血――出ない。スローモーション――ない。でもまぎれもなくペキンパー印『ケーブル・ホーグのバラード』

若い時は映画を観て泣くなんて恥ずかしいというか、ありえないことだったのだが、年齢を重ねるごとに映画を観て涙してしまうことが回数が増えて来た。最近じゃ泣かせる演出がある/ない以前に、映画的なカタルシスが全身を貫くだけで涙腺が決壊する始末で、年末に『エグザイル/絆』を見返したら、ラストのレッドブルを蹴る前のフランシス・ンの行動だけで号泣してしまった。2010年のベストワンだった『冷たい雨に撃て、約束の銃弾を』でもアンソニー・ウォンが死地に向かうときに見せた笑顔に号泣した。いわゆるこれが男泣きというヤツだろうか。

男泣きと言えば去年、午前十時の映画祭で『ワイルドバンチ』を観た。なんどもなんどもDVDで観ているはずなのにスクリーンで観たら初めて泣いてしまった。映画館が持つ魔力というのもあるだろうが、年齢が映画に追いついて来たというのもあるのかもしれない――――なんてことを酒を抜いた日に考えてしまった。

というのも、昨日シラフでペキンパーの『ケーブル・ホーグのバラード*1』を観てやっぱり号泣してしまったからである。

時は西部末期。ケーブル・ホーグという名前以外、何者なのかわからない男が仲間の裏切りに遭い砂漠に取り残される。彼は4日間歩き続け神にこう祈り続けた「一滴でいいから水をくれ」――――そんな祈りが通じたのか、彼は砂嵐の中で湧き出る水を見つける。その水のお陰で生き延びた彼はその水の土地を2ドルで買い、砂漠の中の給水所として商売を始めた。そして女と出会い、彼はその砂漠に生きることを決意するというのがあらすじ。

ペキンパーといえば圧倒的なカット数、スローモーションによる詩的なバイオレンス、そして、男の意地をかけた復讐がトレードマークだが、彼の作品の中でも『ケーブル・ホーグのバラード』は異色作と呼ばれている。何故ならば一切血なまぐさいバイオレンスが登場しないからである。

彼が得意技を封印して撮ったのは、ずばり人間の本質と時代に取り残されて行く男という彼が生涯に渡って描き続けていたテーマだ。バイオレンスという得意技を封印したことで、そのテーマがより明確になり、男泣きしてしまうのだ。

一時ペキンパーの作品に対して風当たりが強く、ファシズムだのマッチョだの言われたこともあった。確かに『わらの犬』や『ガルシアの首』での女性の扱いはかなり酷く、今までのハリウッド映画ではあり得ないような描き方をする。もちろんこういうシークエンスに拒否反応を示す人もいるだろう。

ではペキンパーは女性差別をしていたのか?と言われると答えは「NO」だ。『ケーブル・ホーグのバラード』を観るとそれがより明確になる。

ペキンパーの作品に出てくる女は酷い扱いを受けながらもすこぶる魅力的だが、『ケーブル・ホーグのバラード』のヒロイン:ヒルディはその中でも別格の扱いだ。生きるために女は娼婦にだってなる。それを差別するのはどうか、娼婦だって人間じゃないかとペキンパーはこの映画で問いかける。この作品に流れる優しさは彼のもうひとつの一面だ。じゃなかったらこんな映画を作れるわけがない。それが証拠に『ケーブル・ホーグのバラード』ではラストにこんなセリフを言わせている。

「大抵の○○(ネタバレになるので書かない)は人間を美化しています。〜中略〜 そんな事は間違ってる。人の心には善も悪も存在する。〜中略〜 彼は善人でなければ悪人でもない。実に人間臭い人間だ。守銭奴でケチで人をだましたかもしれないが、根は正直だ」

この言葉はすべてのペキンパー作品はおろか、彼自身にも当てはまるのではないだろうか。

そして、時代に取り残される男を描いて来たペキンパーであるが、この映画では時代はおろか街にも住めない男として描いていく。復讐を理由に彼は砂漠に留まるが女は違う。彼女は街に生きる術があることを知っていて、彼女は砂漠では生きられない。

彼が少し時代に歩み寄ろうとする理由――――それはずばり女である。頑に街を拒んでいた彼を動かしたものは、金でもなく、酒でもなく、女だったのだ。

細かいカット割りや激しいバイオレンスがないと書いたが、代わりに映像はかなり詩的に撮られている。コメディタッチの演出も駆使しており、冒頭はワイプとスプリットスクリーンを組み合わせ、さらにオーバーラップも使っている。ペキンパーは時代に取り残される男を描く手法として、今までに無い新しい演出を取り入れた。

『ワイルド・バンチ』や『戦争のはらわた』なんかを愛する人にとっては非常にテンポも遅くて緩いかもしれない。実際ぼくも昔はそうだった。だが、ここまで愛に満ち溢れた内容と、さらにペキンパー自身の映画が批判されていたという事実が重なり合ったとき、涙腺が決壊した。

復讐という男が成し遂げなければならない信念、そして女が居ないとオレは生きていけないんだというメッセージ。この作品を嫌う人はたくさんいると思うが、やはり傑作だ。もしダメだったという人も、ふとした時に見返すといいかもしれない。あういぇ。