家父長制という虐待『葛城事件』
『葛城事件』をレンタルDVDで鑑賞。
黒沢清監督の『トウキョウソナタ』のなかでこんなシーンがある。
父親以外の家族が席に着き、夕飯もテーブルに並べられてるのに誰一人手を付けずに待っている。そこに父親がやってきて、おもむろに冷蔵庫を開け、缶ビールを持ちテーブルに座る。そのビールをグラスに注ぎ一口飲みほし、そしてまたビールを注ぐとそれが合図であるかのようにようやく家族全員が夕飯を食べ始めるのだ。
音声解説によるとこれは脚本にクレジットされているマックス・マニックスが異常な長さで脚本に書き込んだという。いわゆる外国の方から見た「フシギの国ニッポンのフシギな習慣」ということなのだろうが、日本人はこのシーンを見て「あー、これウチと一緒!」という感想と「ホントにこんな家族あるの?」という感想に分かれるらしい(ちなみに黒沢清の家にこのような習慣はなかった)。
ぼくの家族もわりとこれに近い暗黙のルールがあり、それによって長年嫌な思いをしているが、ついこないだも「笑ってこらえて!」の「娘は父親が好きか?」を検証するドッキリのなかで、やっぱり仕事帰りの父親が席に着くまで家族全員が夕飯を食べずに待ち、席に着くといっせいに食べだすというシーンが放送された。
これは日本に昔から根付く家父長制(家長が絶対的な権力を持ち、家族全員を支配する制度)であり、アメリカでは虐待になるとも言われているが『葛城事件』はそれによって引き起こされる家族の悲劇についての物語だ。
いきなりネタバレ
三浦友和演じる父親には息子がふたりいるのだが、そのふたりは後に命を落とすことになる。長男は自殺、次男は無差別殺人事件の犯人として死刑でだ。彼は家父長制でもって20年間かけてふたりの子供を真綿で首をしめるようにじわりじわりと死に追いやったわけだが、これは虐待で幼い子供を殺す親とやってることは変わらない。もっといえばその父親のせいで、無差別に人が殺されているということでもあり、だからこそタイトルが『葛城事件』になっているのだと思う。
ネタバレ終了
映画は家族がとっくに崩壊している様を映し出し、時間軸をバラバラにすることによって、葛城家がいかに崩壊していったのかを描き出すが、この映画は幸せな瞬間を映し出してるように見せかけて「家族はすでに形成されたときから壊れていたんですよ、父親のせいで」とハッキリ提示する。本人は無自覚であっても、家族はそう思っているんですよと。
家族というコミュニティは実に不思議なバランスで成り立ってるものだと思う。友人とは違う独自の気の使い方や我慢があり、友人にいえても家族にはいえないことが死ぬほどある。映画史のなかで描かれる家族崩壊はひょんなきっかけで起こるが、実際は違う。むしろ最初から崩壊寸前で、それを崩壊しないように各々がつなぎ止めているものだし、元々作った段階で綻びがあるものなのだ。なぜなら家族といえども他者同士だからである。
その意味でこの『葛城事件』はちょっと大仰ともいえるフィクショナルな部分とリアリスティックな部分をうまーく混ぜ込みながら「家族とは所詮こういうものなのですよ、みなさん」と問いかける。フィックスでローアングル。時には左右対称になるくらいカチっとした画面構成は『東京物語』のそれを彷彿とさせるが、あれも戦後の家族崩壊についての映画であった。
「後味がすごく悪い」という感想が並ぶが、後味どころか、この映画は「最初から最後まで味が悪い」といえる。もうシーンすべて、なにからなにまで味が悪い。しかし、こういう風になる可能性がある家族はこの映画のなかだけではない、現実にはあることなのだ。ぼくの家族が、ぼくの父親がそうであるように。
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