レーモン・クノーの『きびしい冬』を読んだ。

- 作者: レーモンクノー,Raymond Queneau,鈴木雅生
- 出版社/メーカー: 水声社
- 発売日: 2012/02
- メディア: 単行本
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まぁ、正直、代表作以外は読みはじめてすこしでもダメだったら途中でやめようくらいの心がまえだったのだが、これがまぁビックリするほどおもしろく、結局読了してしまった。
『きびしい冬』は1939年の作品でレーモン・クノーの自伝的な要素が強い小説といわれている。
第一次世界大戦中の地方都市が舞台。主人公ルアモーは戦争で足に傷を負い、前線から退いて英国軍との連絡係をしていた。名誉の負傷をした軍人ということで、その町では軽い英雄のような存在になっていたルアモーであるが、なにかと理屈をこねまわし、みょうな持論を展開する変わり者でもあり、それにご近所さん/親戚連中は手をやいてもいた。そんな彼の傷が癒え、ふたたび前線におくられるまでのひと冬をえがいていく。
レーモン・クノーといえば、それこそ『地下鉄のザジ』に代表されるような、ひっちゃかめっちゃかな小説を書くというイメージがつよく、その他の作品論などを読んでも、やっぱり文体がグチャグチャだとか、展開が荒唐無稽すぎるとか、あげくのはてに物語がどういうものかよく分からないなど、前衛小説として、難解だといわれる趣があるが*1、この『きびしい冬』にはいっさいそういったひっちゃかめっちゃかさはない。
日本でいえば川端康成や三島由紀夫のようなうつくしいことばによって、情景と心情が見事につむがれていき、なるほど、こういう小説が書けるからこそ、ひっちゃかめっちゃかなものを書いても何処か芯があるんだなと納得した次第。もちろん登場人物たちの口の悪さは健在であり、その口の悪さが美しい情景描写と対比され、独特のリズムを作っている。訳も『地下鉄のザジ』に比べ、いま読んでも違和感ないようなことばをチョイスしているのでまったく古さを感じない。
ストーリーとしてはとてつもなく地味であり、町で出会った金髪のねーちゃんに恋をし、親戚とおしゃべりし、近所の本屋のばーちゃんと論争を繰り広げるといった、彼の日常が描かれていく。
その中でも特に、たまたま電車のなかで出会った少女を映画館に連れていくというエピソードが秀逸で、この行為が親戚に理解されないという風に本のなかでは描かれるのだが、この「カテゴライズされない感情の動き」が見事に「ア↑コガレ」であり、映画好きのタマフルリスナーは必読となっている。いまでいえば「萌え」という概念にも当てはまるかもしれない。
この作品はぼくにとって太宰作品やサリンジャーの『ライ麦』であり。まさに自分のことが描かれている!というふうに受け取った。もちろんぼくは舞台となってる1917年を生きたことはないし、戦争も体験してないし、ましてやフランスにいったことなど一度もないのだが、彼の心情にシンクロしてしまったというのは圧倒的な文章力のおかげだろう。
というわけで、『地下鉄のザジ』のような荒唐無稽さを期待すると肩すかしを喰らうだろうが、純文学としてとてつもなくうつくしい『きびしい冬』はぼくの大切な一冊となった。170ページほどの中編なので、レーモン・クノーという作家が気になったのなら読んでおくことをおすすめしたい。
*1:まだ代表作と言われてるものは読んでないものの、一貫してレビューや感想はそういったことばでくくられてることが多い