AKBのゲームにみる秋元康の本性
↑の続き。
パッケージングもさることながら中身もそうとうヒドいというようなことを書いたわけだが、本当にヒドいのはさらにその先にある。
このAKBのゲーム。ゲームでありながらも非常に残酷で胸が痛むのだ。
いくらゲームとはいえ、好意を持っている娘――――もっといえばわざわざドラマチックに告白してくる娘にたいし、何度も何度も「NO」を突きつけるのはさすがにキツい。二次元萌えなることばがあるが、こっちは実写映像でフルボイスだ。さらにその娘の人となりが少なからず反映されたような台本にそって話が進めば多少の情もわいてくる。そこで振ったときのダメージたるや……プレイしてはじめて分かったがなかなかのものであった。
このプレイして胸が痛む感じは『ピクミン』が大量に死んだときと似ている*1。
別にたかだかゲームじゃないかと言われればそれまでなのだが、こうなんというか……申し訳ない気持ちになるのだ。『ドラクエV』でいうとビアンカとフローラのどちらかを選ばなければいけない場面でフローラを選んでしまったときの気持ちというか……*2
恐ろしいのは、この残酷なシステムを秋元康が「おもしろい」という思いつきで決めたことである。
実は当初、このゲームは「ときメモ*3」と同じようにメンバーひとりひとりをオトしにかかるものだったのだが、秋元康が47人振ったほうが新しい発想だしおもしろいと提案し、今のシステムになったという。
ところが先ほど例えに出した『ピクミン』を作った宮本茂は松本人志との対談にてこんな風に語っている。
(ピクミンは人生を教えてくれる素晴らしいゲームだけどすごく残酷と松本人志に言われて)その部分はまだゲームでいじってなかったなと。ピクミンっていうのは自分の社会的なモラルの度合いを計られますよね。けっこうズルイとこあるじゃないですか?偽善とか……で、みんなあると思うんですよどっかに。ホントの善意だけで生きてる人っていないんで、それを計られてしまうっていうのは作ってるほうはもっと痛いんですよ。
いかにも宮本茂の人柄が出た「らしい」コメントだが、この違いにクリエーター秋元康としての――――もっといえばAKBのプロデューサーとしての本性が見える。秋元康という人はインタレスティングという意味においての「おもしろさ」があれば残酷だろうとなんだろうと構わないし、なんともおもっていないのだ。かたや「プレイしてるユーザーよりも痛い」想いをしながら作っているというのに……
そもそも今となっては当たり前になっているAKBの総選挙もワイドショーで取り上げられたころはすごく残酷だという意見のほうが目立った(ように思う)。おかんも「なんでこんな残酷なことさせるだろっかー」と言ってたことを思い出すが、当の本人はインタビューで「総選挙はお祭り」だと言い、メンバーには「楽しめ」と声をかけているようである。それがゲームにもモロに反映されたということだろう。
社会的なモラルを計られるとはいえ、それでもまだゲームの中であれば、いたいけな少女を振って振って振りまくったり、ピクミンを殺しまくったりしても、ギリギリありかなーと思えるが、現実に行われてる残酷な総選挙を楽しみーとかいってる時点でぼくも秋元康とおんなじなんですけどね!アンビバレーンツ!
- 出版社/メーカー: 任天堂
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