ブラック・ダリア


ブラック・ダリア事件として有名な殺人事件を下敷きに、ジェイムズ・エルロイが渾身の力で書き上げたと言われる小説を映像化。ブライアン・デ・パルマが『虚栄のかがり火』以来久々のパートナーとして選んだ、ヴィルモスジグモント。彼と組んで作り上げた映像は見事と言うほかない。まさにブライアン・デ・パルマにとっても渾身の力で撮りあげた作品なのだろう。彼の作品は2つのパターンがあり、撮りたくて撮ったファンにはたまらない映像暴走パターンと、しっかりと物語を紡ぎ、映像は職人的な作品のパターンがある。前者は『スネーク・アイズ』や『ファム・ファタール』、『レイジングケイン』などがあり、後者には『スカーフェイス』や『カリートの道』、『アンタッチャブル』がある。『ブラック・ダリア』は典型的な後者のタイプの作品だという事だ。

ブラック・ダリア事件とは1947年に起きた殺人事件である。ハリウッドの関係者に目が止まるように全身黒ずくめの格好で活動していた女優志望の女性の死体が、ロサンゼルスで発見される。彼女は役につけるわけでもなく、娼婦まがいの事をし、生活していた。死体は激しい損傷があり、胴体で真っ二つに切断されているものの、洗い清められており、手がかりはゼロ。事件発覚後に新聞社にブラック・ダリアの所持品が送られてきたが、指紋は検出される事なく、500人以上の関係者が捜査線上にあがり、一ヶ月以上に渡って新聞のトップを飾ったが、結局事件は迷宮入りとなった。

ジェイムズ・エルロイはこの事件を元に『ブラック・ダリア』という小説を書き上げる。犯人こそ捕まらなかったものの、小説にするにはもってこいの題材で、エルロイは迷宮入りの事件から、犯人像、動機、その事件に関わる人間の心理、過去のトラウマなどを盛り込み、一級のサスペンスに仕上げた。私は小説を読んでないが、映画版はこの小説の完全映画化に挑んでいると思うのだ、それには2つの根拠がある。

まず、この様な小説を映画化する場合、事件そのものに焦点を合わせ、それをメインに物語を紡いでいくが、映画の『ブラック・ダリア』は事件に行き着くまでが長い。もちろん主人公達のバックグラウンドを描かなくては物語に説得力がないが、それにしても長いのだ、これは原作にあるエピソードをしっかりなぞらないとこの長さにはならないと思う。それ故、丸々削らないで、映像化する方向に至った、だからこそ導入部分がこれだけ長いのだ。

次に人間関係であるが、映画ではあり得ない程複雑な絡まり方をする。映像にしてくれるので、ありがたいが、これに着いていけない人も大勢居ると思う。ロバートアルトマンの『ロング・グッドバイ』は原作のテイストを盛り込みつつ、映画独自の展開を見せた。これも原作は複雑な人間関係の絡まりを見せるが、映画ではこれがカットされている。『デスノート』も同じ様に原作の複雑な絡まりをカットして映画独自の展開を示した。それ故、映画は至ってシンプルになっている。『ブラック・ダリア』は明らかに原作から引用しましたというのがよく分かるくらい複雑な展開を見せる。特に後半の畳みかけは見ていて爽快と思うくらいの複雑な展開を見せる。これを脚本化した事もすごいが、ジェイムズ・エルロイという人の本がどれだけすごかったかというのもわかるくらいの、複雑な絡まり方である。恐らくこれも原作通りなのだろう、何人か関わっている人がカットされているにしても、かなり複雑である。

そんな複雑な話を引っ張っていく役者陣だが、ハッキリ言ってもっと適役が居たんじゃないかと思うくらい中途半端だ。

艶のかけらもないスカーレット・ヨハンソンヒラリー・スワンク。主人公を演じたジョシュ・ハートネットもイマイチ魅力がない。だからと言って彼の相棒役もピンと来ない。キャスティングはもののみごとに失敗しているのではないだろうか。

これだけ書いたが、映画としてはかなり見応えがある作品だ。47年という時代をこれほどまでにリアルに映像化する事がまず素晴らしい。もちろん『L.A.コンフィデンシャル』ありきの映像世界だろうが、細かい所にまで気を配った演出で、映像に説得力がある。ヴィルモスジグモントの撮影も素晴らしく、クレーンを使った優雅なカメラワークは、その映像世界を伝えるには完璧。変にスタイリッシュじゃないのも好感が持てる。わざわざテクニカラーに近づけたり、アイリスイン/アイリスアウトを使ったり、昔の映画の雰囲気に近づけたのもよかった。この辺はさすがデパルマと言うべきだろう。

恐らく原作の雰囲気はつかめていて、その雰囲気は見事に映像化されているが、原作を越えるのは無理と言った評価なのだろう。現に映画のラストにも「ブラック・ダリア事件を元にしたジェイムズ・エルロイの小説に基づく」というテロップが出ていたくらいである。原作を読んでいない私としては、映画としてはなかなか楽しめたが、原作が読みたくなってしまったというのが正直な意見だ。それくらい原作に影響された作品だと言える。あれだけ複雑な絡まり方をするのならば、小説の方がもっと作り込まれているのだろう。これだけの内容を2時間にまとめた事はすごいし、なんか中途半端だったなぁというのもまったくなかったので、脚本の時点でかなり練り込まれたのだと思われる。デパルマとヴィルモスジグモントのファンとして映画館に足を運んだが、それ以外の人でも見応えはある作品になっていると思うし、観る価値は十分にある。個人的には『L.A.コンフィデンシャル』を見てから見るとより楽しめるだろう。