「若者の時代」の小さくも大きな挫折『マイ・バック・ページ』

マイ・バック・ページ』鑑賞。

映画評論家の川本三郎氏が、朝日ジャーナルに記者として所属していた際に遭遇した朝霞自衛官殺害事件。その犯人を思想犯として追いかけた日々を記したノンフィクション『マイ・バック・ページ』の映画化。

東大安田講堂事件を「見ていた」だけで、何も出来ずに憤りを感じていた沢田は新聞社に入社。自分が果たせなかった「何か」を埋めるため、ジャーナリズムの理想を追い求めて駆け回り、その時に出会った学生運動家の梅山に妙なシンパシーを感じた沢田は彼を綿密に取材し始める。彼を紹介した上司からは「どうもあいつはうさん臭い、あまり近づきすぎるな」と忠告を受けるが、そんな中、自衛官自衛隊の敷地内で刺殺されるという事件が発生する………というのがあらすじ。

細かいところに気を配ったセットや美術、衣装も素晴らしいが、それを粒子の荒い、色彩がきつめの映像で色を塗り、圧倒的なリアリティを獲得。正直、主役の二人から昭和の雰囲気は漂ってこなかったが、それを補って余りある熱演を披露。『69』で学生運動に感化された若者を演じた妻夫木聡と、これまた学生運動がさかんな時代を舞台にした『ノルウェイの森』で主人公ワタナベを演じた松山ケンイチが、再び学生運動を舞台にした映画で初のタッグを組むというこれ以上ないキャスティングからも分かるように、その二人の演技が最大の見所であり、この物語は元々実話だけあって、まったくそれ以外に映画的に盛り上がりのない、いわばダラダラとした展開を見せつけ、唐突にブツっと終わり、観客を宙ぶらりんの気持ちのまま置き去りにしてしまう。

この作品で描かれるのはカウンターカルチャーの敗北であるが、少し視点が違う。

アメリカンニューシネマがそうであったように、若者が本気で世の中を変えれると思っていた時代がこの日本にもあった。当然ながら、それは答えを見つけられないまま、既存の体制に向かって反攻したのだが、この物語は事件のまっただ中にいた運動家ではなく、その運動家を偉大なカリスマとして追いかけてしまった記者の視点から、その記者のこれ以上ない敗北と挫折が描かれていく。

映画を見れば分かるが、自称学生運動家の梅山は「武器を奪ってこい」という指令以外は何もしていない。梅山のグループの一員が、梅山のリーダーとしてのやり方が理解出来ないと、議論が始まるのだが、議論を吹っかけられた相手に見事に梅山は論破されてしまい、何も言い返せなくなってしまう。しまいには「これはオレが作ったグループなんだよ!気に入らないなら出てけ!」と言って逆ギレし、大勢がグループから抜けるというシーンからも分かるように統率力も頭のキレもない。

そんなどうしようもないチンピラをカリスマ活動家として追いかけてしまったことから沢田の悲劇が始まる。あらすじにも書いた通り「あいつはうさん臭いから近づきすぎるな」という先輩の忠告が見事に当たってしまうのである。

マイ・バック・ページ』はボブ・ディランの『マイ・バック・ページ』という曲から取られたタイトルだ。

主題歌として真心ブラザーズ奥田民生が限定ユニットを組み、ビートルズ風のアレンジと吉田拓郎のような字余り気味の日本語詞でカバーしているのだが、その歌詞にはこう書いてある。

「あの頃のぼくより、今の方がずっと若いさ」

あの頃のぼくというのは、安田講堂を「見ていただけ」の「ぼく」であり、その頃よりも、活動家を必死になって追いかけていた方が「若い」という沢田の心象と行動がこの歌詞にリンクする。

ラスト、長回しで延々と沢田の「とある行動」が映され、様々な解釈が可能となっているが、あれはアメリカンニューシネマにおける主人公の敗北=死と同じである。というよりも死ぬことも出来ずにグルグルと無限地獄を味わうような、そんな結末だ。あえて、その時に友人がわざわざ「まぁでも生きてるだけマシだよなぁ」と言わせるあたりも、それが顕著を表すためのものだったのではないか――――と言いながらも、これは実話を元にしているので、ただ単になんの考えもなく、ああいう行為をしてしまっただけで、ものすごく深読みになってしまっている可能性もあるが……

というわけで、すこし長尺で、若干ダレるところもあるし、言えば映画的な展開は一切ないので、かなり退屈する人はすると思うが、個人的には好きなタイプの映画で楽しめた。ただ、観終わったあとはグッタリしてしまうので、そこだけ注意していただければなと、あういぇ。

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