ハイテンション遭難ムービー『127時間』

今日は映画の日なので、本当は『ハングオーバー2』を観に行く予定だった。あまりに楽しみだったのか、遠足に行く前の小学生の如く、朝の5時前に目が覚めてしまった。早速上映スケジュールをチェックするために、パソコンを立ち上げるが、なんと『ハングオーバー2』の文字が見当たらない。さんざ調べた結果、『ハングオーバー2』は新潟で上映されないことが判明したのだった。

「もっと前に調べとけよ」と言われればそれまでなのだが、一応監督の前作『デューデート』が奇跡的にかかった手前、きっと『ハングオーバー2』もやるだろうと勝手に思い込んでいたのだ。

ぼくは映画を観る前は情報をシャットアウトしているので、誰がなんの新作を撮ったとかもかなり後で知ることが多い。映画を観る時も、観る直前に何を観るかを決め、映画が始まる10分前くらいに時間を調べて行くことがほとんどだ、それが招いた結果だと言えよう。

新潟というのは市内に4つもシネコンがある希有な都市である。それなのにも関わらず『ハングオーバー2』がまったくかからないというのは異常事態と言いきっていい。

いくらハードの性能が良くても、ソフトがつまらなければ、本当にゲームがしたいゲーマーの欲は満たされない。確かにカップルや家族にターゲットをしぼってるぶん、ホラー映画もカンフー映画もなかなか観られなくなり、よくわからない犬の映画なるものがかかりまくってるのもそういう要因のひとつだと言える。

ただ、ぼくは何もそういう映画をやるな!と言ってるのではない、一つの建物の中に8個もスクリーンがあるのだから、その内の一つを使って、『ハングオーバー2』やったらいいんじゃない?と言ってるだけなのだ。確かに犬の映画よりは儲けがないかもしれないが、いくらなんでもあんまりじゃないか。シネコンには良心というものがないのか!?こんなに至極簡単なことが実行出来ないのは、何かの圧力が働いてるとしか思えないのだが……

なんともやるせない気持ちを抱えたまま、結局朝の9時過ぎに『127時間』を観に行った。誰が『犬飼さんちの犬』なんて観たいんだよ!バカたれが!

アメリカでベストセラーになったという、実際に起きた事故を元に書かれたノンフィクションを映画化。

行き先を誰にも告げず、軽装で自分の庭のように登山を楽しんでいたアーロン。道に迷っていた女性とイイ感じになりパーティーのお誘いをうけるも、帰り道で峡谷に落下。その時にたまたま落ちて来た大岩に右腕をはさまれ、身動きが取れなくなってしまう。果たして彼はここから脱出出来るのか?というのがあらすじ。

「岩にはさまれて身動きが取れなくなった登山家の5日間」ということで、完全にワンシチュエーションの一人芝居ものにならざるを得ない。そんな中、どのように映像にし、どのように飽きさせないかというところが注目されるわけだが、監督はあのダニー・ボイルで、彼がこれを映画化したがっていたというのが映像から見てとれる。

とにかく映画は出てくるキャラクターも含め異様なまでにハイテンションなのだ。始まってすぐに土着的な打楽器の音と人がうごめいている映像が差し込まれ、この時点で「これは『28日後…』や『スラムドッグ$ミリオネア』の感じですよ」という所信表明をしたあとは、それら以上のフルスロットルで90分を駆け抜けていく。

主人公はのっけからブルージョン・キャニオンという谷に向かうわけだが、道中でもハイテンション、着いて寝て、起きてからもハイテンション、マウンテンバイクで谷をかけまわるときもハイテンション、こけてもハイテンション、道に迷ってる女の子2人を見つけてはハイテンション、彼女たちを秘密の場所へ連れて行ってもハイテンション、別れる時もハイテンション、どれくらいハイテンションかというと、ホントに「ひゃっほー」と言いながら小学生のように無邪気に飛び回るのだ。

「こんな浮かれてたら、間違いなく痛い目にあうぞ」という前フリなわけなのだが、物語の導入部として、必要なシーンだけに、ここをのんべんだらりではなく、ひゃっほーで見せきるというのは非常に良い選択だったと言える。

それに呼応するかのごとく、映像もありとあらゆるテクニックが猛スピードで詰め込まれている。映像テクニックが詰まった映画を勝手に「映像遊園地」と名付けていたのだが、これは遊園地どころか、映像のジェットコースター、映像の洪水、映像の濁流であるといえよう。

まぁ、とにかく次から次に見たこともないような映像がジャンジャカジャンジャカ出て来て、そのスピード感に圧倒され、ワンシチュエーションの一人芝居をまったく飽きさせてくれない。粒子の粗めな手持ちカメラを主体に*1、超クローズアップ、超俯瞰映像、全部のスピードが出てくるんじゃないかというくらいのモーション感覚にスプリットスクリーンまで、持てるすべてのテクニックを総動員している。構図も凝りに凝っており、給水袋から水を飲むシーンに至っては、その水が通るチューブの中から水が飲まれる様子を映しだすという徹底ぶりである。

これが激しく動き回る映画であれば、チャカチャカした映像にしやがってと反発もしかねないだろうが、実際には岩に右手をはさまれた男がひとりで悪戦苦闘しているので、そのギャップにこの作品の魅力を感じるのではないだろうか。

この難役に挑んだジェームズ・フランコは完璧。実際にこの事故に遭遇した登山家は出来上がった作品を見て、「遭難してからはドキュメンタリーのように正確だ」と言ったらしいが、それも納得のリアリティと演技であった。

というわけで、他の監督だったら、凡作になっていた可能性がなきにしもあらず、「ヘタしたらドキュメンタリーでよかったんじゃね?」という素材を見事に味付けしたダニー・ボイルとそのスタッフに素直に拍手。企画、演出、演技、音楽、映像スタイルがものの見事に合致した力作だ。あういぇ。

*1:いわゆるひとつのシネマ・ヴァリテ。キリっ!