ウィッカーマン

ウィッカーマン』鑑賞。ニコラス・ケイジ主演でリメイクもされたカルト的人気を誇るホラー映画。ウィッカーマンと聞くと、アメコミヒーローの1人か?と思われそうだが、ケルト民族に伝わる藁で出来た巨大な人間の形をした人形のようなものだ。んで、それが何をするものなのかを説明してしまうと映画のネタバレになってしまうので、ネタバレOKな人は検索していただいて。

主人公である警官の元に匿名の手紙が届く。12歳になる少女を捜して欲しいという内容だ。早速警官は少女が行方不明になったサマーアイル島に小型のセスナで向かう。島民に早速、少女の写真を見せるが、そんな少女など島民全員が知らないという。とりあえず捜査のために島に留まる事になった主人公だが、なんと、この島では、民族的な宗教が未だに根付いていて、夜になると、あちらこちらで青姦し、男が狼になるように、女も裸で踊り狂い、男を誘ったりする。子供には男の象徴はちんぽであるという事を教え、セックスに対し、とても寛容的だ。クリスチャンである主人公は寝る前に聖書を枕元に置いて寝たり、結婚するまで童貞を貫いたりし、かなり敬虔である*1。クリスチャンからすれば野蛮な宗教であるサマーアイル島の風習だが、村ぐるみで少女を隠してるのには、その宗教が絡んでいるに違いないとふんだ主人公は、年に一度、収穫を願うための儀式が行われている事を知る…

実際にある村で撮影されただけあって、リアリティと雰囲気はぴか一。牧歌的なフォークソングの妖しさや裸の女性がたくさん出てくるところも『ウィッカーマン』の魅力だろう。この島の絶対的な権威であるサマーアイル卿を演じたクリストファー・リーも『ウィッカーマン』の妖しさを加速させる。『ウィッカーマン』がおもしろいのは、出てくるキャラが微妙に怪しいというところにある。島全体はそれこそ争いもなく、土着的な宗教を崇めている以外は平和そのもの。そして、その微妙に妖しいという部分が、映画の肝でもあるわけなのだが、、、

ウィッカーマン』はラストに文字通りのどんでん返しが待ち受ける。詳しい事は書けないが、このラストは宗教的な皮肉と同時に、カウンターカルチャーも連想させる。『ウィッカーマン』のサマーアイル島は島民全員が社会主義国家のように平等に暮らしており、毎晩自由にセックスをし、アコースティックギターをかき鳴らし、フォークソングを奏で平和に暮らしている。ラストのどんでん返しで分かる事だが、島民は見た目や雰囲気とは裏腹にかなり理性的であり、計算に計算を重ねて主人公を導いた。平和を愛する頭の良い人たちが島民の本当の姿だ。邪教に完全に頭を狂わされてるわけではないのだ。

さて、『ウィッカーマン』だが、『偉大なるアンバーソン家の人々』同様、完全版のフィルムは消え失せてしまい、ずたずたに切り刻まれ、劇場公開された時の上映時間は84分である。関係者は「カットした部分に主人公の動機や宗教的な説明がたくさんあったのに」と嘆いているが、主演したブリット・エクランド(たしかこの人だったと思う、違ったらごめん)は「完成された作品を観ても、別に残念とは思わなかったわ、あの編集でよかったと思う」的な事をコメントした。個人的な感想だが、私も84分の長さでちょうど良かったと思う。行動だけが描かれた主人公は、敬虔なクリスチャンとして記号化され、キリストを信仰しすぎるあまり、とても人間らしい生活をしているように見えない。ボロボロの聖書を小脇に抱え、酒も少量で童貞であり、素っ裸で踊り狂うねーちゃんの誘いに悶絶しながらも、耐え抜く。ところが、その内面が見えないキャラクターだからこそ、敬虔すぎるクリスチャンへの幸せを観ている側が感じず、島民の方が楽しそうだなぁと、主人公以外の怪しい人物に感情移入してしまう。主人公よりも島民の方が人間らしい生活をし、幸せそうだ。それは関係者が嘆く、宗教的な説明を全て排除したからだとも言える。

ウィッカーマン』はキリストを否定し、別な宗教に救いを求めたヒッピー文化の脅威が背景にあったから生まれた物語だとも言えるし、第三者にフィルムをズタズタにされてしまったからこそ魅力が増した作品とも言える。ホラー的な要素の中にエロスとサスペンスとヒッピー文化の脅威が渾然一体となって不思議な世界観を作り出している『ウィッカーマン』は、体制に逆らいたいという事を心のどこかで思ってしまう若者をこれからも魅了し続けるのである。

その後リメイク版の『ウィッカーマン』を鑑賞。

ウィッカーマン [DVD]

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正直、リメイク版は失敗作だと思う。まず、どうして失敗したか。リメイク版では音楽やセット、登場人物全てがいかがわしく、一目見ただけで腹に一物抱えているのが分かるからだ。オリジナル版ではその腹に一物抱えてる感じと楽しそうに暮らしている感じを絶妙なバランスで保っていたのに対し、リメイク版では島民の生活が楽しそうに感じず、さらに全員が怪しすぎる。そしてニコラス・ケイジが人間味溢れるキャラクターに改変されてしまったので、ニコラス・ケイジへ感情移入してしまい、島民がどうしてあのような手段をとらなければならなかったのか?という部分に気が回らない。「こんなに楽しそうな生活が続かないかもしれない」という不安要素がゼロである。そして、1番の問題点は、主人公に様々なピンチが訪れるところだ。オリジナル版では主人公に直接的な危害を与えるシーンが実はなく、せいぜいウソを付くくらいである。ところがリメイク版では、ニコラス・ケイジは殴られ、閉じ込められ、足を折られ、散々な目に遭う。それこそ島民が野蛮な宗教人にしか見えないのだ。

つーか、リメイク版にはおっぱいが出ないんだよ!オレ的にはそれがダメ!

あういぇ。

*1:聖書の中で性行為は原罪とされており、当時のユダヤ教では結婚してから1年間はセックスをしてはいけないとなっている。マリアは処女のまま妊娠したので、原罪を背負う事なくイエスを生む事が出来た