どろろ

どろろ (1) (秋田文庫―The best story by Osamu Tezuka)
- 作者: 手塚治虫
- 出版社/メーカー: 秋田書店
- 発売日: 1994/04/01
- メディア: 文庫
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不満その1:何故、醍醐景光は自分の意志で子供を魔物に捧げなかったのか?
映画版では魔物が喋り、子供が欲しいと言い出す。原作ではしっかりと我が子を差し出すから天下を取らせてくれとたのんでいる。そこで醍醐はかなりの極悪人である事が分かるのだ。それを魔物のせいにするのはどうかと…
不満その2:何故、百鬼丸を育てた人を変えたのか?
原作では体の48カ所がない百鬼丸を育てるのは医者であり、「親ですら捨てた子供を他人が育てる」という設定に説得力があった。映画では生きた細胞を使って体の部分を作る科学者のような人になっていて、何故育てたのかよく分からない。実験に使えるとでも思ったのか?
不満その3:何故、義手と義足にしなかったのか?
その科学者が作った手足はグジュグジュと変化して、身体にぴたっとくっつく。義手と義足じゃ差別的な表現になるからか?SF的な映像になってリアリティがないし、細胞は動いてるのに、身体とくっついてないから、百鬼丸が無敵の身体になってしまっている。しかも斬られても死なない。すげぇ設定だ。ちなみに原作ではこの義手、義足に武器が仕込んであり、007みたいな荒唐無稽さがあった。それも映画にはない。
不満その4:真面目にやりすぎ。
手塚治虫の『どろろ』は時代劇なのに、親代わりの医者を「パパ」と読んだり、「サイボーグ」とか「ダンプと衝突」とか、ギャグとして、これらの単語が出てくる。それだけでなく全体的にバタバタしており、シーンシーンに出てくる悲劇や悲しみを和らげる効果があった。映画版は全体的に真面目で話がSF的な物に変えられているのにギャグが1つもない。もっと言うと、緩和がまったくない。
不満その5:百鬼丸がクールすぎる。
原作ではかなりおしゃべりな百鬼丸だが、映画版では無口で、かなり威圧感のあるキャラになっている。原作ではどろろとのかけあいが楽しかったのだが、それもほぼ皆無。これは続編を意識しているのか??
不満その6:どろろのセリフが説明的すぎる。
柴咲コウ演じるどろろだが、独特のセリフ回しを説明的なセリフにされてしまっていて、そんな事誰もしゃべんねぇよ!と言いたくなってしまった。本人はがんばってただけに…
不満その7:アクションがヘタ。
チンシウトンが手がけたとは思えないほどアクションがガタガタである。ワイヤーアクションは素人のようで、カンフー的な物も早回しやヘタクソなCGでがくがくしている。なので、まったくカッコ良くない。アクションをし終わったあとのキメ絵だけにこだわりすぎて『あずみ』とかぶった。
不満その8:CGがヘタ。
CGのクオリティが低い。CGで加工しなきゃならないシーンがたくさんあったのはわかるが、それでも質感や動きなどガタガタで、そこで興醒めする事もしばしば、CGの使い方ヘタクソやね。
不満その9:音楽がシーンとあっていない。
とにかく音楽のセンスが悪い。『害虫』ではナンバーガールを使うなどのこだわりを見せたのに、今作では場面にそぐわない音楽を持ってきすぎ。特に中盤の妖怪を倒すシーンが連発されるところの音楽はヘン。逆に笑えた。
不満その10:バイオレンス描写が少ない。
というか、百鬼丸が妖怪を倒すシーンはド派手にやるくせに、バッサバッサと人を斬るシーンがない。原作で百鬼丸はしっかりと人をバッサバサ斬る。血も飛び出る。冒頭でそれは出てくるが、本編になると、無くなってしまったのが残念だ。
不満その11:ラストが全部ダメ。
復讐劇だし、それこそ百鬼丸が蔑まれて生きてきたのは描かなくても想像出来る。だがあのラストはダメだ!
不満その12:エンドクレジットでかかる「フェイク」の切り方。
なんでMr.Childrenの「フェイク」が一番のサビからなんだよ!あの抑えめのイントロをエンドクレジットの最初に持ってくるべきだろ!いきなりサビからスタートしてどうすんだよ!
と、ざっと書いてもこれだけ不満が出て来た。おもしろいと思える部分よりも不満が多かったのは原作が好きすぎるという事よりも映画自体が中途半端だったからだろう。原作の部分を活かしたエンターテインメントなのは間違いないが、そこに骨がないのは映画を観れば明らかだ。やはり『どろろ』を実写化する事自体間違っていたのかもしれない。