それでもボクはやってない

痴漢冤罪に巻き込まれた青年を通して、刑事裁判の矛盾と在り方を問う周防監督渾身の一作。100点満点の脚本と完璧な演出、本当の裁判を映したんじゃないかと思うほどリアルな展開。加瀬亮の演技が素晴しすぎて他が霞むが、すべてが完璧に機能した、近年稀に見る計算がキマった映画だ。

とにかく完璧。痴漢冤罪という刑事裁判の矛盾を端的に説明しながらも、それに巻き込まれた不運な男性をあくまで客観的な目線でしっかりと描く、構想何年という言葉は良く耳にするが、まさにこれはじっくりと監督が練り上げた作品。監督が思う裁判に対する疑問、矛盾を100%盛り込んでいる。

この作品を観て思うのが、裁判に対する知識のなさだ。もちろん監督もそうだったのだろう。刑事裁判がもつ矛盾と痴漢冤罪に対する男性差別がハッキリ描かれている。刑事裁判の場合、無罪を主張しても、有罪になる確立は99.9%で、1000件に1件の確立で無罪になる。痴漢の場合、証拠がないために被害者が「痴漢に遭いました!」と言えば、それだけで犯罪が成立してしまう。容疑者が「ボクはやってない」と言ったところで、逮捕されたらアウト。刑事や検察は、あの手この手で自白を取ろうとし、勝手な調書を作って有罪にする。やってなくても認めれば半日で釈放されるが、もちろん前科一犯で逮捕歴も残ってしまう。

さらに裁判で戦ったとしても、裁判官は調書という書面上の物しか見ないため、基本的に検察が出して来た調書(それがでっち上げの物だったとしても)を信用し、本人が無罪を主張したとしても、その調書が一番正しいと言う判断の元、裁判が進んで行く。加害者とされる男がやってないと主張しても基本的に女性の意見はしっかり聞き入れ、男性の意見はほぼ無視されるのが現状なのだ。

痴漢冤罪というのは、弱い立場にある世の女性達を守ろうとする警察と裁判所の機能の盲点をついた事件であり。痴漢をやってないのに、無罪を主張するヤツもいれば、逆に示談金目的で女が関係無い人を巻き込むケースもある。

この作品はまず、痴漢冤罪というところに目を付けた時点で勝利していた。“もしかしたらこの主人公は自分に当てはまるかもしれない”と言う部分において、抜群の説得力がある。

そして、主人公同様、観客もどのように逮捕され、どのように起訴されて裁判になるのかが、分からないため、主人公と一緒に裁判のシステムを少しずつ覚えて行くのだ。

この展開に一切の無駄がなく、2時間30分という時間の使い方が完璧なために、退屈する場面がまったくなかった。主人公のバックグラウンドを排除したのも大正解。このお陰で誰にも肩入れする事なく、客観的に映画を、そして事件の行く先を見れる(物語の構造上、主人公に肩入れするのはしかたがないとしても)

映画的な演出は皆無。派手なシーンは1つもないし、エモーショナルなシーンもない、音楽もほぼ鳴らないし、映画らしい美術や衣装もなにもない。社会派な映画だが、とても地味で、楽しめるかどうかと言われると疑問視する部分もあるが、こういう現実を投げかけるのが映画のやる事であり、この作品はそういう観点から行くと満点クラスの作品だと言える。

主役を演じた加瀬亮は完璧な演技。ハッキリ言って非の打ち所がない。彼の母を演じるもたいまさこも素晴しかった。瀬戸朝香山本耕史の演技は映画的すぎてちょいと浮くし、役所広司よりも適役がいた気はするが、みんなそれぞれ良い演技をしていたと言ってもいいだろう。竹中直人も笑いに徹していたが、彼がいなくてもこの映画は社会派の映画として骨がある。

さて、ここまで絶賛して来たが、この作品、とても重苦しい作品だ。痴漢という軽犯罪だが、それによって苦しめられている女性はたくさんいる、もちろんそれは許せない犯罪なのだが、証拠もないのに犯人に仕立て上げられ、無罪を主張しても起訴されると99.9%有罪になるというこの国のシステム。もう一度言うが、証拠もなく、犯人が「やってない」と言っても、無罪にはならないこのシステム。痴漢の場合は明確な証拠が出て来ないが、犯人の逃げ場もないため、絶対に捕まったら最後のこのシステム。この映画が大ヒットしたところでそのシステムが変わる事はないので、とてもやりきれなくなる。朝まで生テレビTVタックルを観ても「こいつらわーわー言ってるけど、別にだからってこの国が変わる訳ないんだ」と思ってしまう私は、この映画もそんな目で見てしまった。

映画としては上出来だし、見応えもある。だが、見た後は絶対にヘコむので、注意すべし。