過激な“マスかき”よりも健全な“ファック”を


パイレーツ・ロック』鑑賞。去年の映画なのに、新潟ではやっと公開。

その昔、ロックを聴いてギターを弾いてるヤツは不良と呼ばれる時代があった、ロックだけでなくフォークですら学生運動の象徴的な存在だった。日本でもこういう扱いだったのだから、ブリティッシュロックの本場であるイギリスではもっともっと規制されてたことは想像に難しくない。

パイレーツ・ロック』はそんな時代を舞台に一日中ロックを流し続ける「海賊ラジオ」で日々を過ごすことになった若者を描いた作品。

ぶっちゃけ映画に起承転結はまったくない。プロット上、敵対する政府側は完全なステレオタイプで、あの時代を徹底したリアリズムで描こうとはせず、どちらかというと『ALWAYS 三丁目の夕日』のように郷愁的なものとして描かれる。

主役もいるんだかいないんだか分からない。そのスタイルは群像劇であり、男同士の友情を緩い展開で紡いで行くということで、雰囲気はアルトマンの『M★A★S★H』を彷彿とさせる。

そんな中で効果的に使われるのがやはり音楽。監督の趣味全開という感じで、60年代のブリティッシュロックが映画を見事に彩る。有名どころからマイナーなところまで使用されていて、この映画を観ただけで、70年代までのロックは完全に網羅出来るほどにビッシリ使われている。

そして、その音楽を活かす為、会話のシーンが見事に構築されている。タランティーノのヨタ話とは違い、マニアックにならないように、用語を最小限にとどめながらロックの素晴らしさを謳い上げてくれる。

なので、ロックが革命を歌っていた時代を愛してる人には感涙モノだし、その時代を知らない人にもバッチリアピール出来る作品に仕上がっている。

あまり言いたくないのだが(昔はよかったけど、今は…というジジイが大嫌いなので)、ぼくはこの時代のロックンロールをこよなく愛している。言ってしまえば、ロックは80年代で完全に死んでると本気で思っている。だからマンドゥ・ディアオが「オアシスと比較されることが多いけど、僕としては影響を受けたのはオアシスが影響を受けてきたのと同じ音楽からなんだ」と発言したことには同意してしまう。

ロックとは生活にかかせないものだ。失恋したときも、仕事でミスしたときも、テンションを上げるときも、ロックが常に側にあった。『パイレーツ・ロック』はそんなぼくらのための映画であると断言出来る。

フィリップ・シーモア・ホフマンが大演説をした後で『Wouldn't It Be Nice』を流すシーンが最大のクライマックス。ぶっちゃけぼくは冒頭から号泣しっぱなしだった。とにかく叫ぼう、ロックンロール!!と、そして、若い人たちもロックンロールを聴くような世の中になれ!あういぇ。

パイレーツ・ロック オリジナル・サウンドトラック

パイレーツ・ロック オリジナル・サウンドトラック