ネタバレあり!『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』について駄文

注!全体にわたってネタバレあります!!

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』を朝一の8時から鑑賞。上映時間早すぎだろ。おかげで人がほとんどいなかったからいいけど。

「『エヴァンゲリオン』は文学である」みたいなことを、確か「アニメ夜話」で誰かが言っていた気がするが、まったくその通りで、太宰治が自分自身の恥部をさらけ出して、人々の共感を得ることができたように*1庵野秀明も人に言ったら絶対に嫌われるようなところまでさらけ出したことにより、同じオタク気質*2を持つ人の共感を多数得て、結果『エヴァ』は熱狂的な人気を獲得した。

なんと言っても、あの『監督失格』をプロデュースし、素顔のままウルトラマンを演じるような人である。いろんなことから逃げたいけど逃げられない運命に巻き込まれたシンジくんが庵野秀明自身であることは想像に難しくない。めんどくさいことからは逃げたいけど、ロボットに乗って破壊の限りをつくしながら世界を守りたい。そして、何も考えてないような謎めいた女の子のおっぱいを触ってみたい。ツンデレな女の子に特別に思われたい。お姉さん的な存在の人に大人のキスをされたい、そしてこの中の誰かが生き残ってくれれば、あとはこんなクソみたいな世界なんて滅んだってかまわないという妄想をパンパンに膨らませたのが「エヴァンゲリオン」であるというのが「今」のぼくの認識だ(もちろん初見の頃はそんなこと夢にも思わなかったが)。

しかし、自ら「エヴァ」は衒学であると語っているように「もったいつけて、知識をひけらかし、それがかっこいいんだと思ってるのがオレ」と、恥部として描いたところが人々には伝わらなかった。いつしか『エヴァ』は「宗教的であり、哲学である」と思ってもない方向の支持を得ることになる。

そこで庵野はどうしたか?もう観た人ならご存知だろうが「そんなオレの妄想にのめり込むな、目ぇ醒まして帰れ」と冷水をぶっかけたのである。そして自分自身を戒めるがごとく、生き残って一緒に世界の終わり/始まりを見たアスカにこう言わせたのだ「気持ち悪い」と。

さて、そういう解釈の元『エヴァQ』を観てみると、ついにこの物語に決着をつける気なのか?と思ってしまう。それくらい「こうでなくっちゃならない!」という完璧な展開を見せ始めたのであった。

正直、今回の展開にはついていけないという意見がぼくの周りでは目立ったので、それ相当のぶっ飛んだ話なんだろうなぁという予想はしてたが、ぼくはまったく逆であり、来るべくして来た物語だなという風に感じた。なんと言っても今作は完全に『Air/まごころを君に』のその後の話である。

前回『破』のラストでサードインパクトが引き起こされたことは明らかになっているんだから、その後の世界を描かないと旧作の「気持ち悪い」ラストは帳消しにならないと思っていたし(とはいえまさか14年後を舞台にするというのは予想外であった)、当然、それがネルフ側の隠れた作戦(劇中のセリフでいうところのシナリオ通り)であれば、それに反発を覚える人もいるわけで(ミサトとか)、世界を再生させるにはまず破壊することという概念を守ろうとし、それが正しいことだと信じているシンジくんや、それに相対する人の行動もすべて納得である。無茶苦茶な展開どころか、こういう伏線を回収するなんて逆に驚いたくらいだ。

今作でいちばん驚いたのが「人類補完計画」の全貌が明らかになったこと。今までなんとなくうすボンヤリしていたものが、言葉によって一気に種明かしされていく中盤の展開にはゾクゾクした。何をやろうとしているのかよくわからなかった碇ゲンドウの行動も全部説明してしまったので、ホントにそれこそラストに向っていくための助走/布石であるなというのが今作にたいする素直な感想である。

たしかにシンジくんはウジウジタイプのキライなヤツにふたたびなりさがってしまったが、もし旧作が「自身がゲンドウに利用され、サードインパクトを引き起こしたことにたいしての自覚がなかった」物語だとしたら、『Air/まごころを君に』のその後の世界において、シンジくんがそのことを自覚して贖罪を背負って生きていくという改変はナイスアイデアであり、「好きな人や大切な人だけ残して世界なんて滅んでしまえばいい」と常日頃思ってるようなぼくにとっては「ああ、本当にそういう世界が来るべくして来たら、こんなことになってしまうのか」というシミュレーションを見ているようでもあった(しかもシンジはその世界の大切な人たちから怨まれているという残酷な設定である)。

映像面においては『青の6号』の前田真宏を監督陣に迎えたことにより(それが理由かはさだかではないが)、3DCGの効果がパワーアップ。船内をパンさせたあとにクレーンで上昇させるなど、明らかにアニメでは不可能なカメラワークをワンカットで可能にするような立体的な画がバンバン展開されていく。音楽も気を衒いすぎた感があった『破』に比べれば、いつもの感じに戻っていたし、何かが起こっているというド派手な演出も全体的に散りばめられていて満足した。

あえて苦言を呈するならば、前半部分である、シンジが眠っていた14年間の空白を取り戻すまでが長いかなと感じた程度で、あとの細かいつじつま――――例えば、サードインパクトのあと生き残った人々はどうやってあそこまで生き延びたのか?とか、結局あのメガネのキャラはなんだったんだ?とか、そういう補完されてない部分についてブーブー言うのはまぁ筋違いかなとは思う。

というわけで『破』に大満足し、このハードルをどうやって乗り越えるんだ?と危惧していたぼくにとっては文字通りの「サービス!サービス!」映画だった。もちろんわけ分からない用語がバンバン飛び交っているので、置いてけぼりを喰らうシーンも多々あったし、すべてを理解してるわけではないが、まぁこれがいわゆる「エヴァ」ってヤツですよ!ええ!おもしろかった!!

*1:ぼくは太宰治というのはオタク気質だったんじゃないかなと思っている

*2:ここでいう「オタク」の定義は「監督不行届」を参照のこと