『アンチクライスト』の姉妹編『メランコリア』

メランコリア』をレンタルDVDで鑑賞。

冒頭、本編のダイジェストを超絶的なイメージの連続で見せる8分間の映像は素晴らしく、監督の前作『アンチクライスト』同様、うっとりしてしまうが、それを過ぎると、映画はある一組の夫婦の結婚式の様子を映しはじめる。

手持ちカメラを主体に、巧みな編集で結婚式はどんどん進んでいく。親戚同士がギスギスし、あげく結婚式の主役たちは山奥にある披露宴会場(超金持ちの姉夫婦の家)にリムジンで向っているため、その山道に悪戦苦闘し、大遅刻。ギスギスしていた結婚式は余計にギスギスし、母親がブチ切れて発狂、姉はウエディングプランナーとのやりとりに疲れ、その夫である義理の兄は母親の態度に辟易していた。

仕事も結婚も成功し幸せになったはずの主人公(キルスティン・ダンスト)だったが、この結婚式がきっかけだったのか、本来持っていた気質なのか、それとも急にそれが襲ってきたのか、世界が終わるイメージに囚われていたからのか、なんと突発的にその場で自分がつかんだ幸せを取り返しがつかないくらい徹底的に破壊しはじめるのだった……

これが映画の第一部。

そして後半の第二部は地球に近づいてくる惑星メランコリアに対し、右往左往する姉とその夫と子どもの様子を映し続ける。地球に衝突するんじゃないか?と姉は危惧するが、夫は大丈夫だ、きっとそれるよという。しかし、その予想とはうらはらにメランコリアはどんどん近づいてきて、それと平行し、主人公以外の家族はどんどん壊れていき、最終的には…………というのは映画の大オチなので言及しないが、惑星メランコリアはあくまで主人公の心情の象徴であり、この世が滅んでしまえばいい!という思想が反映されただけにすぎない……

――――結局、これは『アンチクライスト』同様、ラース・フォン・トリアーの超個人的な映画なのであった……

妖星ゴラス』にも似た設定を『2001年宇宙の旅』的な映像で見せ、さらに「世界の終わりがやってくるの!」と言い、広い屋敷に軟禁状態になるなど『ノスタルジア』への目配せもあり(絵画的な映像も含め)、その軟禁状態の中でしだいに家族が……という部分は『シャイニング』を彷彿とさせた。

が、しかし、実はこの『メランコリア』は自身の精神状態が周辺との軋轢によって悪化。そしてそのまんま山奥にこもってしまう部分において『アンチクライスト』とほぼ同じであり、冒頭のスローモーションや、章立て、大自然の中で素っ裸になるなど、構成や展開、シークエンスも一緒で姉妹編ともいうべき作品になっている。

キルスティン・ダンストのヌードはスクリーンに栄えただろうなぁというほどに美しく、その映像美を援護射撃し、けっして無駄脱ぎになってないのがポイント。ジャック・バウアーは作品の風格に合ってない気もしたが、それ以外のキャスティングも見事。ウド・キアーとか出てるし。

惜しむらくは、その第一部である結婚式のシーンが1時間もあり、非常に長く苦痛に感じるということ。主人公の心情を観客に味わわせるための第一部であることが分かるのだが、『アンチクライスト』が映画的ではないシーンを徹底して映画的に撮ったのと違い、今作ではシネマヴァリテともいうべき、フォン・トリアーにとっての「真実映画」という体裁に寄り過ぎてしまった。故に単純に映画のシークエンスとして面白みがないため*1、シーンの意図が分かったとしても退屈してしまう。さらに『アンチクライスト』では鬱状態になってしまうことにたいしての引き金もあったが、今作ではそれが一番最初に提示されないため、あまりにも主人公の行動が突発的すぎるという印象も受けてしまった。むしろ手持ちである意味もそこまであったかという……

途中で「世界の終わり」のイメージをすでに見ていることを姉に話し「このことはだまっていて」と口止めするのだが、実はそれによって彼女が鬱状態だったというのが明らかになっていく。もちろんタイトルの『メランコリア』がそれそのものの意味であり、近づいてくる惑星メランコリアもそういうことを象徴してるわけなんだけど*2、そのことが理解出来ないと何が何だか分からなくなる。

が、懸念すべき点はそれくらいであり、あとは最高の映像美が堪能出来ること必至。監督の前作『アンチクライスト』と共に、ある程度の前情報を入れて観ることをおすすめ。あとキルスティン・ダンストのファンは彼女の最高の演技とヌードが見れるということでなるべくブルーレイのパッキパキの映像で!

*1:そうするための仕掛けとは言ってもだ

*2:ウィキペディアの情報だが、鬱病の人というのは先に悪いことが起こると予想し、強いプレッシャーの下でもっと冷静に他のものよりも行動する傾向があるそうである。つまりそれがこの映画の後半部分になってるということなのだ