キャッチャー・イン・ザ・ライ

キャッチャー・イン・ザ・ライ (ペーパーバック・エディション)

キャッチャー・イン・ザ・ライ (ペーパーバック・エディション)

村上春樹による『ライ麦畑でつかまえて』の新訳。この本、出だし一発でノックアウトである。ハッキリ言ってしまうとこのホールデン・コールフィールドという男は私だ。私というよりも、中学の頃、自律神経失調症になってた時の私と言っていいだろう。もしこれをあの時期に読んでたとしたら、多分、号泣してたと思う。それは、自分の事をこんなにも分かってる人が世の中にいたなんてという嬉しさによるものだと思うが。

思春期に体験しなければ、その魅力を十二分に理解出来ないという作品がある。尾崎豊とかブルーハーツもそうだ。私はブルーハーツを聞いたのは大分後になってからだったが、尾崎豊だけはこの中学生くらいに聞いてたので、すごく歌詞が刺さった。あの当時の思春期の子供はみんなそうだったんだと思う。

キャッチャー・イン・ザ・ライ』はまさに16歳の感性で描かれた作品である。だが、本を読む限りこの主人公は14歳くらいで年齢がストップしていると思う。とにかくホールデン・コールフィールドは私なのだ、んで、このように思ってる人は多いと思う。話してる途中で文脈がずれまくるところとかもあの頃の私に似てるし、もう一人の自分を『君』と仮定して、自分が思ってるモラルハザードな部分をぶちまける所とかもすごく似てる。いや、まてよ、この本における『君』はもう一人のホールデンではなく、読者に向けられた言葉なのかもしれんな。私はもう一人の自分に話しかけてるという解釈だが…

話を戻そう、あの頃は変に自分の哲学があり、起立性低血圧だったので布団に寝転んではいろんな事を考えてた。妙に冷めてたし、親戚や先生の前ではかなりいい子ぶってたが、本当に思ってた事はここでは書けない様な事だった。私の本当の気持ちなんて、誰にも分からないんじゃないかとあの当時は思ってた。

先生を前にした時の態度とその奥底で思ってた事を対比させるところなんかは、ホントに過去の自分を観ているようで怖くなった。これを読んでこう思う人は私だけじゃないと思う。考え方や訳の分からないテンション、理由も何もないが意味なくいたずらとかをして、大人にはなりたくないと思ってたあの頃の自分がよみがえってきた。

私は『氷点』という本がすごく好きで、3回くらい読んだのだが。この本は人間として最低な部分がむき出しに書かれていて、『なんだこいつら最低だな』って思うんだけど。そういう最低な部分は誰しもが持ってる部分であり、それを1人の作家が複数の感情として描いてた点が素晴らしかった。だからこそ共感はしないが、襟を正してくれる大事な大事な本である。

キャッチャー・イン・ザ・ライ』は一部の人間が思春期の頃に抱えるモヤモヤを、これでもかと吐き出している。そう言った意味でも共感がすごく出来る本だ。そしてものすごく文体が柔らかく、過激な事を書いていても、すごく受け止めやすい。私は村上版しか読んでないので、なんとも言えないが、元々はもっと汚い言葉とかもたくさんありそうだ。話はたいした事ないけども、まったく退屈する部分がないのもすごい。傑作中の傑作と言っていいんじゃないだろうか。

キャッチャー・イン・ザ・ライ』はおちこぼれの話だ、主人公は人間的に完成されてない。友達の事を鋭く洞察したかと思えば、急に泣き出したり、頭の中はエロばっかりで、完全なおとなこどもである。この時期って世の中をクズだと思ってたり、勉強を出来るヤツを無駄に下に見たりする。自分は勉強をしないだけで、出来ないわけじゃないというわけのわからん考えを持つ。勝手にオレは無敵なんだと思い込む。まぁそれはその時にほとんどの子供が感じる事で、これは18歳くらいでなくなるんだけど、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を読むと、そういうあの時の感情が蘇ってくる、これが恥ずかしくもあり、懐かしくもなったりして…この感覚は大人になったら忘れてしまうものであり、この小説はきっと大人になってしまったら感動が薄れてしまうものだと思う。だって、あの時の言い表せない気持ちをずっと持ち続けるなんて大人のする事じゃないから…

私はまだまだ子供だと思う、逆に言えばあの時の感覚や感情を未だに引きずってると思うし、それが全面にでないだけで、まだ心の奥底では隠し持ってると思う。スピッツが『空も飛べるはず』で「隠したナイフが似合わない僕を おどけた歌でなぐさめた」って歌ってるけど、そういうあの頃の感情という鋭いナイフを大人になっても人は持ってる。それを隠してるだけなのだ。そして大人になったらそれが似合わなくなってるだけなのだと思う。おどけた歌っていうのは人によってはなんでもいいわけで、それでなぐさめられるのが大人なのだ。

キャッチャー・イン・ザ・ライ』の中でこんな文が出てくる。“僕が本当にノックアウトされる本というのは、読み終わった時に、それを書いた作家が僕の大親友で、いつでも好きな時にちょっと電話をかけて話せるような感じだといいのになと思わせてくれるような本なんだ”『キャッチャー・イン・ザ・ライ』は私のような人のための本だ。まさにこの文章がピッタリと当てはまる本だ。そしてこれを読んで何も感じなくなった時が完全な大人に、そして完全な人間になった証拠なんだと思う。まぁ人間っていうのはどっか欠落してるからおもしろいんであって、オレはそんな完全な大人になんかなりたかねぇけどよ。