『ゴールデンスランバー』を読んだ


ゴールデンスランバー』を読んだ。本は定期的に読んでいるが、小説を読んだのは久しぶりだ。だめだ、もっともっと小説も読まないとなぁ。

500ページもある作品なのだが、難しい言葉や読めない漢字などが一切無く、さらにずーっと同じリズムを刻み続ける文体のおかげで、驚異的なスピードで読み終わった。多分、酒を飲んでいなければ、1日で読めたと思う。

ぼくは映画の数作しか観てないので、伊坂幸太郎のことはまったく分からないのだが、『ゴールデンスランバー』はなかなか楽しく読めた。逃げ続ける主人公というのが一番のドライヴ感を生み出していて、細かい伏線が回収されるにつれ、パズルが組み上がっていく快感みたいなものが魅力。物語の骨格よりも、セリフのかっこよさや魅力的な登場人物などが読む者のテンションを上げていくような気がした。しかもそれを全部計算でやってるような感じもするし、書いてる本人も楽しんでいるんだろうなぁというのがとても伝わった。実際、『ゴールデンスランバー』の主人公である青柳は、国家の陰謀に巻き込まれたことに落胆してるとは思えない、むしろそのことで決まりきった生活を打破出来たことに快感を覚えてるように思えた。これはぼくだけなのだろうか。

ぼくが『ゴールデンスランバー』を読んですぐに連想したのは、映画監督のガイ・リッチーである。『シャーロック・ホームズ』を撮ってしまって、いまや職人監督になってるきらいがあるが、実際にガイ・リッチーが得意としているモチーフと『ゴールデンスランバー』はよく似ている。似てるなと思ったのは以下の点。

・偶然が偶然を呼び、驚異的な運の良さで助かる主人公
・物語の骨格は普通なのだが、伏線の張り方と回収が上手く、それをオチにまでしている
・時間軸の入れ替えとそれぞれの視点から描き出される物事
・小粋なセリフとマンガから抜け出して来たみたいな登場人物
・常に巨大なヘッドホンをしながら、デカい銃を撃つキャラクター

ガイ・リッチーと言えば、“和製ガイ・リッチー”を名乗る戸梶圭太大先生がいるので、個人的に『ゴールデンスランバー』を読んでおもしろいと思った人は、是非戸梶圭太の『なぎらツイスター』も読んでもらいたい。ぶっちゃけ『ゴールデンスランバー』はウイスキーで言えばブレンデットのようなもので、五角形のグラフがそれぞれ均等に平均点以上を出してて、何かが突き抜けてないのである。そういう物語を書いたと言われればそれまでだが、ぼくはどちらかというとピートの利いたシングルモルトが好きなのだ。っていうか、伊坂幸太郎って『重力ピエロ』とか『アヒルと鴨のコインロッカー』みたいな狂った話を書く人じゃなかったっけ?

さて、原作と比較するとか書くとナンセンスだと思われるだろうが、小説『ゴールデンスランバー』を読んで分かったのは、中村監督の取捨選択のうまさである。そして『ゴールデンスランバー』は映画をかなり意識した作品だ。

まず、映画と原作の決定的な違いは構成とアクションだ。読んだ方なら知ってるが、映画は青柳視点で進み続ける。これによってスピード感が増した。アクションについては原作で青柳は結構無茶をしている。『ダイ・ハード』で言えば、消防のホースでターザンするみたいな無茶だ。しかもそれがあるポイント、ポイントで出て来るのだけれど、映画ではそれをバッサリと切っているのである。実際、『ゴールデンスランバー』は相当無茶苦茶な小説で、あり得ない偶然や現実にいないキャラクターがわんさか登場するので、アクションまでも荒唐無稽にすると、リアリティが欠如してしまう。中村監督はそのバランスを考えて、人物描写で無茶をすることを選んだ。これは大正解だったように思う。

さらに素晴らしいのは堺雅人。『ゴールデンスランバー』は魅力的な登場人物が出て来ると書いたが、主人公の青柳と元カノの樋口がそこまで魅力的じゃない。むしろおもしろいのはその脇にいる、キルオと保土ヶ谷と岩崎と轟だ。ハッキリ言ってしまえば主要のキャラクターがまったく活きてないように思えた。それが普通の人々という風に書いてるのかもしれないが、脇役と主役たちのインパクトの差は歴然だ。ところが、堺雅人がこれに息を吹き込んだ。軽妙な話し方と屈託の無い笑顔で何処からどう見ても良い人にしか見えず、その良い人が事件に巻き込まれていくおもしろさが出たと思う。

そして、当たり前だが、映像にすることでおもしろくなったのは伏線だ。文章だと説明っぽく感じてしまって、いかにも伏線ですよというのが目立つのだが、映像にすることでそれが説明でなくなり、しかもかなりサラっと映されるので、「あれが伏線だったのか!?」という驚きが映画は小説よりも上だ。あと、小説で物語の後半は青柳と樋口のカットバックだが、これは明らかに映画を意識して書いている。なので、映像だとよりスピード感が増すので、映像にした方がおもしろい。回想シーンも映画では映像で一発で分からせることが出来るが、小説だと「10年前の」とか「大学生の」とか、ワンテンポ遅れて、回想してることに気づかされるので、イマイチ乗れないところもあった。ここも映画化して正解だったところだと思う。

ただ、説明っぽいことを逆手にとってるところもある。一番関心したのはビートルズのくだりだ。映像にして、キャラクターに喋らせると、無茶苦茶浮くようなビートルズの説明が、主人公の心象になっていて、結構すんなりと受け入れられるようになっている。映画からの引用も文章にすると違和感を感じなくなるのはうまいと思った。

もちろん、映画で変えてしまったことに不満もある。まず、クライマックスが微妙に違っていて、映画では、原作になかったことが+されてるのだが、それがどう考えても不必要なのである。そのためにiPodを持ち歩いてるという設定が加わったが、何故このシーンをいれなければならなかったのかが分からない。だって原作にはないんだもん。

あと原作では青柳が痴漢に間違えられて捕まりそうになるというのがあるのだが、これが映画ではカットされた。確かに尺も喰うが、これを入れないと、青柳が両親に宛てた手紙の意味がまったく無くなる。いや、無くなりはしないのだけれど、感動が大きくならない。ロック岩崎とのやりとりを無くしてしまったのもマイナスだ。中盤で岩崎が青柳を助ける理由が無いので、何が起こったのかちょっとだけ分からなくなる。信頼することだけで青柳は逃げ続けるのだから、その肝になる部分はあまり削らない方がよかったんじゃないか?

ただ、小説も映画も『ゴールデンスランバー』はおもしろい。なんやかんや文句もあるが、何故か嫌いになれないところがある。それでもぼくは小説より取捨選択を見事にやってのけた映画を推したい。映画版はもう一回観ようと思うのであった、あと、『陽気なギャングが地球を回す』も読んでみようと思う、これこそガイ・リッチーに近いんじゃないか?

あ、そうそう、書き忘れたが、良くしてもらってる洋食屋さんのマスターが『ゴールデンスランバー』を絶賛していた。ぼくが「それでもかなり主人公にとっては理不尽で、悲惨な話ですけどね」と言うと、マスターは「いや、警察は有罪にするためならどんなこともやるよ」と言った。マスターは配達の途中でババアに接触したのだが、その時のババアの証言が検察によって書き換えられたらしく、今裁判で戦っているところだったことを思い出した。「オチがすごく好きなんですよ、救いがないですけどね」とさらに言うと、マスターはこんな言葉で締めた。

「いやぁ、人生なんてそんなもんだよ」

軽妙な言い方でさらっと言ってのけたが、すごく重かったなぁ。リアル『それでもボクはやってない』だもんなぁ、またビーフカレー食べにいこーっと。あういぇ。

ゴールデンスランバー

ゴールデンスランバー

ゴールデンスランバー~オリジナルサウンドトラック~

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