この辺から「どうした?」と言いたくなる『彼女について私が知っている二、三の事柄』

ぼくはゴダールがまぁ好きと言える方である。どちらかというとフォロワーであるウォン・カーウァイレオス・カラックスの方が好きだが、やはりゴダールがいなければ、彼らは――――というか彼らのスタイルは存在していなかったであろう。そういう意味では映画界に革命を起こしたゴダールはやはり偉大な監督ということになるかもしれない。それでもなぜフォロワーの方に惹かれてしまうのかというと、ぼくはゴダールの全作品が好きではないからだ。というよりも好きな作品と言えるものが少なかったりする。

いわゆる中期以降、政治に対する思想観や詩を引用して言葉が出過ぎてる作品はあまり好きではない。そのギリギリのラインが『気狂いピエロ』で彼が映画の中でやりたかった事はこれで完成してしまっているように思える。なので、それ以降のゴダールは映画としてパワーダウンしている節がある、もちろんそれはそれでいい作品も多いのだろうが、この『彼女について私が知っている二、三の事柄』はぼくにとってゴダールの嫌な部分が多く出ている作品だ。

都市の首都化計画で日々の暮らしに不安を覚える人の話をドキュメンタリータッチで描いているこの作品。たしかにリアルである。TVで密着取材とかするあの映像の感じが良く出ている。それに加えて、ゴダールの卓越されたポップセンスが映像から溢れ出ていて、映像のかっこよさ、ポップさという点ではかなり見応えがあるだろう。

ただ、政治批判だったり、自己探求という、言葉のみにこだわった演出はやりすぎるとこちらの眠気を誘うものになってしまう。ぼくが『ベルリン・天使の詩』をいまいち好きになれないのはこの部分が強過ぎるからであって、そんなもん映画で見たくないんじゃ!ゴダールの映像エッセイを読んでいると言えばいいだろうか?ぼくがゴダールに求めているのは政治哲学ではなくて、アヴァンギャルドでハチャメチャでやりたいことやってる感じなのだ。こういう字幕をダラダラと読まなければならないような映画は退屈なんじゃ!朝まで生テレビか!

個人的にはもっと主婦と娼婦を両立させている主人公に迫って欲しかった。あの女優さんはすごく魅力的で「さすがゴダールの目利きはいい!」と思う。せっかくいい題材なのだから、『女と男のいる舗道』の様に章立てして描いてもおもしろかっただろう。個人的にこの作品の好きな所は、その娼婦をやる主婦がセックスについて語るところ――――むしろそれしか印象が……

というわけで、ゴダールのすべてを受け入れることはぼくには出来ませんでした。別に受け入れようとも思ってないけど、だって退屈だったんだもん!しょーがないじゃないか!あういぇ。