューで『天体観測』のことに触れ、「あのね、ただ、かつてない苦しみだったのは覚えてます(中略)この曲で言えるのはもう、それほどまでに悩んだってこと」と言っていた藤原基夫。かつてないほど生み苦しかった楽曲。単純な設定の歌詞ではないということだ。


分析その2:“「イマ」というほうき星”
今頃歌詞カードをじっくり読んで気づいた。というか、なぜ今までこれに気づかなかったんだ!?よく読めばそこに結論が書いてあるじゃん!――――“「イマ」というほうき星”ここに答えは出ていたのだ。もう一度書く。――――イマというほうき星。――――イマ「という」ほうき星――――あーしつこい!と思った人もいるだろうが、「という」と書いてある時点で、ほうき星は「イマ」の比喩じゃん!バカ!オレのバカ!なんでこれに気づかなかったんだよ!しかも“「イマ」というほうき星”って4回も出て来てるじゃん!極論を言ってしまえば、『天体観測』ってのはメタファーで、単純に「イマ」を探すという歌なんだよ!「イマ」=今、今日、現実、大切な物、かけがえのない物。「イマ」を定義するものは人それぞれだけど、みんな『天体観測』という言葉に惑わされてるだけだ!これは「イマ」を探すという歌だったのだ!


分析その3:一体誰と天体観測に行ったのか?
これについては大きく分けて3つ。先ほども書いたが、“僕と君のラブソング”と“離ればなれになった幼なじみとの歌”そして“過去の自分と成長した現在の自分の歌”ネットの質問箱なんかではこの3つになる。まずひとつ目は藤原基央自身が「ラブソングではない」と断言していることから、却下。そしてふたつ目だと「二分後に君が来なくとも 「イマ」というほうき星 君と二人追いかけてる」という部分に矛盾があり、整合性に欠けるので、これも却下。なので、私は3つ目に挙げた“過去の自分と成長した現在の自分の歌”説を元に分析してみる事にする。説明が長いので“自分の中の自分説”と題し、何故その説を取るのかというのをさらに細分化して書く事にしよう。


自分の中の自分説その1:『ダイヤモンド』『LAMP』『涙のふるさと』などの作品群
実はBUMP OF CHICKENの楽曲は自分の中にいるくすぶってる自分や、自分のなかにいる弱い自分という感じで、自分のなかにもうひとり自分がいるという歌がかなり多い。

「やっと会えた 君は誰だい? あぁそういえば 君は僕だ」
「弱い部分 強い部分 その実両方がかけがえの無い自分」
「変だな僕は君自身だよ 自分が信じれないのかい?」
「まだ生きていた僕の中で一人で 呼吸を始めた僕と共に二人で 僕だったからそれが見えた」
「会いにきたよ 会いに来たよ 君に会いに来たんだよ 君の心の内側から」

それだけじゃなく『メーデー』という楽曲では、「君に嫌われた君の」という君という相手のなかにもう一人弱い君という相手がいて、その弱い君だけを僕が助けるという構図になっている。他人のなかにいるもうひとりの他人をみているぼくという凄まじい視点から描かれたのが『メーデー』だ。自分のなかの自分という楽曲について、これだけBUMP OF CHICKENは歌っているのだ。


自分の中の自分説その2:「イマ」というほうき星 今も一人追いかけている
これも歌詞を読み込んで気づいたのだが、「今も一人追いかけている」ということは単純に、昔もひとりで追いかけていたということになる。もし、昔は誰かと一緒だったのならば、「今は一人追いかけている」になるからで、「今も一人追いかけている」となると、昔からひとりだったと考えるのが普通だろう。もうひとつ考えられるとすれば「昔は二人で天体観測してたけど、今、お前はもうどっかに行ってしまったなぁ、でもオレは今も一人で追いかけてるぜ」という凄まじい説明になってしまうが、それでもこの可能性もなくはない。


自分の中の自分説その3:暗闇に震える君
もし二人で天体観測をしたなら、暗闇に震えることはないはずで、少年が暗闇に怯えるのは一人でいるときだけだ。少なくても二人いればまだ怖くはない。震える手というのは寒かったからかもしれないが、それはまた別の話としておく…


自分の中の自分説その4:もう一度君に会おうとして 前と同じフミキリまで駆けてくよ。
もし君という存在が連絡が取れなくなった友人だったとしたら、もう一度会いに行くのになぜ同じフミキリに行かなければならないのか?この場合はやはり、昔、ほうき星が見れなくて泣き出しそうになったあのときの自分にもう一度会いに行くというのがいちばん自然な流れな気がする。


自分の中の自分説その5:そうして知った痛みを 未だに僕は覚えている
これから細かく書いていく部分になるが、もし『天体観測』の僕と君が同じ人物ならば、痛みを抱えているのはただひとりということになる。それは「予報外れの雨に打たれて泣き出しそうな君」だけである。予報外れの雨に打たれて泣き出しそうな君の痛みを僕が覚えているのは不可能で、自分の中の自分説を取るならば、痛みを感じているのは一人でないといけない。


さて、ここからは、一体『天体観測』が何を言わんとしたのか?そしてどういう状況の歌なのか?を分析していく。


分析その4:藤原基央自身が語る「雨の唄」
ネットからの情報なうえに文献が不明だったので、100%の情報ではないが、藤原基央の発言*1

「星の唄じゃなくて雨の唄」
「降らないと思っていた雨が降ってしまった、それによって知ってしまった痛みがある。それによって知ってしまった見えないものがあるっていう、そういう唄なんですよ」
「ラブソングではなくて雨の唄」

3つほど挙げたが、藤原基央自身は『天体観測』を「雨の唄」と何度も言っている。確かに『天体観測』には「ベルトに結んだラジオ 雨は降らないらしい」「予報外れの雨に打たれて 泣き出しそうな」という整合性を持った印象的なフレーズがある。つまり天体観測をしようとしたが、雨が降って来たので、静寂と暗闇の中を帰ったというのがある日の少年の行動なのだが、予報外れの雨、そうして知った痛み、望遠鏡で覗き込んでも見えないほうき星、これらは上記で藤原基央が発言した事のメタファーになる。ただ、予報外れの雨に打たれて泣き出しそうな痛みが君の痛みだとすると、ここで自分の中の自分説に二つ疑問が出てくる。


『天体観測』最大の謎その1:手を握る事が出来なかった僕
痛みを感じてる君の手を握る事が出来ない僕という構図が随所に出てくるが、「君の震える手を握れなかった 痛みも」という風に、握れなかった事を痛みに感じている僕が出て来て、これが自分説その5であえて書かなかった部分である。そしてこの部分こそが『天体観測』の中で最も矛盾しているところだ。昔の自分の手など今の僕が握れるわけないのに、何故、背が伸びて成長した僕は君の手を握れない事で痛むのだろうか?そして、「未だに僕は覚えている」と何故にその痛みに固執しなければならないのか?

『天体観測』最大の謎その2:ベルトに結んだラジオ
歌の出だし「午前二時フミキリに望遠鏡を担いでったベルトに結んだラジオ 雨は振らないらしい」この時点でラジオを持ってるのはどちらか分からない。ただ、この次のフレーズ「二分後に君が来た 大げさな荷物しょって来た」二分後に君が来ているため、文法的にはベルトに結んだラジオを持っているのは僕という事になる。もし予報外れの雨で泣き出しそうになってるのが君ならば、必然的にベルトを持っているのは君でないとならないのだが、何故君はラジオを持っていないのか。


そう、ここまで分析していて分かった事だが、もし自分の中の自分説を取るとこの矛盾点にぶつかるのだ。この2つの謎をクリアするためには新たな説を取らなくてはならないが、ここで考えられるのはただ一つだけだ――――それは――――


長くなったので、また次の機会にあういぇ。

jupiter

jupiter