殺人よりも殺人未遂の恐怖『エル』

『エル』鑑賞。

エル [DVD]

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ルイス・ブニュエルという名前は『アンダルシアの犬』という映画で知っていたが、目ん玉にカミソリの刃を入れるというシーンがあると聞いただけで、観ておらず完全な喰わず嫌い状態である。ぼくは首が飛ぶとか、腕がもげるとかは問題ないのだけれど(むしろあった方が嬉しい)、目にナイフがどうしたとかはとても苦手で、トム・クルーズが『M:I-2』で、目にナイフを近づけるシーンもまともに観れないくらいだ。だから目に何かが刺さるというシーンがあると聞いただけで『サンゲリア』と『ゾンゲリア』も観ておらず、『時計じかけのオレンジ』のルドヴィコ療法も、暴力フィルムを見せることよりも、目を開かせるマシーンを取り付けることの方がイヤで、マルコム・マクドウェルがあのマシーンで失明しかけたというエピソードを聞いてからは、つい目を細めて観てしまうのであった。

話がだいぶそれたが、なんでブニュエルの『エル』を観ようと思ったかと言うと、いまや映画評論家として有名になりつつある、宇多丸師匠が好きな映画としてこれをあげていて興味があったので、DVDを注文した。4700円と高額だが、楽天のポイントとお店を駆使して2400円くらいで手に入れることが出来た。ネット社会万歳。

さて、この『エル』という映画。ストーリーも内容もまったく分からない状態で鑑賞したのだけれど、とても怖い作品で、観てる間、ずっと手に汗握った。超大金持ちである主人公が教会で出会った女に一目惚れし結婚するも、異常な嫉妬心と妄想癖により、精神に異常をきたしていくという話で『ミザリー』も『シャイニング』も気が狂った人が登場するわけだが、『エル』に比べればまだかわいいもんである。

DVDに付いて来た解説書を読むと、『エル』はパラノイアな男を観察した映画であるらしい。パラノイアについて調べてみたら、なんと『エル』の主人公の行動と一致したので、ホントに気が狂った人を忠実に映画化した作品なんだなぁと観終わってからも底冷えするような恐怖感が抜けなかった。気が狂った人の映画はどこか冷めた視点で観てしまうというか、「まぁ、言っても映画の中の人だよね」というところがあるのだが、『エル』の場合は、ホントの精神病を完璧に映像化しているので、リアリティがハンパじゃないのである。恐らくTV放送は不可能だろう。

パラノイアとは精神病の一種で、しかも、強い妄想を抱いているという点以外では基本的に普通の人と変わらず、故に『エル』はいつその狂気が爆発するか分からないという怖さが常につきまとう。ちなみにパラノイア症状は以下の7つ。

1. 挫折や拒絶に過度に敏感
2. 侮辱を容赦出来ず、恨みを抱き続ける
3. 疑い深く、他人の行動を歪曲して受け取る
4. 個人的権利を執拗に求める
5. 病的に嫉妬する
6. 過度の自信を持ち、常に自分を引き合いに出す
7. 自己の周囲や世間一般の出来事について「陰謀がある」という考えにとらわれる

しかも『エル』は映画的な魅力に満ちた作品でもある。流麗なカメラワーク、ダイナミックな撮影、隅から隅まで完璧に構築された画面、セリフを削りに削って役者の表情だけで見せ切る演出など見事。クライマックスでは映画にしか出来ない方法でパラノイアの末期症状を表現しており、ジグザグに歩くだけで観る者の背筋を凍らせるラストなど、派手さは無いが見所はかなり多い。

ぼくが『エル』を観て思ったのは、殺人よりも殺人未遂の恐怖である。『エル』には殺人をするシーンは無いが、妻を何度も殺そうとしてやめるシーンが多く「オレにはいつでも人が殺せるんだぞ」ということを誇示してるようで、ジワジワとした怖さが最後の最後まで持続する。しかもそれが気が狂った人であればなおさら何するか分からないという怖さがある。

さらに『エル』が恐ろしいのは「こういう要素、オレにも少なからずあるかもしれない」と思わせるところだ。実際、病的な嫉妬心というのは恋愛において、けっこう居るタイプだと思うし、それに取り憑かれて、妄想を際限なくするというのは、パラノイアとは関係なく人がやることだったりもする。だから『エル』を観ると、主人公の気持ちが結構分かるので、それを恐れる奥さんを見てると胸が痛くなってしまうのだ……

と、多面的な魅力がある傑作なのだが、残念なことにDVDを買うくらいしか今は観る手段がなく、なかなか手に取ってる人はいないんだろうなぁと思ってAmazonの『エル』のページを観ると――――

なんと『エル』を買ってる人は『ヤング・ゼネレーション』も『アポカリプト』も買っているのであった。これは全部宇多丸師匠が好きな映画として公言している作品。すげぇ!これぞ宇多丸効果だ!

というわけで、宇多さんおすすめの『エル』がとてもおもしろかったので、次は『ヤング・ゼネレーション』も観ようと思うのであった、ホントにおすすめですよ!あういぇ。