役所広司のモデルは深町秋生本人か?『渇き。』

『渇き。』鑑賞。

浮気していた妻の相手をボッコボコにして警察をクビになり、今は警備員として働く藤島。コンビニで起きた陰惨な殺人事件の重要参考人として呼ばれた帰り、別れた妻から「娘のことで来てほしい、来たらわかるから」と電話が。家につくと娘が行方不明で何日も連絡がとれないことを聞かされ、さらに部屋には覚せい剤が………果たして娘はどこへ消えたのか?娘に何があったのか?娘はいったい何者だったのか?そして娘の過去とは?――――――――

誰もが読んだあとに「映像化は不可能」と思う深町秋生のベストセラー小説『果てしなき渇き』を中島哲也監督が映像化。

ドギツイ色彩とハチャメチャな編集で観たあとに「こってりしたもん食べたなー、もうしばらくいいや」と思ってしまう中島作品だが、前作の『告白』は実に冷め切ったトーンで原作のエッセンスを完璧に引き出し、なおかつ監督の作家性*1がしっかりと前に出ていた傑作だった。キネ旬でその年の日本映画ランキングの2位になり、日本アカデミー賞で作品賞を受賞するなど評価され、さらに大ヒットしたが、この感じで映像化するなら間違いない。むしろ中島哲也が監督してくれてホントによかったと思ったくらいである。

しかし、できあがったものは『告白』以上に賛否両論を巻き起こすであろう「問題作」だった。

いかがわしいシーン「しか」なく、そこで狂った人間たちが泣き/叫び/わめき/笑い続ける二時間。スコセッシにおける「ファック」とおなじように*2主人公は「ぶっ殺す!」と言いつづけ「お前たちはコミニュケーションの手段が暴力しかないのか?」というくらい暴れ回り、血も激しく飛ぶ。この手の映画に見慣れた者でもおどろくこと必至で、倫理的に問題があるようなところも躊躇なく映像にしていく。

主人公がひとつの目的に向かって突き進み、ジャマなものはぶっ飛ばし、時に死ぬような目にあって、結末を迎える――――監督が意識したかどうかは定かではないが、そのストーリーと激しいバイオレンスから一連の韓国映画――――『悪魔を見た』や『哀しき獣』、『オールド・ボーイ』などを彷彿とさせた。こういう作品は前から観ていて、日本の風土でも作れるはずだと思っていただけにやっとできたか!と感慨深いものがあった(実際今度リメイク版が公開される『オールド・ボーイ』は日本のマンガが原作である)。難病モノやいぬの映画、ふんちゃらTHE MOVIEがシネコンを支配するなかで、こういう物が堂々とメジャーで公開されることが何よりも嬉しく、そこは好感が持てる。

ただ「問題作」だとしたのは、まずできあがったものが『下妻』のようなハチャメチャさと『告白』のクールさが同居しているような作風で、全体的なトーンがいまひとつハッキリしないこと。

確かにドライヴ感ある原作ではあるが、ノワールから韓国産バイオレンスのようなテンションに変えてしまったので、タイトルバックはガイ・リッチーがやるような「スタイリッシュ」なアレになったり、なんの脈絡もなくアニメーションになったり、パーティーのシーンは「蜷川実花か!」と言いたくなるくらい色彩がドギツい。かと思えば、映像は白を基調としており(恐らく血を目立たせるため)、エンドクレジットは『告白』のように静かで、あれだけ騒がしかった映画をむりやりまとめてみましたというような印象を受けた。あげくそれらのシーンを断片的に、ひっちゃかめっちゃかに編集してしまったので、例によって「これは映画ではない……」という人が前作以上に出てきそうではある。

さらに役所広司がどういう人間なのかがよくわからない――――というより、ハッキリここでこういうことが起きているという説明的なシーンがいっさいないまま進んでいくので、ついていけないという人がいてもおかしくない。どちらかというと狂った登場人物の狂った行動だけに焦点が当てられており、ドラマ性やお話そのものを純粋に楽しみにきた人は肩すかしを喰らうであろう。

といったわけで、映画としてはどこかイビツでハッキリとした形ではないが、そのイビツさこそが今作最大の魅力。予告編が混沌としていて、テンション高かったが、いま思えばあれこそが『渇き。』のすべてを良い意味で表していたのであった。そういったことを念頭に観にいくことをおすすめしたい。

あ、そうそう。あと役所広司の衣装なんだけど、あれどう考えても深町さん本人からインスパイアされてるよね?めちゃくちゃ似てたし、ああいう服着てそう。

果てしなき渇き (宝島社文庫)

果てしなき渇き (宝島社文庫)

*1:誰が観ても中島哲也監督作だなというのがわかる

*2:もしくは北野武のバカヤロー