ふたりのためせかいはあるの『BUG/バグ』

遅ればせながら、ウイリアム・フリードキンの『BUG/バグ』をDVDで鑑賞した。

劇中でも「あなたが話をしてるのは好きよ。何の話でも、虫の話ばかりであってもね」という、いかにもアメリカンでウィットに富んだセリフが登場するが、実際、恋人と部屋にこもって、たわいのない話をしたり、イチャイチャしたりするだけで、わりかし時間というのはすぐに経過してくれる。振り返ればそれはホントにたいしたことのない、実のない話だったりするのだが、恋人同士において、その空間/時間というのはわりかし重要視される。

ドライブに行かなくても、テレビを付けなくても、映画を見なくても、部屋という閉鎖された空間に、二人だけがいれば、それはそれで恋人同士の「世界」というものは成立してしまうものなのだ。もちろんそればかりではダメだが、まぁ実際、部屋でダラダラするのが好きというカップルは少なくないはずである。

この感覚は誰しもが持ち合わせているものだと思うし、これをスムーズに描ければ、豪華客船が沈没するというシチュエーションを用意せずとも「恋愛」というものがうまく切り取れるはずなのだが、これを映画にするとなると、とてつもなく大変なことになるのは想像に難しくない。何よりも部屋から一歩も出ないわけだから、映画的な動きはないし、もっと言えば、そんなものは当人同士が楽しめばいいわけで、客観性を重視してしまうと、「は?そんなのどうでもいいし、見たくもないし」と拒否反応さえ起きてしまうだろう。

ところがフリードキンはこの「二人だけの空間に恋人同士が話をしている」というシチュエーションを使い、片時も目が離せないエンターテインメントを提示してきたのだ。このご時世に。

かつてのDV夫が二年の刑期を終えて出所した――――という噂を聞いた中年女性が主人公。「彼にいつかまた襲われるのではないか?」という恐怖に怯えながら、ウエイトレスで食いつないでいた彼女の元にひょろひょろとした男が転がり込んで来る。彼女が住んでいるのは安っぽいモーテルで、テレビすらない。女と男は互いに忘れられない過去と深い傷があり、それを見せ合うことで、激しく惹かれ合うのだが、そこに出所して来た彼女の元夫がやってきて――――というのが主なあらすじ。これだけだったら凡百のラブストーリーとなんらかわりない。

ところが『BUG/バグ』はここから予想もしない方向へと話が転がり始める。

詳しく書くとそれ自体がネタバレになってしまうのだが、ここで描かれていくのは、純粋なラブストーリーであり、それがもたらす悲劇であり、ある種のこの世の終わりである。「二人のため世界はあるの」なんて歌われたことがあったが、この映画が恐ろしいのは部屋の中で起きてることが主観であるため、「世界」はこの中だけでしか提示されず、もしかしたら、この二人が起こしている行動や言動は本当なのかもしれないと思わせるところである。実際、映画の後半になると、フラッシュバックして、映画の前半の映像が差し込まれ、「すべて前フリだったんだよーん」というのを匂わせる。

もちろんそれに対比させるような瞬間的な客観性も忘れておらず、「部屋の中で二人がジタバタしてる時、モーテルの外はこんなことになってまーす」というアッカンベーがあり、その点においても、フリードキンの演出にぬかりはない。

舞台が元になってるだけあって、演技はオーバーアクトで、それが文脈的にもコメディになっており、その観点からも語れるし、当然ながらホラーの要素もある。あきらかに低予算でとてつもなくミニマムなストーリーだが、ジグザグにぶれるカメラワークを主体に、過剰なクローズアップが登場したりと、セリフが少ない中で、何かとてつもないことが起こるかもしれないという予兆を表現するなど、至るところにフリードキンの手腕が冴え渡っている。極限まで追いつめられたような役者たちの演技も相当なものだ。

というわけで、ビデオレンタル店でもホラーのコーナーに投げ込まれていた『BUG/バグ』だが、ぼくは『ベティ・ブルー』にも通じる純愛映画として大いに楽しんだ。時に愛というのはホラーとしての要素も含むというのは『レボリューショナリー・ロード』でも描かれていたが、なんと今日はぼくの友人の結婚式なので、新婚ホヤホヤの彼らにこの映画のDVDを送りつけてやろうと思ったのであった。私信になってしまうが、結婚おめでとう!あういぇ。

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2008-07-10 - ゾンビ、カンフー、ロックンロール

BUG/バグ [DVD]

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