53分カットの短縮版……『バーニング』
『バーニング』鑑賞。
名匠イ・チャンドンが村上春樹の『納屋を焼く』を原作に8年ぶりにメガホンをとった作品……と書き出したものの、これがかなり特殊な状態での鑑賞状況となった。
まず、この『バーニング』は“劇場版”と銘打ち、世界の名立たる映画祭やら賞レースに出品。その流れで、日本でも2019年の2月に公開というはこびになっているのだが、なぜか公開前に53分短縮され日本語吹替がついた“ドラマ版”なるものがNHKで放送された。なので、ここからの感想はこの「NHK放送版」というポジションになる。どうも村上春樹の原作権をNHKがおさえていたようで、その関係でこんなことになってしまったらしい。とはいえ便宜上『バーニング』と表記させていただく、めんどくせえし。
で、その『バーニング』。かなり原作からアレンジを加え、ミステリーとして作り直したとアナウンスされていたが、今回のバージョンを観る限り、セリフから設定からわりと原作に忠実であり*1、マイルスを使った音楽も含め*2、そこまで型破りなことはしていないように思う。そもそもこの原作自体、中盤から伊坂幸太郎の『重力ピエロ』のような展開を見せ始めるので、確かに描き方によってはミステリーになるっちゃなる。逆に今回のバージョンでは舞台を現代に移したため、スマホがその役割を何割か果たし、素人探偵がこれから起こるかもしれない事件を捜査するという部分がけっこうないがしろにされているくらいで、これを細かく描写するとホントに伊坂幸太郎になってしまうため、NHKが村上春樹ファンへの忖度を勝手にし、編集でカットした可能性もあるが、それは“劇場版”を観ないとなんともいえない部分である。
今回の映像化でうまいなぁと思ったのが、主人公とある告白をする男の環境をそれぞれハッキリと描いたこと。原作ではどこの誰だかわからずじまいなのだが、今回は主人公が北朝鮮に近い田舎の集落に住んでおり、ある男はグレート・ギャツビーのようなド派手な生活をしているという設定になっている(原作でも名前は登場する)。
細かいことをいうとネタバレになるが、このアレンジをすることによって後半の展開がNTRもふくめ、さながら『ファイト・クラブ』や『アメリカン・サイコ』になり、なるほど、アレンジを加えてミステリーとして描き直したというのはそういうことだったかと膝を打つ感じになっている。もちろん原作に忠実なラストを迎えるため、そのあたりはこちらが深読みするしかないのだけれど、その深読みする余地があるようなもっていきかたとアレンジをしているということでもある。なんならブラッド・イーストン・エリスがデビュー前にこういう短編を書いていたような感じといっていいかもしれない。現実か妄想かわからないみたいなところもあるし。
劇場版は長尺ながら、スケールは小さく、全体的にバジェットはかかってないように思うが、ここはさすが名匠イ・チャンドン。画面のルックは黒澤や全盛期のチャン・イーモウのように端正かつ重厚で、なんで監督によってここまで違いがでるのだろうと思ったくらいである。もちろん美術や照明、撮影監督の働きも大きく関わってきているのだろうが。このあたりも日本映画負けとるのぅと素直に思った。
といったわけで、ここまで書いておきながら、これはそもそも53分「も」短縮された謎のバージョンの感想なので、また“劇場版”が公開されたらその感想を書きたいと思う。とはいえ、2018年で公開された映画のなかではこのバージョンでもベスト1くらい好きな作品になった。まぁ2018年の公開作品7本しか観てねぇんだけど……