2011年魔法の旅?『魔法少女まどか☆マギカ』

魔法少女まどか☆マギカ』鑑賞。

普遍的な少女であるまどかとさやかの元にネコのような得体の知れないキュゥべえというキャラクターが「魔法の力で君の願いを叶える代わりに魔法少女になってよ」と声をかけて来る。魔法少女になる以上は悪魔と戦うという重責を背負わされるわけだが、そのかわり、どんな願いも叶うという。ところが、そのまどかに対して、「絶対に魔法少女になってはダメだ!」と言うほむらが現れるが、その忠告もむなしく、ほむらに反発を覚えたさやかだけが魔法少女になってしまう。ところが、キュゥべえの目的は他にあり……というのが主なあらすじ。

「映画マニア」と呼ばれるような方々はこの手のアニメを見る人が基本的にそんなに多くはないと思う。映画好きの人が指す「アニメ」とはあくまで劇場でかかるような2時間の作品であり、それも映画の一種として見ているので、いわゆるひとつの「アニメ好き」と呼ばれる方々とは相容れない部分があるのではないだろうか。

そんなようなことを常日頃から勝手に感じているぼくが巷で話題になってる“タイバニ”こと『TIGER & BUNNY』を観た。これは普通におもしろいんだけど、60点満点中の60点というような出来という印象を受けた*1。どういうのが世間でウケているのかなぁ程度の興味で見始めたのだが、やはり「映画好きがすすめるアニメ」と「アニメ好きがすすめるアニメ」は決定的に違うなというのを再認識した次第だ。そんな話をアニメ好きの後輩と話していたら、「じゃあこっちのほうがカトキチさん向けかもしれませんねぇ」と『魔法少女まどか☆マギカ』のDVDを貸してもらった*2

ぼくはまったく知らなかったのだけれど、これまた大ヒット作であり、ブルーレイの売り上げはハンパじゃなく、その後輩の他にもハマっている輩が2人居て、飲み会に行ってもその話題についていけず、置いてけぼりを喰らいそうになったことがあったが、それくらいアニメ好きの界隈では有名な作品であることは認知した。

そんなこんなで、そこそこに構えて見ていたのだが、正直『まどか☆マギカ』は1、2話がかなり辛く、いわゆる二次元萌え的なキャラクターがアニメ声でキャッキャキャッキャとホモソーシャルなやりとりをし始めるので、これが萌え的ななにがしか!と見るのを止めようと何度も思った。そもそも、タイトルに「☆」が入ってる時点でなんかうさん臭いじゃないか!と気付いたのは2話を見終わったあとくらいだったわけだが……

みんなが口を揃えていう衝撃の3話も「カヲルくんと一緒やん」程度で、そこまでだったんだけど、5話くらいから、だんだんと形相が変わりはじめ、ぼくが深い感銘を受けたのは「考え方に相違のあった二人が「願いを叶えたい」というエゴによって犠牲を払わなくてはならなくなったことを知る」という7話からであり、もうそこからは止めたいとは思わず、逆に先がどんどん気になりはじめ最後まで一気に見た。この7話以降は傑作であると言ってもいいだろう。

というか、この作品、この絵柄からは想像も出来ないが、最終的に『2001年宇宙の旅』になるのである。正確に言うならば、押井守の『攻殻機動隊』をやり直しているという感じだろうか*3

魔法少女にならないか?」と声をかけてくるアニメならではのキャラクター:キュゥべえは、いわばハッキリ意志を持ったモノリスであり、地球人を別なモノへと進化させる宇宙人である。魔法少女になってしまった女の子は、キュゥべえにダマされるかたちで人間ではなくなり、それに悲観してしまうのだが「それはとても良いことだろ?とキュゥべえなりの理屈であっけらかんと言ってのけるのだ。ずばりこれは『2001年』でスターチャイルドになったボーマン船長や『攻殻機動隊』の草薙素子なのだが、実はそれが良いか悪いかというのはこれらの作品において、判断されてはいなかった。観客にただ投げかけただけである。

つまり『まどかマギカ』は、「とっくに人間というのは肉体を意識しない生気の抜けた生物に成り下がってしまったが、それでも生物学的な人間を捨てることを選択していいのか?」と、また別の問いかけをしている作品でもあるのだ。

魔法少女になってしまった娘は自分の肉体とは別に魂がソウルジェムという端末に入り、そのことで別次元の生物に進化する。作品内で彼女たちは「これじゃゾンビじゃない!」と言っているが、これも『攻殻機動隊』における「上部構造にシフトする」と同じだ。鈴木敏夫は『攻殻機動隊』に対して「コンピューターと結婚するねーちゃんの話なんて本気で信じてるのか?マジメにやれ」といったそうだが、そのマジメにやれ!と言った作品と同じことが2011年の魔法少女のTVアニメシリーズの中で起きているのである、これは衝撃的と言ってもいい。

彼女たちは動きが少ない中でベラベラと言葉を多く発しているが、これも「人間というのは言葉から生まれて来る」ということを彼女たちが本能で悟っているかのように思える。人間でなくなってしまった以上、人間として生きるには言葉を発し、自己を確立しなければならないからだ。

そして、最終的に主人公であるまどかは、スターチャイルドになったボーマンやネットと融合した素子以上の存在へと変貌するわけなのだが、まぁ、この辺は作品を観ていただきたいと思う。

と、『2001年』になぞらえて書いて来たが、実のところ、ヒーローものとしても、いわゆるエヴァ以降のアニメとしても、哲学的な観点からでも語り尽くせる作品であり、高評価で売り上げがいいのも納得した。いや、むしろこう言ったテーマ性を持った作品がアニメ好きに受け入れられるというのに驚いてしまった次第。やはりエヴァが築いた土壌があるからなのだろうか。

惜しむらくは、いくら10話で円還構造になってるとはいえ、1、2話が萌え的な要素を含み過ぎていること。そっち方面のファンを取り込むのと、キャラクタースタディを確立するためだったのだろうが、最終的に行き着く作品の壮大さを考えると明らかにバランスが悪い。あとバトルシーンがカオスでエグイ映像なので、日常シーンは普遍的なアニメーションではなく『化物語』で見せたような静止画演出を多用すべきだった。そうすれば内輪ウケ以上の、作家性を持ったエヴァに匹敵する作品にもなり得たかもしれない。と言っても絵の作り方はやはり特殊ではあったのだが。

というわけで、Twitterで「見始めました」とつぶやいた瞬間に「嫌いです」とか「胸くそ悪くなるアニメですよー」というリプライで届きまくって、「そうですよねー」なんて返していたのだが、それは冒頭だけの話であって、結局楽しんでしまった。この内容と終わり方が故、賛否両論分かれるに決まっているが、良くも悪くも一見の価値はある作品だと思う。あういぇ。

かわしたやっっくぅぅぅっぅうぅうそぉぉぉおぉおくぅぅぅぅぅう忘れっっっつないよぉぉぉ

関連エントリ

2011年宇宙の旅 - 『まどか☆マギカ』の絶望と希望 -しかし反撃もここまで
http://shikahan.blog78.fc2.com/blog-category-11.html

タイトル内容共にエラかぶり!

*1:と言っても7話で完璧に飽きてしまい、それだけの印象であって、さらに見た当初は100点満点中の48点という風に評価していた

*2:化物語』というアニメも借りたのだけれど、それはまた別の機会に

*3:エヴァ』や『ひぐらし』っぽいというのはさんざ語られてることだと思うし、ぼく自身は魔法少女ものと呼ばれるジャンルを見てないので、その辺は別な人に任せるということで話を進める