『その男、凶暴につき』を超久しぶりに観た
大雪の影響で仕事が急遽休みになり、午前中は昨日BSで放送された『その男、凶暴につき』を観ていた。ずっと前から再見しなきゃと思ってたんだけどいきつけのレンタル店ではつねに貸出中でなかなか借りれなかった。
んで、見始めてびっくりした。あまりのヘタさに。
いや「ヘタさ」というと語弊があるが、映画をまったく知らない素人が勢いで撮ったような感じで「え!?こんなに素人臭かったの?これで評価高いっておかしくない?」と見てる側からモヤモヤした。『イージー・ライダー』とは違う種類の素人感であり、いわゆる「この手法は逆にアリだ!」というものではない。それがぼくですらわかった。以前ある記事の中で「その男、凶暴につきは歩くシーンが多く、それが素人臭さをかもしだしていた」と書いた評論を批判したが、そういう感覚的なものではない素人臭さがこの映画にはあったのだ。これを観て圧倒的な才能だといった淀川長治と黒澤明はものすんごく先見の明があるなと思ったくらいだ。
とにかくひどいのだ。ひとつの構図のなかに人物が複数写っていれば、その人物が重なりあって顔が見えないなんてのはあたりまえ。人物を写したとしても左手だけが切れてる。下半身が変な位置から切れてる。もっとひどいのは奥から手前にあるけば今度は顔が切れる。フレームインの仕方もこれ見よがしに「ハイ、カメラの前にきまーす」みたいな感じで、カットの割り方もらしくなく、人が立ち上がって歩いてトイレから出るという一連を動きをわざわざ2カットに割ってたり(北野武は省略する人なのでフレームアウトして、ドアが閉まる音がすればそれはその場を立ち去ったということになる)、なんでそんなことをするんだろうの連発。カメラが妙なタイミングで動いたりするのですら違和感を覚え、そのあとに写るすべてのシーンに対し、重箱のスミをつつくように変だ変だと思うようになってしまった(それが狙ったものだとしても)。
ぼくの記憶が勝手にこの映画を美化していたのか?と観てて不安になったが、順撮りしてるということもあって、ちょうど映画が折り返し地点に差し掛かると、いつもの北野武の『映画』になり、今度は初監督作とは思えないその独創的な演出に驚かされる。構図もビタっと決まり、いわゆる映画的な画がどんどん出てくる。描かなくていいところは描かず、バイオレンスはゴダールのようにロングショットの長回しで唐突にはじまる。こっちが想像することは裏切られ、たけし流のノワールといった具合でテンポも映画のテンションもどんどん上がる。北野武は「映画撮り始めたことは淀川さんくらいしか褒めてくれる人はいなくて」と嘯いてるが、当時のキネ旬でも8位になったくらいで、確かにこれは評価されてもおかしくないなと思った。
となると、もしかしたら後半のこの展開のために前半はわざと素人っぽくしたんじゃないか?とまで思えてくる「あのビートたけしが映画を撮っただと?ほらやっぱり思ったとおりヘタクソじゃないか」と観た人全員に思わせ、後半で驚かせる。いかにも漫才師出身らしいフリをうまく使った仕掛けだ。
狙ったのか狙ってないのかは別にしてもやはり北野武は「映画に愛されてしまった男」だったのである*1。
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