本当に心から反省しております『アメリカン・ハッスル』


上院議員と下院議員五人が汚職で捕まったまさに映画のような「アブスキャム事件」を基に、FBIと天才詐欺師が組んだおとり捜査を描く。

いわゆるひとつの『スティング』的なコンゲームものであり、前作同様、監督のデヴィッド・O・ラッセルは役者の演技を中心に長めのワンシーン・ワンカットで映画を構成し、物語をつむいでいく。それに応えるべく出演者も今までにない役にいどんだ。むしろ彼らがそれをやらなくてもいいのではないかと思うくらいだが、その辺も含めて楽しんで製作されたのだろう。

クリスチャン・ベールは下っ腹が出ていてハゲあがり、エイミー・アダムスはつねに胸の谷間を出していて、ジェレミー・レナーはマジメな政治家を演じ、ブラッドレイ・クーパーはアフロにこだわりをもったFBIとして出てくる。特にすごかったのが旬のジェニファー・ローレンスで、彼女はなぜか強欲で精神的に不安定なおばちゃんを演じているのだが、ホントに強欲で精神的に不安定なおばちゃんにしか見えない。彼女の演技を観るだけでも価値があると言い切っていいと思った。

おもしろいなと思ったのは主人公がどんなにイライラする状況にいてもキレないという設定だ。

冒頭、主人公にとってはこれ以上ないくらいの屈辱を味わうのだが、ここでブチ切れずに冷静に耐えるということを選択する。これだけでプロとして常に冷静にいるということがわかるとても良い場面だが、これは恐らく監督が癇癪持ちでその性格のせいでハリウッドから一時干されていた過去とも直結している。

『世界にひとつの〜』の主人公は同じく癇癪持ちという設定で監督自身を反映させたキャラクターと言われていた。ぼく自身は「お前のセラピーに付き合ってるヒマはない」という感想をもったのだけれど『アメリカン・ハッスル』を観ると、それがこれみよがしじゃないぶん『ああ…ホントに干されたことがこたえたんだな』と心から反省している様子がうかがえる。映画/映像に監督の思想をこめるのは当たり前のことだが、こういう風な捻ったやり方であればいいなぁと改めて実感した次第だ。

というわけでストレートな娯楽作としても監督の作家映画としてもおすすめ。主人公とは逆にものすごくブチ切れるキャラクターが出てくるが、そのキレっぷりが楽しいので、そこにも注目していただきたい。音楽のセレクトも完璧で歌詞が分かればもっと楽しいのだろうが、その辺もすべてクリアすれば、奇を衒った演出は皆無であり、時代をまるごと再現したセットもふくめ、とにかく完璧に近い映画であった。




……といいながら、ぼくはやっぱりこの監督の作品をそこまで買ってないなとも思った。確かに完成度の高い良い映画ではあるけれど、それが「好き」かどうかというのは別問題なのであった。