『キャビン』がコメディとしておもしろい理由

ようやく『キャビン』を映画館で観ることができた。新潟では一ヶ月近く遅れてのセカンド上映だった。

公開からかなり経ってるので全力のネタバレがあります。観た人じゃないと分からない書き方をしています。

輸入盤で10回近く観ていたが、わりと前半戦はしゃべりも多いし、細かい部分で分からないところもあったので、公開したら是非スクリーンでちゃんと観たいなと思っていた。今回セカンド上映という形態ながらも新潟で奇跡的に上映が決まり、終了間際になってすべりこむように日本語字幕付きで観たんだけど(当たり前だ)、改めて観て傑作だと思ったし、何度観ても飽きないなとも思った。

観た人のなかで少数ながら「ホラーだと思って観にいったら思ったよりも怖くなかった」という意見があったり、メタ的な視点が鼻についただの、そもそも映画として微妙だっただの言われているが、確かにこの作品、よくよく考えるとヘンテコなところが目立つのも事実である。

まず、組織がガスや薬物などをつかって登場人物をコントロールしていたというが、どこまでコントロールしていたのかがわかりにくい。いとこの山小屋に行こうと言いだすところまでコントロール出来ていたのかはハッキリ言って謎だ。映画のラストで「あいつにいとこはいないな」と言い出すがなんでそんなセリフまで加えたのか非常に謎が残る。メンバーの中に先導者がいるということを示唆していたのだろうか。だとしたら、バイクで死ぬくだりは絶対におかしいといろいろ矛盾が出てくる。

そもそもあの組織自体どのように運営されているのかよくわからない。日本に支部があるというが、世界の秩序を守るためだとしたら国が運営しているのだろうか。民間企業なのだろうか。途中でどのモンスターが出てくるかについて賭けをしているが、ある程度先導したりするとはいえ、運任せなところも多く、それが自由意志がどうのこうのと直結してくるんだろうが、そのへんのつじつま合わせには完全に失敗しているといえる。モンスターだってあの組織で作り出していたのか?もし、そのへんにいたとしたら、どうやって連れてきて、どうやってあの檻のようなものに入れたのか?やっぱりよくわからない。

最後の最後にシガニー・ウィーバーがサプライズとして登場するが、冷静に考えるとなんで彼女はあんな事態になっても収束させようとしなかったのか?そもそもあいつはどこにいたのか?ラスト。世界を守るために早く“愚者”を殺しなさいというが、そんなことを言い出したら、それまでのホラー映画的な展開はまったく意味をなさなくなるし、言ってしまえば、お前自身が銃で“愚者”を殺せばめでたしめでたしって話じゃないか……

さすがに10回近く観たら、こういう感想も湧き出てしまうわけだが、実は『キャビン』のキモというか、重要な部分はここではない。そもそも『キャビン』という映画は見方が難しく、外側の知識を使いながら映画全体を俯瞰することで楽しさが補填されるという特殊な鑑賞方法が必要になる。

『キャビン』はホラー映画の様式を使ったある種のコメディだと言ってもいい。

つらつらと「ここおかしくね?」と書いたところは逆にいうと、この作品の最もおもしろいところでもあり、例えば「謎の組織が“客”のためにホラー映画的な様式を演出していた」というのはそのまんま「ホラー映画を観る人と演出する監督との関係性」をメタ化したものだ。つまりこの映画の世界ではホラー映画が現実化していて、それを全部コントロールしていたのはこいつらであるというギャグなのである。言ってしまえば『シャイニング』や『リング』などの名作/ヒット作も今まであいつらが陰で操っていたという、映画とは関係ない部分での笑いが含まれているのだ。『シャイニング』でエレベーターの中から血がドバババーって噴き出すのも全部あいつらが機械でやってたことであり、この作品の中で日本がやたらと登場するのもJホラーなるものがたくさん作られているからで、なぜJホラーが評価され量産されているのかも全部ギャグとして処理されているのである(しかも『キャビン』では今まで死にまくっていた日本人が今回幽霊に勝ってしまったことでピンチを招くという展開になる)。

さらにそれがより笑えるように冒頭から仕掛けがしてある。いきなりこの作品は『レザボア・ドッグス』のようにまったく本編に関係ない話をベラベラ喋るおっさんが映しだされるが、これは「こんなしょうもないことを言っているおっさんが世界のホラーを操ってます」というフリなのだ。ぼくも含め、これを登場させるとサスペンス性がなくなるのでは?という意見も散見されたし、初見では、なんでこんなはじまり方をするのか理解に苦しんだが、結末が分かったうえで何度も見ていくと、この冒頭はかなり活きてくる。作り手はこの作品がカルト化することを念頭においていたのだろうか、ちゃんと複数回観れる映画になってますよーと冒頭から所信表明していたのである。今となってはこのはじまりなしにこの映画を観ることはできない。

その他にも、『マトリックス』にも通ずる自由意志についての話だったり、ホラー映画のオマージュが詰め込まれていたりと、いろんな要素が絡んでいるが、その話などし出すとキリがないのでやめておく。個人的にはユニコーンのくだりがおもしろかった。

というわけで、最初劇場で観て、おや?と思った人ももう一度コメディだと思って観れば、また違う楽しみ方が出来るのではないだろうか。改めて『キャビン』という映画を再評価しておく必要があるとぼく自身は思いこうしてエントリにした次第である。カルト化するかもしれないので、セル版の特典は絶対豊富にしてくれよな!