肌の色が違うだけで

そして、久しぶりに映画を観ようと思い『夜の大捜査線』鑑賞。

シドニー・ポワチエの代表作でアカデミー作品賞も獲得した作品なのにもかかわらず恥ずかしながらまだ未見でした。今でこそ有色人種が主演のアメリカ映画って当たり前になってて(そもそもこの書き方からしてすでにおかしいんだけど)アジア人と黒人が主演の『ラッシュアワー』みたいな映画がシリーズ化されるくらいになったけど、昔はホントにありえなかったんだろうね。まったくもって変な時代だ。映画とか表面上は差別がなくなってるんだけど、それこそ『マイノリティの拳』なんて読むと、未だに差別があるってんだから、アメリカという国に恐怖を覚える。

燃えよドラゴン』や『スカーフェイス』が世界の有色人種に勇気を与えても、世界から差別がなくなる事はない。日本だって部落問題など差別はあった。岡林信康がそれを歌って勇気づけても、未だに差別は根付いてる。独身女性をさす「負け犬」だって立派な差別だよ、でも、それが差別に感じられないだけなんだ。かく言う私だって、何かしら差別したりしてるだろうから、ここではあまり偉そうな事は書けないんだけど…

とりあえず『夜の大捜査線』を観て思うのは、一芸に秀でたヤツが居たら、それは差別とか関係無く認められるって事だよね。

英語の文法が間違ってるジャッキーもあのアクションでハリウッドスターになれたし、怒りの音楽だったブルースもクラプトンやらジミーペイジのおかげでメインストリームになった。ギターがクソうまいジミヘンもそうだし、ブルース・リーだって、近年のジャパンイズクールもそうだし、演技がうまければサミュエル・L・ジャクソンモーガン・フリーマンみたいに名優って呼ばれるだろうし、the pillowsだって、アメリカツアーの時はスタッフにナメられたらしいけど、演奏が始まったら、その観客の熱狂ぶりにころっと態度が変わったって言ってたしさ。そこは映画とか音楽とかが持つすごさだよね、人間ってそういう部分で素敵だなぁとも思ったり。

夜の大捜査線』は黒人の刑事の話だ。腕利きの刑事なのに黒人というだけで徹底的に差別される。私はアメリカ社会の事についてはまったく詳しくないので、どういう差別があるのかとかいうのはちょっと分からない。いろいろ調べたとしても、それはやっぱりその土地に住んでないと状況なんかもわからんだろうし。

映画の事について話そう『夜の大捜査線』はそのタイトルの通り、艶っぽい夜の映像から始まる。蒸し暑い空気感が映像からにじみ出ているようだ、その映像に被さるレイ・チャールズの声、このタイトルからして、映画は勝利していたんだろう。ここから一気に映画に引き込まれる。

夜の大捜査線』の魅力はなんといってもシドニー・ポワチエに尽きる。常に怒りを内に秘め、今までに経験したであろう差別に対する思想が表情からにじみ出ていて見事。冒頭から強烈で、母を訪ねた黒人刑事が大金を持ってるだけで殺して盗んだんだろ?と言われ、
警察に連れて行かれる。職業が何か?などは一切聞かずに、連れて行かれる。そこでポワチエは心の奥から湧き出る怒りを目だけで表している。理不尽な差別に対する怒り、この表情は『ドラゴン怒りの鉄拳』のブルース・リーにも似ている。

差別で警察のお世話になった黒人刑事が殺人事件の手伝いをさせられる。彼は差別されるのだが、そのキャリアと能力で認められて行く。この辺がさっき書いた事に通じるモンがある気がする。

差別の事を描いた映画ではあるが、構造は一般的にも分かりやすい物になってるのが素晴らしい。単純に『夜の大捜査線』は「犯人は誰か?」というサスペンス映画だから、それだけでラストまで興味が沸く。

いやぁ、おもしろかったですよ、普通に素晴らしい映画でしたね。ラストは『踊る大捜査線』にそのまま受け継がれたな。