デトロイト・メタル・シティ

9時半から『デトロイト・メタル・シティ』鑑賞————

映画観て久しぶりに頭来た!Fuck!

「こんなんじゃ!私は濡れねぇんだよ!」って感じだぜ!このお○○○野郎!

後半、映画館からずっと出たかった!もしかしたらワーストかもしれねぇ!ふざけやがって!なんだあのヌルい脚本は!脚本がとにかく悪過ぎる!というか、全然わかってない!

『恋空』観に行って、すっげぇギャグ連発の映画になってたらどう思う?まさに映画版『DMC』はそれ!マンガじゃないけど、映画をレイプされちまったよ!くそー!

という叫びはこの辺にしておいて、冷静に書こう。

私は基本的に原作の方がおもしろかったという部類の感想が嫌いである。「原作の方がどうたらこうたら」「原作だとどーのこーの」「原作と違うラストはどうかと」「このシーンは原作に忠実で」「原作がおもしろすぎて」…………

あー!うるせー!原作と映画は違うもんなんだよ!

映画評論の場合だったら、原作がどうのこうのという視点で語られなければならないし、原作がどうのこうのという感想は別にただの感想だから、別に間違ってるわけではない。というか、そういう感想もあっていい。

それはただ単に私が嫌いなだけだ、だから気にしないでいただきたい

例えば『サイレントヒル』や『300』のように原作を忠実に再現した映画の場合、ゲーム画面やマンガのコマ割りなどを徹底的に映画化した場合だったらば、「原作がどーのこーの」という感想に意味はある。何故なら、それが映画の魅力でもあるからだ。(あ『300』のキャラはちんこ丸出しだったんだ、そこは忠実じゃないや、てへっ。)

ところが原作と映画がまるで違う場合、原作と映画を比較して語るのはどうかと思う。『バイオハザード』も映画版は原作とはまるで違うものなので、別物として語られるべきだ。だから私は『バイオハザード』の事を語る時は「ちゃんとオールドなゾンビが出てきた娯楽映画」という風に語る。んで、ほとぼりが冷めたというか、関係無い時に「あんな素晴しい原作をメチャクチャにしやがって!」という。

デトロイト・メタル・シティ』に関して言うと、私は原作も好きだし、何よりも渋谷系の音楽にも思い入れがある分、ちょっと客観的な感想をいうのは難しいだろうが、

まず『DMC』は1本の映画として方向性が間違ってる。どうしたいのか分からない。『ガキデカ』とか『おぼっちゃまくん』とか『ついでにとんちんかん』とかが、どシリアスなドラマになってたら引くでしょう。ああいう感じがするんだよなぁ。

だって、後半はさ、母の愛!とか夢を掴めよ!とか、みたいなもんがあって、ちょっと泣かせる展開なんだけど…


誰もそんなの観たくねぇよ!Fuck!

いやね、でも「いい意味で裏切られた」っていうパターンもあるから、難しいんだよなぁ。だからこれ冷静に語るの無理だよ。ホントにボンクラの戯言として聞き流してくれていいや。やっぱり。

まぁ、ぱてんさんも同じ事言ってたけど、脚本家がね『DMC』にむいてないんだよ。アルトマンが『相続人』撮っちゃった!みたいなさ。別にお前じゃなくてもいいだろうみたいな。ホントにタルい、メス豚的な展開があって、ギャグも冴え渡ってる感じじゃないし、そもそもメインプロットが「カリスマ的なデスメタルのボーカルの中身が情けない童貞」って、それが笑いになるわけで、それが映画だと「渋谷系の音楽が好きな情けない童貞がカリスマ的なデスメタルのボーカルになってしまった」という、音楽的に苦悩したり、好きな娘との間で揺れ動いたりするどうでもいいプロットになってるんだよ!

全部が全部、すっげぇヌルいというか、ラストも「え?」って感じで終わるし、

良かった所もすげぇある。まず音楽完璧。メタルの方は何故か本物のバンドがプロデュースするとかはなかったものの、映画本編に入る時に『ラ・ブーム』が流れ、さらにそのまんまカジヒデキ本人が『ラ・ブーム』を弾き語りしてるシーンとシンクロさせ、さらにさらにカジヒデキが劇中に流れる根岸くんの曲を書いてたりして、泣かせる仕掛けが満載。

もちろんバンドとしてのDMCの音楽も完璧に再現していて、CDが売れた理由も良くわかる。

マンガの根岸とは違うものの、しっかりとクラウザーと根岸を演じきった松ケンはさすがだし、何よりもデスレコードの社長っぷりがハンパじゃなかった松雪泰子は最高だ!

カミュのトレーナーもちゃんとなってたし、Fuckだのレイプだのも出てきてよかった。

それでも!やはりこの映画はダメだ!マジで頭に来た!もうこれしかない、なんといわれようと、ムカムカした事に嘘偽りはない。

つーわけで原作ファンはおろか、普通に映画としてもどうかと思う『DMC』まぁ、純愛だとか、ケータイ小説とか、病気で死ぬとかよりは幾分マシか…