コーエン兄弟の原点?/レイモンド・チャンドラー『大いなる眠り』

超遅ればせながら『大いなる眠り』を読んだ。村上春樹訳のほう。

大いなる眠り

大いなる眠り

チャンドラーは恐らく世界で一番好きな作家かもしれないが*1双葉十三郎が翻訳した代表作のひとつ『大いなる眠り』は途中で挫折してしまい、ずーっと未読の状態がつづいていた。2012年に村上春樹が新訳したものが発売され、すぐに買ったのだが、これまた半分くらい読んで挫折してしまい、今回ようやく最後まで読むことができた。

挫折した理由は複雑すぎるプロットのせいである。

本来なら大富豪への脅迫事件で片付くはずが、第三者、第四者、あげくに第五者の存在のせいで死体の山が築かれていく。しかもこれらはほぼ同時多発的に起きた殺人事件であり、たまたま事件に関わってる人物がそれぞれ顔見知りだったり、少しだけ繋がっているせいで、主人公の私立探偵マーロウはおろか、4人の検察と刑事を混乱させていく。当然ながら読むほうも混乱する。というか、これに関わったすべての人物が混乱しているのではないだろうか。あとがきで村上春樹も書いているが、結局、読み終わってみると「この事件はなんだったの?」というような感想を持ってしまうし、もっといえば、リーガンという前科者をスターンウッドという大富豪が異様にかばってる理由やカーメンというスターンウッドの次女が素っ裸になって写真を撮ってもらうクセがあるのは何故か?など、まぁ謎がかなり残る小説である。お前らいつ出会ったんだよ?とか。

だからといってつまらないか?と聞かれればすぐさまNOと答えるだろう。まず新訳版はチャンドラーの魅力である多彩な比喩をひとつ残らず翻訳しきっており、純文学のごとく、文章そのものがおもしろくなっている。あげく、この複数の殺人事件が立て続けに起こることで息もつかせない。ハードボイルドの始祖であるが、ミステリーとしての魅力もかなり大きい。コーエン兄弟はチャンドラーから影響を受けていることで知られているが、チャンドラーというよりはこの『大いなる眠り』に影響を受けているのではないかと思うほどである。この小説のラストにフランシス・マクドーマンドがでてきて「なんでこれっぽっちのお金でこんなに人が死ななければいけないの?」といえば『ファーゴ』になるし、CIAのふたりがでてきて「なんでこんなややこしいことになってんだよ」といえば『バーン・アフター・リーディング』になる。『ビッグ・リボウスキ』は『大いなる眠り』に影響を受けているが(大富豪にいくくだりはホントにそのまんまだし、娘たちがろくでなしであるというのも共通している)、込み入り方は『バーン〜』の方が近い気もする。つまりそういう話である。

さらに39年の作品なのにもかかわらず、アンダーグラウンドの描き方が強烈だ。ロサンゼルスを舞台にしており、ハリウッドに近い場所がよくでてくるが、非合法でポルノが流行しており、ドラッグらしきものをキメ、ゲイが登場するなど一見華やかな世界の裏側が暴かれるようである。当然ダーティワードを口にするキャラクターも出てくる。

多くの人が名作というようにぼく自身もチャンドラー作品のなかではかなり好きな部類に入るかもしれない。たしかによくわからない部分もあるが、噂に違わぬおもしろさであった。

ちなみに『三つ数えろ』は、この原作がほぼ完全再現されているが、ヘイズコードの関係もあって、その“いかがわしい”部分がすべてカットされており、キャラクターの掘り下げもそこまでない。もちろん文学的なナレーションもない。やはりチャンドラー作品の良さは話の筋ではなく、その多彩な文章と異様なキャラクターにあるんだなと改めて思い知らされた次第である。

大いなる眠り (ハヤカワ・ミステリ文庫)

大いなる眠り (ハヤカワ・ミステリ文庫)

*1:なんやかんやで『ロング・グッドバイ』は『長いお別れ』もふくめると6回読み返しているし、『さらば愛しき女よ』も4回でそこまで読み返してる作品はそうないため