吼えろ!ピンゲーオ 起て!ジージャー


ちょー観たかった『チョコレート・ファイター』をやっとDVDで鑑賞した。

なんで今頃DVDで観たかというと、新潟では上映していなかったからである。一体、誰がタイ製のアクション映画は当たらないと決め込んだのだろうか、とにかく上映をしないと決めたヤツは今すぐにでも首をくくってもらいたい。

ピンゲーオ監督の出世作マッハ!!!!!!!!』をスクリーンで観た時はいろんな想いが入り交じってしまって、まともに観られなかった。驚異的な身体能力を持ったトニー・ジャーによるスタントと、ガチなムエタイアクション、そしてタイ人のアイデンティティを全面に押し出したストーリーが結実した傑作なのは充分過ぎるほどに伝わるんだけれど、どっかで、「まだこんなもんじゃないよな」という感情もあって、トニー・ジャーのプロモーションとしては最適なのだけれど、映画として「もう一声!」というようなもどかしさがあったのも事実だ。

そこへいくと『トム・ヤム・クン!』はすごかった。『マッハ!!!!!!!!』で少しだけしつこいかなと感じたアクションの見せ方はグッと抑えめになり、中盤の長回しスタントは、「映画でカタルシスを得るというのはこういうことだよな!」と思わされ、終始象を探して怒り続ける主人公にぼくは『ドラゴン怒りの鉄拳』のブルース・リーを重ね、映画だけでしか得られないカタルシスだけで号泣してしまった。ぼくにとって『トム・ヤム・クン!』は重要な作品だ。アクション映画だけ10本選べと言われたら確実に『トム・ヤム・クン!』は入るだろう。

そして『チョコレート・ファイター』である。各方面で言われてるように志穂美悦子やアンジェラ・マオ*1柴咲コウに並ぶ女ドラゴン映画の傑作なのは言うまでもないし、『危機一発』から『怒りの鉄拳』、『死亡遊戯』、『ドラゴンへの道』まで飛び出すブルース・リー愛は観てるだけで涙がこぼれるし、思わず声が出てしまうほどの危険なスタントアクションは老舗と言われる香港映画を凌駕しかねない領域にまで達している。映像だけでちゃんと状況を分からせる編集も下手だと言われてるが、ぼくは説明過多な今の日本映画よりも映画にしか出来ない編集をやってると思った。映像テクニックを駆使した『トム・ヤム・クン!』が世界的な水準の作品だとすると『チョコレート・ファイター』はそのいびつな編集でさえも映画の原石を感じさせる作りになっている。

チョコレート・ファイター』を観て思ったのは、映画的体験とは何か?ということだ。そもそも映画とはセリフはおろか、音もなかった。カットも細かく割られてなどなかった。映画の原体験とは、一つの舞台の中で役者が動きまわり、それを見て、感動したり、驚いたりすることだったのではないか?

チャップリンがパントマイムを、キートンが命がけのアクションをした時から、映画というのはもう完成されていたのだ。それがジーン・ケリーになり、ブルース・リーになり、ジャッキー・チェンになっただけの事だ。ぼくらはこれを観て、映画的芸術とは、映画的体験とは本来こういうもんだったよなぁと想いを馳せる————だからぼくは何故映画評論家と呼ばれる人々が、ジャッキーやブルース・リーをまともに取り上げないのかが不思議でならなかった。

チョコレート・ファイター』には、そう言った本来映画が持つべきものが隅から隅までぎっしりと詰まっている。ジージャーという魅力的な女優が身体の全てを使い、フルに動き回る様をカメラに収め、観に来てくれたお客さんにショックを与える。セリフや撮影テクニックに頼らなくても映画というのは、それだけで十二分に成立してしまうものなのだ。

マッハ!!!!!!!!』から無駄なぜい肉を削ぎ落とし、『トム・ヤム・クン!』で得た撮影テクニックを全部捨て、ジージャーという女優の魅力を見せつけるためだけに、スタントマンも命をかけた。ぼくは『チョコレート・ファイター』に関わった全ての人に心からの拍手を送る。

阿部寛はこの映画で大立ち回りさせてもらえた事を一生の誇りにしていい。ブルース・リーはおろか、ジーン・ケリーバスター・キートンまで映画記憶を逆行させる『チョコレート・ファイター』は映画の原体験まで回帰させてくれる大傑作。ちょーさいこー。今年のベスト1はこれでほぼ決まりかもしれない。あういぇ。

チョコレート・ファイター [DVD]

チョコレート・ファイター [DVD]

*1:と偉そうに書いたが、ぼくは両者の作品を全部観てるわけではなかった…すいません