ディックとヒッチコックをウー風味で『ペイチェック 消された記憶』

ジョン・ウー御大の『ペイチェック 消された記憶』をDVDで観た。

ジョン・ウーは狂ったように観続けた時期があって、それこそ『男たちの挽歌II』と『狼』と『ハード・ボイルド』は未だにオールタイムベストな作品群だが、ハリウッドに渡ってからあまり良い評判を聞かない作品2本をスルーしており、この『ペイチェック』もその内のひとつにあたる(ちなみにもう一本は『ウインドトーカーズ』)。

最近、ブレッソンだのゴダールだのブニュエルだのシネフィル的な映画を見続けた反動で、今度はまったく頭の使わない映画に飢えていたし(スペシャル続きでテレビがおもしろくなく、酒を飲みながら観るものがなくなったというのもある)、ブックオフあたりで500円で買ったはいいけど、積んだまま一年くらい経っていたのでよろっと成仏させてやりたかった。そういうDVDがたくさんあるので、DVD積んどきましたシリーズなんかにしてもいいかもしれない。

さて、映画の方だがとてもおもしろかった。いや、ものすんごくおもしろかったと言っていい。ハッキリ言って興奮した。もちろん出来でいったら中の下くらいなんだろうが、期待値がエラく下がっていたために思いのほか楽しむことができた。なんだこの中学生みたいな感想は。

ディック原作ながら内容は王道の観客巻き込まれ型サスペンス。いわゆる観客も登場人物同様何が起きているのかさっぱりわからないってヤツで、よく記憶喪失モノに使われる例のアレである。

つまりひな形としてはヒッチコックだが、メイキングでも公言してる通り、『北北西に進路を取れ』を意識し、ちゃんと主役のベン・アフレックにはグレイのスーツを着せている。ジョン・ウーらしからぬスプリット・スクリーンはデ・パルマへの目配せもあるんだろうが、当然ながら主観映像もあるし、360度旋回パンも使い、オマージュを分かりやすい形で捧げている。音楽におけるビートルズと一緒でヒッチコックが好きというのは当たり前のことになっているらしい。ちゃんと全作観るようにしないと。

しかし、そこはジョン・ウー監督。そのオチュール・ポリシー*1というか様式的な美学みたいなものは忘れない。ありえないタイミングでハトが飛んだと思えば、撃たれた人間はスローモーションで吹っ飛び、上記の写真のように銃の突きつけ合いも出てくる。2丁拳銃はさすがになかったものの、『M:I-2』よろしくのバイクアクションは恐ろしいほどかっこよく、ブルース・リーが乗り移ったかのような棒を使った格闘シーンまで見せる大サービスっぷり。

主演は当時大スターとしてイケイケだったベン・アフレック。本来マット・デイモンにオファーしたもののスケジュールの都合により、彼がベンを推薦した。それを聞いた瞬間にジョン・ウーは彼をケイリー・グラントにしようと決めたらしく、ベンもそれに合わせ、モノマネのような演技で撮影に臨んだ。実際ベンは好きなルックスだと語り、チョウ・ユンファジョン・トラボルタにも似ている骨格の持ち主である。ヒロインにはユマ・サーマンだが『キル・ビル』にも負けないアクションを披露。この二人の八面六臂の活躍を見るだけでも楽しい。

元来SF作品に興味がないと公言しているウー監督だが、確かにプロダクション・デザインに本気さを感じられない――――っていうかかっこ悪いし(メイキングによるとそれは意図したことらしいが)、火災報知器の真下でタバコを吸ったり、ヘルメットぶん投げてパトカーを止めたりとおいおいという穴も目立つ。それ故にあまり評価はされてないのかもしれないが、何よりこの作品の最大のキモは数千億ドルの株を捨ててまで主人公に残されたガラクタ21アイテム。これが未来の自分の運命を変えていくという部分であり、それがパズルのようにスコーンとハマっていく気持ち良さは他の映画にはない快感であるといえよう(元ネタはあるのかもしれないが)。

というわけで、ジョン・ウー作品としてはそこまでの出来ではないが、ポップコーンムービーとしては水準以上。もしぼくと同じような理由で観ていないのであれば観ておくことをおすすめしたい。

ペイチェック 消された記憶 [DVD]

ペイチェック 消された記憶 [DVD]

*1:作家性という意味。すごく響きがかっこいいので今後使わせてもらう