数年に一度来るミニマム映画『おとなのけんか』

おとなのけんか』鑑賞。

ジム・ジャームッシュの長編デビュー作『ストレンジャー・ザン・パラダイス』を観たとき、なんて映画らしい映画なんだろうと思った。

基本的には部屋のなかで繰り広げられるものがたりで、男ふたりと女ひとりがおしゃべりをするだけだが、ワンシーンワンカットでそのおしゃべりを捉えつづけ、カメラはゆるやかにそのさまを映しだす。恐らく何度も何度もリハーサルを重ねたのだろう。役者たちがそのセリフを唄うように、もしくは自然な会話とは少し違う抑揚やテンポなどで話すようになるまで、徹底的に練習させたのだと思う。

舞台でこの作品をやろうとした場合、演出するのはかなり大変だ。声を荒げるわけでもなければ、オーバーな仕草もない。自然と仲間内であつまって「おいっす」「ういー」なんてやりとりをし、猫背気味に歩きながら、言葉少なく飲み屋にむかい、パブで周りの喧噪にまぎれながらビールを飲むような、そんなシーンが続いていくからだ。

この設定を『レザボア・ドッグス』や『ファーゴ』のように「映画的なリアリティ」でうまく演出した場合、その映画は他の作品とは一線を画すことになる。『おとなのけんか』もそういう魅力にあふれた作品であった。

おとなのけんか』はある子供がある子供に対して、棒で顔面を殴るシーンからはじまる。

次に出てくるのは、その加害者と被害者の両親。彼らは加害者となった少年の家で、この事件を裁判沙汰にせずに、和解する方向で話が進んでいた。ところが、話し合いがすすんでいく内に彼らの本音が明らかになっていく……というのがあらすじ。

80分のランタイムで、舞台はその部屋のみ、登場人物も4人だけと、数年に一度来るミニマムな設定の作品だがこれがすこぶるおもしろく、スリリング。どうなっていくのか?という仕掛けも満載で、ものすごく細かい伏線も次々に回収していき見事。加害者の家族が被害者の家族に行き、本来は一刻も早くそこから帰りたいのに、なかなか帰れない事態に陥ってしまうという設定がリアルとフィクションの狭間をついてきて、とにかく良い。ブラックユーモアも満載で、ぼくひとりだけだったが、思わず映画館でゲラゲラ笑ってしまった。ウィキペディアによるとコメディ映画に分類されるらしい。やっぱりもっとみんな笑ってよかったんだよ!

原作は舞台劇ということだが、その原作の魅力が八割くらいを占めてると言ってもいいだろう。ところが残りの二割に映画的なおもしろさと、映画でしか出来ないことを詰め込んだ。まるでジェットコースターのようにすすんでいくスピーディーなカット割や、顔は笑っているのに目が笑ってない様を交互に映すなど、舞台では決して出来ない演出を意図的に行い、緻密な計算によって作られたんだなという印象を持つ。

ジョディ・フォスターは今までのフィルモグラフィからすると、かなり地味な印象だったが、彼女を迎え撃つケイト・ウィンスレットがとにかくうまい。パッと見「いいひと」なジョン・C・ライリーや、あからさまに人をイラつかせるクリストフ・ヴァルツなど配役も見事。

惜しむらくはオチにしてはあの終わり方は少し弱いかなと感じたくらいで、冒頭とエンドクレジットで説明を排除するなど、とにかく細部にわたって気がきいている。お酒を飲んで不毛な議論を延々繰り返すのがお好きなひとにおすすめしたい。

ストレンジャー・ザン・パラダイス [DVD]

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