『ゼルダ』は人生を教えてくれるゲームである

すさまじく忙しかったのだけれど、そのほんの合間をぬって『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド(以下、BotW)』をWii Uでプレイしていた。スーパー定時会社になったので、これからますますプレイ時間が増えることでしょう。

ホントはNintendo Switchを買ってプレイしようかなと思っていたんだけど、元々「BotW」自体、Wii Uで制作されており、『スプラトゥーン』と『ピクミン3』目当てに買ったまま放置していたので、せっかくだから成仏させようとWii U版を購入した。ただ『マリオ オデッセイ』がやりたいから結果Switch買ったほうがよかったんじゃねぇかって。しかし、もう一ヶ月以上プレイしているので、いまさら買い直して最初からやるというのも……

それにしても「BotW」評判通り……いや、それ以上の出来である。

今回の『ゼルダ』はオープンワールド仕様で、その世界が延々地続きになっている。だから目に見えるところはシームレスでどこまでも進んでいける。いちおう体力が続く限り、その肉体を使ってすすむ(泳ぐ、登る、歩く)ことが最低限のルールになっているため、世界の果ては「海」や「渓谷」で表現されているが、想像を超えた広い大地を延々歩いていく気持ちよさはシリーズ屈指であり、さらに今作ではルピーやハートがその辺に落ちているということがなく、金を稼ぐ概念もハートを回復させる概念も大きく変わっている。前者はそれこそ鉱石を採取し、それを売ったりして金に変え、後者はキノコや果物を山で採り、動物を狩ることで肉を得て、それを調理して食べることで回復する(もしくはベッドで寝る)。武器も敵から奪って調達するが、この世は諸行無常であるといわんばかりに使ってると壊れて消えてなくなる。シリーズ定番の最強の剣であるマスターソードに関しては力が弱まり、ある程度の時間で復活するという扱いだが、決して攻撃力は最強ではないという扱いになっている。

さらに、今回はクリアしなければならない大きなダンジョンも少なく、大きな目的もあるにはあるが道しるべもない。なので、延々とプレイすることも可能である。実際ぼくもダンジョンを突破せずにありとあらゆる世界にいき、ありとあらゆる場所にいちいち感嘆し、それだけで何時間も経っていたりした。この感覚に陥った人はぼくだけではないと信じている。

ぼくはよく『ゼルダ』は人生を教えてくれるゲームだと表現している。

それは98年に発売された『時のオカリナ』から顕著なんだけど、この世には太陽があって、光が差し、大地があって、水があって、風が吹き、夜がきて、また朝がきて、そこにぼくらは活かされている……という小沢健二が歌詞にしているような概念が3Dになってからの『ゼルダ』シリーズの根底にある気がして、それを毎回新作が出てプレイするたびに思っていたが、その極北が今回の「BotW」ではないかと。

タイトルが“野生の息吹”というだけあって、ホントに画面のなかで野生の息吹が溢れている。恐らくスペックでいえばPS4のゲームに軍配があがるのだろうが、その表現方法がすさまじい。風は吹くが場所によってはその風は強くなり、天気によっても左右される。光の当たり具合も、風になびく草木も、吹雪も灼熱の大地も、そこにちゃんと存在している。そのなかでリンクは寒さや暑さに耐えながら木々に生えた食物を採取し、動物を狩り、メシを作って喰らう……そこには人間の本質……人が生きると書いて「人生」というが、まさにそれがある。

といったわけで、発売から一年以上経ったが、まだまだ熱は醒めない「BotW」。時間に余裕ができたので、じっくりじっくりこれからも楽しんでいこうと思った。

とはいえ、なんやかんやであと火のところにいるでっかいトカゲ突破すればガノン一直線の状態なんだけどね。