一足お先に『マーサ、あるいはマーシー・メイ』を観た

マーサ、あるいはマーシー・メイ』をUK盤BDにて鑑賞。

とあるカルトコミューンを抜け出してきた女の子マーサ。彼女の唯一の家族である姉夫婦に二年ぶりに連絡し、家に転がりこむのだが、どうもマーサの言動や行動がおかしい。いったい二年間のあいだに何があったのか?マーサはけっして口を開こうとしない。マーサの行動に耐えきれなくなってきた姉夫婦だったが、その間マーサの精神は崩壊しはじめていた……というのがあらすじ。

現実から逃げ続け、最後に現実に引き返すことを選んだ『大人は判ってくれない』のアントワーヌ・ドワネルにカルト集団という逃げ場がもしあったらどうなっていただろう?というような作品。彼女がそこから逃げ出したあとの奇怪な行動と、そのコミューンで彼女はいったいどんな目にあっていたのか?を『暗殺の森』よろしく、現在と過去を交錯させる形で描いていく意欲作で、その編集も見事ながら、ロングショットの長回しを多用し、ゆるやかに横移動するカメラはまるで黒沢清作品のよう。その突き放した距離感が絶妙であり、リアルでありながらもウエットにならず、かといってドライにもなりすぎない妙なテンションの作品に仕上がった。

それは役者の演技やセリフひとつとってもそうで、徹底して抑えた演技をしており、妙に生々しい。静かに怒り、静かに笑い、静かに泣き、そして静かに徐々に狂気の世界に陥っていく。抑えているといえば、カルト集団の描き方もかなり抑えられており、ふつう、こういうテーマを扱う場合、カルト側を悪とし、過剰に描きがちだが、この作品では、そのへんの部分をほとんど描きこんでおらず、むしろマーサにとってのユートピアはあちら側であり、この現実で生きるくらいなら、洗脳されて、集団で生きてたほうがマシだともとれるような距離感で描いている。

実際、ぼくもこの手の作品ではじめて、どうしようもない現実に生きるなら、カルト集団のなかにいたほうがマシなのかもと思ってしまった。それほどマーサは作品を観てる観客そのものであり、妹夫婦はあまり表面上にはハッキリと出てこないクソみたいな現実の象徴である。だが、そういう風に思ってしまうこと自体が本当に怖いところであり、この作品では、カルト集団をあまり描かないことによって、逆にその怖さを引き立たせるという不思議な演出をしている。

ハッキリ言わせてもらうと、予告編や描いているテーマ、さらにそのタイトルから絶対に敬遠するタイプの作品なのだが、そこまで重くなく、映画的に構成も巧みで、さらに観た人によって様々な解釈が可能になっているので、わりとぼくのような人にもおすすめできる。もし興味があるかたはUK盤BDを購入してもいいかも、日本語字幕はおろか、吹替も収録されており、特典映像にもしっかりと字幕がついている。というか、むしろディスクをデッキに入れたら日本で売ってるような仕様に勝手になる。原題は『Martha Marcy May Marlene』で日本は来年の2月に公開予定だ。必見。

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http://blog.livedoor.jp/notld_1968/archives/3792775.html