六年ぶりに『ハウルの動く城』を観た

ハウルの動く城 特別収録版 [DVD]

ハウルの動く城 特別収録版 [DVD]

ハウルの動く城』を最近何回も観ている。4枚組の特別版が1980円で売ってて、これにメビウスとの対談やジョン・ラセターと会ってる時の様子が特典として入っていたので、それが観たくて買ったのだ。まぁ、それ以前に『ナウシカ』と『ハウル』をDVDで持ってなかったので、せっかくなら揃えたいというのもあった。『ナウシカ』はあまり好きではないので、見返してないが、もしかしたら、今観ると深く感動するかもしれない。


まぁ、六年ぶりに観たんだけど、おもしろくて、今まで観なかったのを取り戻すかのように毎日のように観ている。


昔見た時もそこまでボロカスに言うほどじゃないとは思っていたが、いやぁ、良い。確かに初見時は二十歳そこそこ………もう公開から六年も経つのか……


最初観た時は設定があまり描き込まれてないことに不満を持ってたのだが、これ最初っからそういうテーマであったことを知った。


メビウスとの対談で、メビウスから「今回の作品はあまり説明が意識的にされてないように感じましたが」と聞かれて、宮さんがこう答えている。


「仕事で旦那が遅く帰って来ても、日本だと奥さんは旦那の仕事や内容に関心持たない。だからぼくはハウルが何をしているのか、どういう人なのかを描かなかった」


これ、すごく興味がある一言で、確かにぼくもそうだけど、家族のこと分かってるようで、あんまり分かってなかったりするんだよね。


だって、実際、親父が会社でどんな顔を持ってるかなんて分からないし、妹が職場でどんなこと喋ってんのかなんて分からないし、言えばそんなところには興味はないし、家族と言えども、やっぱり他者は他者。裏を返せば、他者同士であっても、互いが幸せであれば正式な家族じゃなくても、家族たりえるってことだ。


それを踏まえて『ハウル』を観ると、またおもしろい見方が出来るなと思った。というか、ハッキリとセリフで「ぼくたち家族だよね?」と言わせてたりしてたんだな。何故こんな重要なセリフを覚えてなかったのだ、オレは。


おもしろいと思ったのは城の中の住人たちである。


今更の感があるが、ハウルの城の中に住んでる人たちは、種族がまったく違う他者同士で、互いに何者なのかがまったく分からない(観客にも)。ところが、そんな完全な他者同士達が集まって一般的な家族構成になっているのだ。


ハウルとソフィーを両親とすると、マルクルはその子供で、サリマンの犬はそのままペットと化し、荒れ地の魔女は介護を必要とするくらい老け切ったババアである。


さらに彼らは元々敵対する関係だった。ソフィーは荒れ地の魔女とサリマンの犬を、荒れ地の魔女はハウルと、カルシファーは荒れ地の魔女と、ところが彼らは妙な縁で家族以上の関係を築いていく。特にソフィーは荒れ地の魔女に呪いをかけられたせいで90歳のババアになってしまったのだが、彼女はハウルと出会ったことで若返り、逆に痴呆症気味のババアを一生懸命介護している。


外見や立場に捕われず、一定の危うさを残しながらも他者と繋がり合い、それだけで家族という名称がついた『ハウルの動く城』は、他者と繋がることを映画の中で追い求めた宮崎駿の一つの到達点なのかもしれない。最初に観てダメだった人も改めて観てみるといいかも。あういぇ。


ちなみにぼくの好きな宮崎駿作品ベスト3は『カリオストロの城』『千と千尋の神隠し』そして『ハウルの動く城』ちょっと他の人と違うかもしれない。