今の時代、無賃乗車が出来ない我々は何をすればいいのか…『北国の帝王』
『北国の帝王』鑑賞。ハイビジョン放送していたものを奇跡的におかんが録画しており(おかんは北国で狼みたいのが出て来る映画だと勘違いしたらしい)、何故かそれを埼玉から来ているばあちゃんと一緒に観た。
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映画が始まって、無賃乗車するシーンから始まり、最後までその繰り返し。ただ、映画はそれしかないため、最初から最後まで目が離せない展開になっている。
スタイリッシュとは無縁の絵作りで、ロックで言えばアメリカ南部の空気をたっぷり吸い込んだスワンプロックという感じ。脂ぎった汗臭い男たちの顔が画面いっぱいに覆い尽くされる。実際、クローズアップが多用され、ホントに暑苦しいったらない。もちろん良い意味で。
単純に無賃乗車を繰り返すだけと書いたが、あの手この手を使って、無賃乗車を繰り返し、そのディテールが細かいのでまったく飽きることがない。主人公は伝説の無賃乗車男だが、これをリー・マーヴィンが見事に演じている。彼の足を引っ張る若手無賃乗車男にキース・キャラダイン。これが映画を盛り上げるためのいい隠し味になっている。
さて、この映画を観ておもしろいと思ったのはホーボーと呼ばれる男たちだ。
アメリカ大恐慌の時代、職がない男たちはその日暮らしで、アメリカ各地を放浪していた。もちろんただ乗りで。そういう人たちをホーボーと言ったらしい。いわゆる旅するホームレスである。
ホーボーというのは実際にあったことなのだが、不況が叫ばれてるこの昨今、改めてこの映画は特別な光を放ってるのではないかと思った。
リー・マーヴィンは無賃乗車を続ける。無賃乗車をすることで何かを得られるわけではないが、とにかく無賃乗車をし続ける。時には仲間を失いながら、命をかけながら無賃乗車を続けるのだ。観ている我々もそこまでしなくてもいいのにと思うくらいに無賃乗車を続ける。
なぜ、リー・マーヴィンが無賃乗車を続けるのか?それは彼らにとって、それしか社会に対向出来ないからだ。そうしないと自分という存在を社会に示せないからである。映画の中ではホーボー社会というのが確立されており、学歴も年齢も関係なく、無賃乗車をしまくることだけがホーボーの尊厳で、唯一の自己を支えている。彼らは、例えクズと呼ばれても己の尊厳をかけて無賃乗車を続ける。現に車掌さんはホーボーたちを社会のクズと言い放ち、殺そうとするのである。
リー・マーヴィンは最終的に車掌と対峙することになるのだが、このシーンは飛び切りすごい。ここには階級も職業も関係ない、本当の男と男の戦いになるのだ。それこそ無賃乗車も関係なくなってしまうのである。
言ってみりゃこの映画は『ファイト・クラブ』にも通じるメッセージがあるわけで、故にぼく的にはこの映画は大傑作なのだけれど、無賃乗車が出来ないこの時代にぼくらは一体何をすればいいのだろうか……