伊勢谷友介の『カクト』がヒドすぎる!
DVDで伊勢谷友介初監督作の『カクト』を観た。理由は加瀬亮が出てるからである。
- 出版社/メーカー: バンダイビジュアル
- 発売日: 2003/12/21
- メディア: DVD
- クリック: 5回
- この商品を含むブログ (20件) を見る
話がだいぶそれたが、伊勢谷友介の『カクト』。これがとんでもなくヒドい代物で、映画としてやってはいけないことの塊みたいな作品だった。観た後はかなり腹が立ったが、今となっては逆に「こういう映画が成立するんだ!?」という驚きを隠せない。っていうか、これ当時の「プレミア」でかなり好評価だったよね?なぜだー!
『カクト』は冒頭からムカムカする演出を見せつけてくる。
カラックスのようなボソボソしたつぶやきに、ノイズの入った映像が重なる。恐らく覚醒するときの感じを出したかったのだろう、自分自身に語りかけて、ノイズを突き破って目覚めろみたいなことだと思うのだが、まずこの時点で退屈極まりない。
それを過ぎると、スロー&ハイスピードのモーション映像が連発される。ただし、人が歩いて電話する長回しのシーンでそれをやるので、やっぱり退屈極まりない。
ここからがすごい。いろんなキャラクターが配置されて、各々の生活が映し出される。でも、誰が誰なのか、一体どういうストーリーなのかというガイドラインと説明が一切ないまま進んでいくので、さっぱり分からない。主語の無い会話というか、「んで、何の話をしているの?」という疑問がずーっと続いていき退屈極まりない。
さらに困ったことに、映画が進むと、その各キャラクターが徐々に絡み合っていくので、疑問がさらに倍増されていく。彼らは友人同士なの?過去に何かがあったの?んで、なんの職業なの?
20分ほど何も起こらないまま進んで行くのだが、見始めて30分経ったらようやく伊勢谷友介が現われる。でも、やっぱりこいつが何なのか分からない。
そこからドラッグとヤクザが絡んでいって――――というストーリーになるのだけれど、ここからまたヒドさが増して行くので、この辺は是非本編を観て確認していただきたい。
一番タチが悪いなぁと思ったのは、会話のシーンだ。
若者が喋るようなアクセントをふんだんに使いつつ、ナチュラルな会話が繰り広げられる。恐らく台本に書かれたものではなくアドリブだろう。リハーサルである程度固めて本番一発で望んだに違いない。
だが、その会話シーンの提示の仕方が「こういう会話を使うとリアルっぽく見えるっしょ?」という押しつけでしかなく、そのイライラに拍車をかける。普通に生活していて、会話がまったくおもしろく無い人と話すとイライラするが、あれが全編にわたってあると思っていただけると想像がしやすいかもしれない。
映画においてリアリティのある会話とは、映画のストーリーにまったく関係ない話を繰り広げるということにあるのではないかと思っている。故に、それだけで映画の画が持つような脚色や演出はある程度必要なのではないか?『レザボア・ドッグス』の冒頭だって、本編にはまったく関係ない話をしているが、あれに掴まされた映画ファンは山ほどいたはずだ。『タクト』にはそれがない。なぜなら本当につまらない話をしているからである。
よく映画ファンがガイ・リッチーに対して「チャカチャカした編集でタランティーノもどきの会話をちりばめた、中身のない映画を撮る人」なんて言い方をするが、もし彼らが『カクト』を観てしまったらどういう反応を起こすんだろう?ぼくはガイ・リッチーにそういう印象はないので、それこそその言葉はホントにこの『カクト』に当てはまるのだと思う。だからガイ・リッチーやクドカンにギャーギャー言ってる人はとりあえず『カクト』を観ることを義務づけたい。マジで。
まだガイ・リッチーやクドカンは娯楽に徹してるからいいものの、『カクト』はアート系を気取ってるから、それで退屈してしまったのかもしれない。*1
映画の感想というのは千差万別であり、解釈も違うが、一つだけハッキリ言えることは「ガイ・リッチーやクドカン作品が嫌いな人が『カクト』を好きになることは絶対にあり得ない」ということだけだ。似たテイストで言えばキリキリの映画を思い出すだろうが、それよりも遥かにヒドい。タイトルのカクトとは覚醒する人を意味する造語だが、ホントにある意味で覚醒出来るような映画だった。ぜひみんなもレンタルして観てみよー!あういぇ。
PS.あ、加瀬亮のブチ切れ演技はおもしろかったよ。