こないだバイトの後輩とカラオケに行った時に後輩がRADWIMPSを歌いだした。
その時にそいつが「RADWIMPSのラブソングって良いんですけど、歌うのちょっと恥ずかしい時ありますね」と言った。
これはとても言い得て妙だと思った。この場合の“恥ずかしい”は良い意味であって、決して悪い意味ではない。だからこそ言い得て妙だなと感じたのである。
例えば、某みどーーーーりというグループがいるが、彼らを代表する曲に「君を愛してる」的なフレーズがある。ところがこれをカラオケで熱唱したりしても恥ずかしくはないし、誰かが歌ったとしてもさらっと聞き流してしまえる。その他のアーティストの曲――――「生まれ変わってもあなたに会いたい」とか「百万回の愛してる」「おいしいパスタ作ったお前」なんかも同様。
ところがだ、おもしろいことにぼくが知ってる限りのRADWIMPSの楽曲には“愛してる”という言葉があまり出て来ない。なのにも関わらず“愛してる”という言葉が入ってる曲よりも、愛してる感が伝わって来るのだ。故に、ちょっと恥ずかしいし、ものすごく共感したりもする。
この違いは何なのかと考えたが、それは単純に歌われてる内容が“愛してる”以上の気持ちを表現していて、それが本心以外の何者でもないからだ。正確に言うとラブソングとはちょっと違うんだけれど、それでも愛してる人への表現が究極なところまでいってると思う。
RADWIMPSの楽曲は「男が絶対に一回は経験する別れた女への未練」が女々しく綴られていく、その名の通り『me me she』という曲もあるくらいの女々しさだ。しかも、その失恋は本人にとって死ぬほど辛かったものらしく、その一つの経験が何十曲とわたって書かれている。
特に『有心論』という曲がすごい。
歌詞を書いた野田は「神様は信じられないけど、自分の心なら信じられる」とハッキリ言い、愛した人を「地上で出会える神様」と歌い、君がいないと生きていけないということを延々歌い続ける。「君が心の中にいる」というのはよくあるが、「君」という存在を心臓/左心房に例えて、それが全身に脈を打ち、白血球/赤血球という愛を送るという風に歌うなんてのは未だかつてなかったんじゃないだろうか。
この「神は信じないけど自分を信じる」というのは「ぼくはキリストも聖書も大統領もプレスリーもディランもビートルズも信じない、ただ愛するヨーコと自分自身を信じる」と歌ったジョン・レノンの『God』と精神が一緒だ。実際、ぼくが初めて『有心論』を聞いた時、すぐに連想したのは『God』だった。
中途半端に絵空事で愛を語ると嘘くさいどころか、流行歌として消えものになってしまう。ましてや恥ずかしいなんて感情は絶対に出て来ない。どうせ愛を語るなら、こっちが気恥ずかしくなるところを突いてきてほしいものだ。RADWIMPSの曲を聴くと、いつも恥ずかしいような、気まずいような、イヤなところを突かれてるような気分になる。もちろん良い意味で。
ちなみに『有心論』だが、近々発売されるBank Bandのアルバムに収録されることが決定した。ミスチル櫻井和寿がこの曲をどのように歌うのか非常に楽しみである。
あと、今回の記事を書くきっかけをくれたバイトの後輩がブログを始めました。パンクに造詣が深く、その方面に特化した内容のブログになるみたいです。よかったら除いてやってください。
あういぇ。

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