ファインディング・麻理『いぬやしき』

いぬやしき』をレンタルDVDにて鑑賞。
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職場や家族にもその存在自体をないがしろにされている初老の男がガンで余命いくばくもないことを知った。家族にその事実を打ち明けられないまま悶々と日々を過ごしていたが、ある夜、犬の散歩の途中で立ち寄った公園が謎の大爆発を起こし、男はその場で即死。しかし、彼はその記憶が曖昧なまま、まるで夢を見ていたかのように公園で朝を迎える……というのがあらすじ。

原作を5巻まで読んだあと、ノイタミナ枠でアニメ化されたものをAmazonプライムにて全話観た。ぶっちゃけ音楽がやけに仰々しく、そのことによってギャグとして処理されていたシーンがややエモ寄りになってしまい緩急がなくなってしまったが、それが感動的なシーンではいかんなく発揮され、小日向文世の大熱演もあいまってアニメならではの表現として生まれ変わった。高校生役の村上虹郎も「90年代浅野忠信」のような佇まいを声だけで再現し独自の存在感をアピール。原作を完コピするという方向性だったため、映像化するには危険な部分もあったが、ちゃんとノーブレーキで挑んだことは賞賛に値する。CGの進化も含め、このクオリティなら『ザ・ワールド・イズ・マイン』や『童夢』も同じスタッフでアニメ化したらファンも納得するのではないかという出来であり、ハッキリいってこのアニメ版は日本製のエンターテインメント作品において『シン・ゴジラ』に並ぶほどの傑作で、ドラマや映画といった映像表現に関してはまずこれを越えることがしばらくハードルとなるのではないか?といらぬ懸念をしたほどだった。

無論、実写版がアナウンスされた時点でアニメ版を越えることはできないであろうとたかをくくっていたが、意外や意外、これはこれで独立したものとして楽しむことができた。監督は『GANTZ』をへっぽこにしたことで有名な佐藤信介。しかし『アイアムアヒーロー』が絶賛され、その実力がようやく発揮されたところで、同じ原作者の作品の実写化に再び挑むことになったとは何の運命だろうか。本人としてはリベンジのつもりだっただろうが、それは果たせたといっていいだろう。

今作でのポイントはCGの進化によって『アイアンマン』や『スパイダーマン』シリーズにもやや手が届くような和製アメコミヒーロー映画になったこと。『ジョジョの奇妙な冒険』もそうだったが、今までの邦画にあった「うわー、ここCGっぽいなぁ」というノイズが完全になくなったことで作品への没入感がハンパなく、もしかしたら鈍重になりかねなかった二幕目も映像で逃げることができたし、クライマックスに関してはアニメ版よりも見せ方がうまいので原作以上の興奮が得られた。

さらに良い意味で執拗に描いてたいくつかのシーンも省略され、主人公の追い込みを増した脚色がかなりうまくいっており、原作にはなかった“弱点”を加えることで、破壊一辺倒になりかねかったクライマックスにスパイスを効かせることができた。ややスケール感はダウンしたものの、『ヒメアノ〜ル』的な物悲しいラストに関しては原作超え出来たのではないかと思わせる。

主役を演じた木梨憲武はコメディアンであることを忘れてしまうほどの小市民感を見た目で演出され、「まーりー!」と娘の名前を叫びながら新宿の街を探しまわるシーンは完全に『ファインディング・ニモ』のお父さんと演技が一緒であり、もしかしたらあれを観たプロデューサーなり監督がこの役にピッタリだとオファーしたのかもしれない。高校生役の佐藤健に関しても以前から思っていた「もしかしたらこの人、根は悪人じゃね?」という部分が見事に抽出されハマっていたし、役としても幅が広がった。なぜかアニメ版から引き続き同じ役で登場した本郷奏多も弱々しいヲタクな感じがちゃんと出ててよかった。

もちろんいろいろ言いたいことはあるが、画に説得力があったため、かなり満足感があったことも事実。マンガの実写化は不可能といわれてきたが、この昨今においてそれは死語化するかもしれないなと改めて思った。恐らく映画館で観ていたらもっともっと興奮していたに違いない。意外とおすすめ。

雪は白い、だからこそ何色にでも染まる『ミスミソウ』

ミスミソウ』をレンタルDVDで鑑賞。
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多少の粗さはあるものの、非常によく出来た作品だなと思った。

監督はそのタイトルと内容で超絶な賛否両論を巻き起こした『先生を流産させる会』の内藤瑛亮。処女作にして黒沢清北野武のような風格とセンスを見せつけていたが、今作でもそれはいかんなく発揮される。原作にかなり忠実な脚本でありながら、演出方法は完全に『先生を流産させる会』のアップデート版だと言っていいだろう。実際、この作品において担任はぞんざいに扱われているし、生徒も良識ある大人にはできないような残虐的な行為をする。まさに『ライチ☆光クラブ』同様、内藤監督の得意とする題材であるといえる*1

にも関わらず、運命とは皮肉なものであり、製作自体はかなりゴタゴタで、クランクインの一ヶ月前に前任の監督が降りたらしく、急遽内藤監督に白羽の矢が立ったというのがオチ。ちょっと準備期間がなさすぎるだろうと思いながらも原作のファンだったこともあって引き受けるはこびとなるが、当然原作者とのディスカッションもなく、役者のオーディションにも立ち合えず、さらにスタッフが決めたロケ地に赴くと、その場所が間違ってたり、合成カットの打ち合わせもないため、現場で「とりあえず緑のテープ巻いときゃなんとかなるっしょ」と『マッドマックス 怒りのデスロード』のメイキングを思い出しながら、その場のノリで撮影した。しかし、塚本晋也の『野火』同様、そういったトラブルを感じさせない……むしろ突貫作業だったことが信じられないような落ち着いたトーンになっているのは監督の才能とは別に現場を仕切る力量があるんだなと思った。

お話自体は都会から過疎化寸前の田舎に引っ越してきた女の子が、執拗かつ陰惨なイジメに遭い、あげく家族を皆殺しにされたことでブチ切れ、犯人をひとりひとり血祭りにあげていくという復讐譚。ハッキリ言ってサム・ペキンパーの『わらの犬』となんら変わらず、よく見聞きするような感じで、それこそ有象無象に派生した“わらの犬症候群”のひとつとして数えられてもおかしくないが、そのゴタゴタで作られたこととは別にとてつもなく分厚いレイヤーを何層も敷いたことで、それらとは一線を画す、重量感のある作品に仕上がった。

ひとつめのレイヤーは『わらの犬』の設定を“過疎化/集落化した日本のド田舎”に置き換えたこと。これによって「津山三十人殺し」や「山口連続殺人放火事件」を彷彿とさせ、まったく『わらの犬』であることを意識させず、日本ならではの土着感と異常性が加わり唯一無二な作品に昇華した。

ふたつめは学校を舞台にして、イジメの描写を『エレファント』よりも丹念にしたこと。これによって「コロンバイン高校乱射事件」の本質はどこにあったのか?に迫れた。マイケル・ムーア銃社会アメリカの国民性をテーマにあの事件を紐解いていったが、動機自体は単純にいじめられっこの復讐であり、作り手が無意識であったにせよ、あの事件の縮図としてもこの作品は機能している。

三つめは登場人物の大半が十代になったことで『バトル・ロワイアル』の“ちゃんとした”フォロワーになれたこと。これは原作のテイストがそのような感じなのだが『バトロワ』以降、理不尽なルールのなかで若者が殺し合うという作品がかなりつくられてきたなか、今までのレイヤーを敷いたことで、圧倒的な深みが加わり、それらを平成最後のタイミングで一気に墓場送りにできたことはうれしい誤算だった。

四つめは被害者側にもそれなりの理由があったということをしっかり描いたこと。原作では下巻において、かなりのページ数を割いているが、映画ではわかりやすく簡略化したことによって、『人妻集団暴行致死事件』のようなノワールに化けた。田舎に閉じ込められ、未来がなくなった若者が憂さを晴らすために群れて暴力をふるっていたという、彼らなりの動機があり、もちろん許されたことではないが、先ほども書いたようにそれが近年であっても陰惨な殺人事件になっているという事実を鑑みると、この作品で描かれたことはそこまでフィクションではない、未だに日本にある現状だ。だからこそ観てる側の価値観が逆転し、自身のモラルが破壊される仕組みになっているのである。

もちろん観ていてノイズになるような部分はある。あれだけの事件が数日にわたって起きているのに警察がほぼほぼ動いていないとか、担任と保護者の関係はどうなっているのか?とか、どの程度の規模の町なのか?とか、そもそも家族そのものが村八分にあっているのに、なぜすぐに仕事を辞めて引っ越さないのか?とか、娯楽がないわりにエアガンやボウガンはどこで買ったのか?とか、根本的にあそこまで学校って崩壊するものか?とか。

しかし、そういったノイズも含め、その緩さや余白の部分を観客が補完することにより、他の作品に比べ、圧倒的な余韻が残るのも事実。原作ではかなり人物に寄った構図で物語が紡がれていくが、映画は内藤監督らしく、ロングショットの長回しを多用し、雪が降り注いでいることを意識させる。当然、画面は真っ白であるが、白は何色にも染まるのだ。その白を各々の色で染めていく……そんなカルトムービー的なおもしろさがある。この映画は確かに血なまぐさく、モラルは崩壊しているが、真っ白であるがゆえに何もかもが正しく、そして美しい。

ミスミソウ [DVD]

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*1:といいながら『ライチ☆光クラブ』はマンガ版が大好きで映画は観てないのだけれど

テレビ版に期待『後妻業の女』

『後妻業の女』をAmazonプライムにて鑑賞。
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資産家のジジイをだまくらかして公正証書遺言を作成し、殺すか、病気で死ぬまで待ち続け、その遺産を奪いとる後妻業についてのお話。

原作は黒川博行の『後妻業』。以前このブログにも感想を書いたので手短に済ますが、後妻業うんぬんのことはあまり関係なく、二転三転していくストーリーを被害者、調査者、加害者の視点で描いていく。黒川博行は軽妙洒脱な会話劇と展開で痛快なノワールを書く“なにわのレナード*1”だが、この『後妻業』はその手法を封印し、ドライで凶悪、そしてそれに伴う因果応報っぷりといい、読む者を地獄の底まで引っ張るようなドス黒い、これぞノワールな話に挑戦している。

その点、映画は原作とは正反対で、黒川博行が本来得意とする大阪の土着性を利用したレナード調の文体をそのまんま映像化したようなノリ。コメディとまではいわないが『ゲット・ショーティ』や『ビッグ・バウンス』のようなレナード原作映画が持つ独特なテンポとノリを再現していて、ある種、作家の資質をそのまんま映画にスライドさせている。黒川作品に慣れてる人からすれば「ほぅ、こう来たか」という感じである。

スタッフ、キャストともノリノリで大阪という土着性がそうさせてるのかもしれないが、大竹しのぶはそれこそ水を得た魚のごとく、縦横無尽に大海原を飛び跳ねながら泳ぎまくり、それに豊川悦司永瀬正敏尾野真千子なども乗じ、そこに“後妻業”とは何か?の説明もしっかりと挟み込み、ミステリーの要素も加え、犯罪者たちが追いつめられていく様子もちゃんと描いている。

ここまではエンターテインメントとして大変よく出来ていて、なんの不服もない。むしろ原作ファンとしてもそれ以外の人にとっても完璧と言ってもいいくらいだ。しかし、残念なことに映画が三分の二くらいまで進むとそれまであったノリが一気に衰え、同時にそのおもしろさもとてつもないスピードで消え失せていく。まるで完璧な犯罪だと思われた事件が破綻していくかのように。

まず、ジョーカーであるはずの大竹しのぶの息子…風間俊介のキャラクターがまったく機能しておらず、格段に知能指数が低く設定されている。で、彼のそのバカさ加減を他がカバーすれば良いのに、なぜか彼が出てきたことによって他のキャラクターもそれに合わせて知能指数が下がりはじめ、最終的になぜかドタバタコメディのようになってしまう。

当然、原作のようなドス黒い因果応報な終わり方もそれに合わせてなくなる。これは原作を知らずともあっけに取られるというか、ある種、おっぺけぺーというか、おっぱっぴーというか、そういうバヨエーン的なよくわからないオチになってて*2、それまでマジメにやってきたはずなのに、物語にたいしての収拾がつかなくなるというか、最後の最後で話を投げたかのようなそんな印象さえ受ける。

これは非常に惜しい。終わりよければすべてよしという言葉とは真逆であり、絵に書いたような竜頭蛇尾で、そりゃそんな四字熟語もできるわなと納得させられるようなそんな映画だ、なのであまりおすすめはしない。エロもさほどないし、強烈なバイオレンスもない。まぁこの映画のなかで殺されてしまう年代の方々のために作られたようなそんな感じなのだが、テレビ番組がそうであるように、超高齢化社会になってしまった今、映画もこういうタイプのものがこれから大量生産されるかもしれない。

ちなみについ先日、この『後妻業』がテレビドラマ化されることが決まった。ドラマ版というよりも原作の再映像化になるのだろうが、これにはおおいに期待している。楽しみだ。そして、早く映画のほうを忘れさせてほしい。

後妻業の女 Blu-ray豪華版

後妻業の女 Blu-ray豪華版

後妻業 (文春文庫)

後妻業 (文春文庫)

*1:筆者命名

*2:書いててもよくわからないが

ベスト・オブ・黒沢清『散歩する侵略者』

散歩する侵略者』をレンタルDVDで鑑賞。
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映画はとんでもないショッキングなアバンタイトルから幕を開ける。続いて奇妙な言動を繰り返す男が病院で保護されているシーンになり、彼の妻が迎えにきて、医者にことのあらましを告げられるのだが、実はこの夫婦の関係はとうに冷め切っていた。すっかりストレスから精神病になってしまったと思った妻だが、夫にある告白をされたことで自体は急変していく。その一方、バラバラ殺人を調査していた週刊誌お抱えのライターが、その生き残りであった女子高生を探していたところ、またしても奇妙な言動を繰り返す青年に出会い、ここでもある告白をされる。この二組が出会ったとき、すでに彼らはとんでもない運命に巻き込まれていたことを知る……というのがあらすじ。

人々に何かが感染していき、それによって人間とは?という問いかけを人間が見つめ直すという展開や、ワンカットのなかで正常から狂気になるという演出は『CURE』だし、独自の終末感と話のトーンとかけ離れたショッキングシーンの連続は『回路』だし、非日常なモノと人間が奇妙な関係性を結ぶというのは『LOFT』だし、ホラー映画のような演出でコメディを撮るというのは『ドッペルゲンガー』で、もうこれぞベスト・オブ・黒沢清というべき集大成的な作品であり、彼の最高傑作であるといっても過言ではないと思う。『クリーピー』もそのようなポジションの映画だったのにも関わらず、2017年のタイミングでこんな作品をつくってくるのもすごいというか、彼の才能というのは枯渇しないのではないだろうかと真に思わせてくれるモノをいま観れるなんてこれ以上の幸せはないだろう。

黒沢清によって役者として発掘されたアンジャッシュ児嶋一哉やラストでサプライズ登場するある人や前田敦子など黒沢組の常連はもちろん、高杉真宙恒松祐里といったフレッシュな顔ぶれ、そして長谷川博己長澤まさみ松田龍平といったスター俳優とキャスティングのバランスは今作でも冴え渡っている。インタビューや音声解説ではキャスティングにはあまり関わっていないなんてことも言っているが、だとしたら作品に役者たちが集まってくると言うべきなのかもしれない。役所広司前田敦子も黒沢組に参加できることは役者として光栄であるみたいなニュアンスを言っていたし。

というわけで物語の特性上これ以上なにも書けないのだが、逆にいえば、これで全部この映画の魅力は言い尽くしている。黒沢清の映画をまったく知らない人にとって、確かに後半の展開などはあっけに取られるだろうが、娯楽作としてはかなりおもしろい部類に入るのではないだろうか。実際、どういう展開になるのかまったく想像つかなかったし、ドキドキしたし、早く続きが気になり、そしてこの映画が終わってくれるなと心の底から思った。ぼく自身、仕事の忙しさもあいまって、ここ3年ほど映画から離れていて、その離れてた間に公開され気になってた映画を片っ端から観ているが、そのなかではいまのところダントツ一位だ。

三人の生徒が三人の先生を!?!?『先生!、、、好きになってもいいですか?』

『先生!、、、好きになってもいいですか?』をレンタルBDにて鑑賞。
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恋は雨上がりのように』のアニメ版についてブログに書いたが、基本的に年をとったことによって「世間から手放しで祝福されにくい恋愛している人」に「甘酸っぱい青春の要素」が加わった話が最近好きになり、当然ながら「女教師と男子中学生の恋愛」を主題にした『中学聖日記』も酩酊状態で布団にくるまり悶絶しながら観てたりする(実はブログのネタとして書いたのだが、8話進んだ段階で、自分が指摘したことが構成上のネタ振りだったことがわかりボツにした)。

で、その流れもあって「女子高生と高校教師の恋愛」を主題にした『先生!』も借りてきて観た。

この手の映画はおっさんになってからハマったクチなので、改めて観て驚いたのだが、キャストのヘアメイクはまるでお人形さんのようで走っても激しく乱れることはなく、天候を表現する照明もテレンス・マリックかというくらいすべてが包み込まれるような優しげな雰囲気を醸し出す。美術に至っては汚しや傷みたいなものはいっさいなく、清潔感の極地みたいにピカピカで、端的にいってこの世のものとは思えない、なんなら天国ってこういう感じの世界なのではないのか?と思うくらいの映像。もちろん甘酢を引き立たせるための画面設計なんだろうが、浮世離れしすぎて気持ち悪いというか、ブルーレイの高画質もあいまってファンタジーのようであった。三木考浩監督の作品は『ソラニン』しか観てないんだけど、知らない間に「胸キュン映画の巨匠」に登り詰めていたようで、その手腕はこういうところに発揮されていたらしい。

と、最初は度肝抜かれたんだけど「いやいや、オレはこういう映画を求めてレンタルしたのではないか、それこそインスタ映えするようなスイーツを食べるために来たのに“え?餃子とかないの?”」と怒るバカはいないと襟をただした。

映像はとにかく話もなかなかぶっとんでいる。

端から「先生と生徒の恋愛話」であることは百も承知で、それが観たいから借りてきたわけなのだが、はじまって早々、三人の生徒がそれぞれ三人の別な先生に恋するという禁断の恋愛のメガ盛り状態。で、そんなスタートなので、なぜ彼女たちが先生のことを好きなのかは描かれず、そのなかのひとりは若い過ち的なことなのか、その恋愛に対して早々に離脱する。で、残されたふたりはそれぞれに小さな恋を育んでいくのだが、広瀬すずはどこのきっかけでその恋が燃え上がっていくのかよくわからない。いや、別に好きに理由なんてないからいいのだけれど、じゃあそこに理由がなければならない生田斗真はどうかというと、これもまたよくわからない。その点、そこにしっかりと観客が納得する理由をつけていた『恋雨』はやっぱりよくできた作品だったということになる。

1時間話が経過すると、予想を超えた(といってもあらすじに書いてあるが)展開になり、その様子が運悪くSNS上で拡散。どの程度の社会問題になったのか画面上ではでてこないが、生田斗真側に責任ありとされ、彼と広瀬すずは離ればなれになってしまう。がしかし、彼らはそんなのどこ吹く風といった具合で何一つ傷を負わずにあっけらかんと日々を過ごしていく。

それに見かねた別な先生に恋をしていた親友ふたりがふたりのケツを叩き、お前らは一緒にならんかい!と激を飛ばし、ようやくふたりは本来の気持ちに気づいて、一緒になってめでたしめでたしという感じで映画は終わる。

とまぁ話の流れはこんな感じなのだが、いまツッコミを入れた以上に問題だらけの話である。

生田斗真は社会的な制裁を受けなければならないのにいうほどそんなことになってなく、SNSに晒されたにも関わらず、なんか自分からその処置を発案したかのような口ぶりで、しかも彼女からの「逃げ」だと見なされているし(『中学聖日記』でさえ、淫行疑惑で退職まで追い込まれているのにである)、そもそもタイトルに書いてあるように一方的に想いを寄せてていいか?と彼女側から譲歩しているわけで、先生もちゃんとした大人である以上、そこ止まりにするべきだった。実際、広瀬すずは先生とのある約束を境に、もう先生の周りをウロウロすることはしないと決意しているのである。つまり中盤であんなことをしたのはそれこそ「魔が差した」と思われても致し方ないし、劇中の言葉を借りるなら「弁解の余地」もなく、彼女への想いをみんなの前で独白するシーンも説得力に欠け、それが「胸キュンなシーン」とはどうもなりにくい。

ふたりのことを説得する親友もムチャクチャで、本人たちが納得し、それぞれの道を歩もうとしていて、その理由と行動に説得力があり、むしろこれで終わればキレイに収まるのに、『アウトレイジ ビヨンド』の小日向のように余計な理屈で引っ掻き回しはじめ、それが完全にノイズになっている。なんというか、ハッピーエンドに無理矢理もっていくための設定というか……

とはいえだ。そんなことを許容してこその甘酢ムービーなのだ。その意味でこの『先生!』は甘酢をこれでもかとぶっかけまくった濃厚なスイーツであり、特に前半はどこを切っても甘酢しかないような展開でキュンキュンしたし(メガネのくだりとか、先生に数学手伝ってもらうとか、雨のなか想いを叫ぶところか!)、正直、後半とかガッツリ観ながら泣いたりしてるのも事実。それをあっさりと平らげることができたのはなんといっても広瀬すずの清涼感!そしてその演技のうまさ!表情のうまさ!であり、彼女がやってればなんでもいいやとさえ思えるくらいであった。あとスピッツのエンディング曲な。

といったわけで、そういう緩い部分も含めて、ぼくはこれからこういった甘酢ムービーを『エクスペンダブルズ』を同じように楽しんでいくんだと思う。なんなら甘酢シーンだけしかないとかそういう映画作ってくれないだろうか。『パシリム』みたいな感じで。