容疑者Xの一族の焦点/レイモンド・チャンドラー『プレイバック』

この年の瀬にインフルエンザにかかった。しかもA型である。

自ら望んだことではあるものの、12月22日から1月15日まで休みは元日だけというスケジュールだった。とはいえ、望まなくてもこのようなシフトになったに違いない。なぜならぼく以外の連中も同じだからである。いや、ひとりだけ違うか。まぁそんなことはどうでもいい。

ここ最近ブログに書いていたように5月以降、まともな休みがなかった。あったことはあったが、二ケタの連勤の後に一休だけだったりで、また次の日から連勤がはじまる。そんな感じだ。連休は片手で数えられるくらいであり、世間のみなさまがやれ13連休だのなんだのいってる程度の休みはなかった。仕事は嫌いではないし、職場のみんなとは家族のような関係を築いている。しかし、ここまで働かされるとなると、息がつまってつまって仕方がない。こないだも仕事中に急に意味もなく号泣して、休憩室で倒れてしまった。10連勤の途中であった。いままで生きてきてそんなことなど一度もなかった。自分でもさすがにキてるなと思った。

自分ではやれると思っていても無意識に限界が来てるというのはよくあるもので、最後のひとふんばりだというタイミングでのこれである。身体からのサインなのかもしれない。酒も際限なく飲んでいたし。

というわけで、ここ3日間。かなり有意義にすごしている。といってももちろんインフルエンザなので、部屋からは出れず、ひたすらベッドの上で本を読むかテレビを観るかしかしてないわけだが(あとツイッター)、2日目から熱も35度まで下がり(下がりすぎだろ)、ぼくのような人間にとっては幸せこの上ない日々だといえる。ハッキリいってなんの苦もない。インフルエンザバケーションと名付けたいくらいである。もしかしたら生まれながらの引きこもりなのかもしれない。

ただ、残念なのは26日に医者にいってインフルエンザと宣告されたので5日間の休みとなり、31日は出勤しなければならないということ。医者には年内は外出たらダメといわれたのだが(まぁ医者は大概そういう)、会社に電話したら「出ろ」といわれた。非情な世界である。人がいないから当然っちゃ当然なのだが、同僚たちにもうしわけないことをしたなんていう気持ちは微塵もない。むしろ休ませてほしかったくらいだ。ちなみに31日は朝の4時から21時近くまで働くことになる。病み上がりなのに。

というわけで、忙しさにかまけて読んでいたにも関わらず、なかなか感想をゆっくり書く時間がなかったレイモンド・チャンドラーの『プレイバック』について。

村上春樹が新訳を担当しているチャンドラーの新刊は全部読んでいるが、『リトル・シスター』を読んでから是が非でも新訳化してほしかったのがこの『プレイバック』である。

「タフでなければ生きていけない、優しくなければ生きている資格はない」というセリフで有名だが(チャンドラーのチャの字も知らない親父だが、『野生の証明』のキャッチコピーに使われたらしく、このセリフだけは知っていたくらい)、ぼくはこの作品が昔からチャンドラーのなかでもベスト3に入るくらい好きで(ご他聞に漏れず、あとの二作は『さよなら、愛しい人』と『ロング・グッドバイ』である。『大いなる眠り』はそこまでであり、逆に『湖中の女』があとは好きだったりする)、『リトル・シスター』を読んだあとに、ここまで丁寧に訳してくれるならと、是が非でも早急に村上春樹に翻訳してほしかったが、読んでみたらやはり満足の出来。

ストーリーとしてはシンプルで、ある女性を尾行していたら、ある男に脅迫されているっぽいことがわかった。そこでなぜか急にマーロウがその女性と接触を試みるも、その脅迫している男とも遭遇してしまい……というもの。

そもそも依頼人にある女を尾行してくれって言われてるのに、いきなりその人が止まってるホテルの部屋に入るなど、行動に合点がいかないところがいくつかあるが(なんで脅迫してる男のふりして手紙を部屋に入れたのか?とか)、改めて読むと、これ犯人の動機というか、トリック的なものは『ゼロの焦点』と『犬神家の一族』と『容疑者Xの献身』を合体させて要約したような感じ。調べてみると『ゼロの焦点』と『プレイバック』はほぼ同時期に刊行されており、『犬神家の一族』は角川ブーム以前となると『プレイバック』以前で『容疑者X』は言うまでもないが、たまたま似たようなことをまったく違う国でもってそれぞれやっていたと思うと驚く。それぞれのことをいうとネタバレになるので読んでいただきたいところであるが、300ページほどの話によくもまぁこれだけ詰め込んだなという感じだ。分かりにくいっちゃ分かりにくい話でもある。

ちなみにこの本の帯にも書いてある通り(それを宣伝に使うというものどうかと思うが)、その有名なセリフについてはあくまで前後のやりとりのなかに埋もれさせ「飛ばねぇ豚はただの豚だ」的なパンチラインにしなかったのが逆におもしろかった。このセリフをありがたがってるのは日本人だけであるということに起因したのかもしれない。

もちろんエスメラルダという街の描写はこれまで以上にイキイキしており、そこに住んでいるかのような錯覚さえおこす。各キャラクターも魅力的で会話はウィットに富んでおり、純文学としても読める。なぞの人物とのやりとりはまるで禅問答のような感じで『インヒアレント・ヴァイス』や『ビッグ・リボウスキ』もこの作品からの影響はあるのではないかと思う。何よりもうれしいのは、リマスター盤が出ることによってビートルズツェッペリンが「新作」として聴けるように、新訳によってチャンドラーを「新作」としてリアルタイムで読めることだ。これ以上の喜びはないだろう。自信をもっておすすめしたい所存である。

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