死が訪れても決して立ち止まらない『トゥモロー・ワールド』


超が付くほど古典的な話に手持ちカメラの長回しというまったく奇を衒わない演出、それだけなのに、なぜこんなに画期的で斬新な映画になってしまったのだろう。『トゥモロー・ワールド』は『未来世紀ブラジル』や『ブレードランナー』に比較され、近未来SFの新たな形として話題になっているが、『トゥモロー・ワールド』が映し出しているのは戦争、テロ、少子化問題、大気汚染による地球温暖化という現実であり、それが終末感でもある。

2027年原因不明の不妊症が世界を襲い。子供が生まれなくなってしまった事で人類は絶望の淵に立たされていた。ニューヨークが核攻撃を喰らって消滅、世界各国もありとあらゆる暴動が起きている。唯一ロンドンだけは、比較的治安が守られていて、世界中から難民が集中。イギリス政府はその難民を追い出したいがために軍事行動を起こしはじめ、逆に押しやられた難民がゲリラ化し、反政府活動を行っているというのが『トゥモロー・ワールド』の世界観だ。だが、設定が複雑なぶん、プロットはシンプルで、簡単に言うと1人の男が女をある場所へ連れて行くというだけの話である。これだけの話なのにもかかわらず、『トゥモロー・ワールド』は恐ろしい緊迫感と臨場感があるのだ。

その臨場感がなんと言っても長回しだろう。散々いろんな所で書かれているが、やはり驚異的な長回しだ。デ・パルマの『スネークアイズ』になると、13分だとかやられてもなんの驚きもないが、『トゥモロー・ワールド』は主人公がコーヒーショップから出て来たところを爆破したり、カーチェイスを車の中から撮影したり、戦車が出て来て、建物が爆破されるような銃撃戦などをすべて長回しで撮っているのだ。CGで加工した部分もあるらしいが、カーチェイスでは車の天井に穴を空けて撮影するなど、極力ワンカットにこだわった。だから迫力も段違いなのだ。

長回しだけでなく、すべてのシーンが手持ちカメラでワンカットが長い。クローズアップはおろか、バストショットも少なく。基本的に画面はきっちりとした1枚の絵で収まっていない。だが、その不安定な映像が『トゥモロー・ワールド』に合っていて、重要な人物が何人か死ぬが、その死でさえもロングショットだったり、長回しの中に収められたりして、死で映画が立ち止まらない。映画の中の死はどの映画でも感動的に描かれ、そこで映画というものは流れが止まってしまうが(私のような人間はそこで地団駄を踏んでしまう)感動的な死がないぶん映画はものすごくリアルに感じる事が出来た。

長回しが驚異的な『トゥモロー・ワールド』だが、個人的に一番よかったのはクライヴ・オーウェンの格好である。何日も洗ってない様な髪、無精ひげ、よれよれのシャツに、ロングコート、『ブレードランナー』のデッカードを思わせる様な姿だが、これだけで過去に何かがあり、酒に溺れているというのが一発で分かる。映像ではなく言葉で分からせる映画が多いが、この主人公の描き方だけで『トゥモロー・ワールド』は良い映画なのだという事がわかる。

さて、ウィキペディアにも出ているが『トゥモロー・ワールド』は徹底的に説明がされてない映画である。何故不妊症になったのか?主人公は何者なのか?彼が連れて行く場所は何処なのか?これにマイナス要因を感じた人もいるだろうし、実際ネットでそのように書いている人がいるが、果たしてそれがマイナス要因なのだろうか?映像も緊迫感がありリアルな映画なのでセリフもそれ同様に日常会話レベルのセリフ回しで説明的なものは一切無いのだが、実際、子供が居なくなった状況などをベラベラと長々説明的に喋る人間などそうそういるわけもない、かといって、『ブレードランナー』のように世界観の説明を文章で出す様なタイプの映画ではない。『トゥモロー・ワールド』が説明不足なのはあくまで監督があえてした演出であり、そこを突く事は意味が無い事と思うのだが……

トゥモロー・ワールド』は世界中で起こっている大きな不安を凝縮し、それを不安に思ってない人のために警告を鳴らした。だが、小さなレベルではレイプもあるし、強盗もあるし、貧困のせいで人も死ぬ。そういう部分が描けてないのは残念だったが、一級のエンターテイメントに監督の思想を盛り込み、ここ近年のハリウッド映画では良質な作品と言えるだろう。個人的には『マトリックス』よりも好きである。