その愛にむせび泣く『SUPER8/スーパーエイト』

超話題の『SUPER8/スーパーエイト』を初日の初回に鑑賞。どんだけ楽しみにしてたんだ、オレ。

ホット・ファズ』を観たときに、主人公二人が横っ飛びしながら2丁拳銃をぶっ放すシーンで泣いてしまった。それは田舎にいて、なんの大事件にも巡り会わないポリスアクションオタクの夢が映画の中で叶ったからではない。ストレートに「あの人*1」の映画への愛が画面に溢れていたからで、その愛が観客側にシンクロしたとき、まったく泣くようなシーンでもないのに、映画ならではのカタルシスが生まれ、つい反応してしまうのだ。

SUPER8』は全編、全シーン、全カットからその映画への愛が気恥ずかしくなるほど満ち溢れていた。

1979年のオハイオ州が舞台。ゾンビ映画を作るため、6人の少年少女たちが集まり、夜中にこっそり家を抜け出して撮影をしていたところ、脇を通っていた列車が車に衝突し、激しい脱線事故が起こってしまう。逃げ惑いながらも、カメラを回していたことに気付いた彼らは、そのフィルムを現像することに――――フィルムが現像されるまでは3日かかると言われるのだが、その頃町では異変が起きはじめていて……というのがあらすじ。

エポックメイキングな作品を連発してるわりに、そこまで表立ったフォロワーが居ないように感じたスピルバーグに対し、J・J・エイブラムスが「ぼくはあなたの子供だ!」と、これ以上ないくらいにオマージュを捧げた作品。当初、そのつもりはなかったらしいのだが、製作にスピルバーグが関わったことで、どんどんその香りが増していったという。

つまり嗅覚鋭い企画屋というイメージが強かったJ・J・エイブラムスのパーソナルな部分と、製作にも関わってるスピルバーグのタッチが見事に合致し、観客を楽しませようというエンターテインメント性が大爆発したということになるだろう。

照明から画角、色彩など、そのまんま古き良きスピルバーグ作品を観ているかのようで、ここまでやってくれればぐうの音もでない。製作に名を連ねていて、どの程度撮影に関わってるのかは不明だが、現場に出向いて、「ここはこうやって撮ったらいいんじゃないかな?」みたいなアドバイスをしてることまで想像出来てしまうくらい、そのタッチは著しい。

ハッキリ取り込まれたのはスピルバーグの代表作とも言える「アレ」と「アレ」*2なのだが、その他にも「アレ」も念頭においておくといいかもしれない*3。他にも『グーニーズ』や『スタンド・バイ・ミー』、『アメリカン・グラフィティ』など、「あの頃の青春」をテーマにしたものは基本的に具材としてふんだんにぶち込まれる。だが、それを濁らないようにスッキリまとめ、それぞれが際立つように味付けしたのは見事だし、舞台を現代ではなく79年に設定したのも郷愁感を誘い、ぼく世代は「あの頃の映画を観ているんだぁ」という感覚にさせてくれる。きっと当時に生きた人はもっと懐かしい気持ちになるのではないだろうか。

ハッキリ言ってしまえばそれらのサンプリングによって作られているのでオリジナリティはないし、ストーリーも王道中の王道でどこかで見たようなものなのだが、リドリー・スコットが『グラディエーター』を撮ったように、あえて今の時代に「こういう映画をスクリーンでもう一度!」という精神は高く買いたい。実際、その姿勢は製作を担当した『クローバー・フィールド』や『スター・トレック』から一貫しているし、そういった映画的な記憶を逆行させてくれるという意味ではタランティーノの『キル・ビル』にも通じるものがあり、それをもっと整理整頓させましたという印象がある。故にすべてのシーンに意味があるようになっており、それがちゃんとラストに向かって機能してるあたり、詰めが甘いと言わせない作り。

というわけで、今まで「あとちょっと感」が否めなかったエイブラムス監督作*4の中では群を抜いた傑作。ストーリーについては話せないタイプの映画なので、まぁホントに何の情報も入れずにでっかいスクリーンで観ることをおすすめしたい。あういぇ。

子供の頃に映画ってものを知らずにこれに出会ったら間違いなく大感動するね!

*1:ハトとか出したり、スローモーションとか使ったりする人

*2:もういろんなところで言われてるから今更伏せてもという節はあるが

*3:この場合の「アレ」は観た人なら絶対に分かるはず

*4:クローバーフィールド』は監督が違うし、ぼくは大傑作だと思っている